上 下
5 / 7

第5話 歩み寄る夏海

しおりを挟む

20秒位の時間だったと思う。
人生で1番長い20秒だった。
僕がホームから飛び降りて、線路の上で仰向けに横たわる夏海さんに向かって走り、抱きかかえていたのは。

「まもなく電車がまいります」
そのアナウンスが僕に焦りと恐怖を与えたが、それ以上に夢中になって走っている不思議な自分がいた。
周囲は当然ながら騒然となっている。
この注目の的のひとつが自分だなんて、心のどこかで少しだけ映画のスターになったような気分になった。

彼女を両手で抱きかかえた時、ハッと我に返っていた夏海さんは目を丸くしながら僕を見ていた。

「ひいらぎ……さん……」
とにかく、電車が駅に入ってくる前に彼女をホームに上げて僕も避難しなければ。
ただそれだけだった。

「はぁ……はぁ……!」
お腹がある程度満たされて後に急に激しい動きをしたためか、僕の息の切れ方は常軌を逸していた。
息も絶え絶えな僕を、彼女は再び涙目で見ていた。

「なんで……」
彼女が口を開き始めた。
「なんで柊さんが私を……?」
「はぁ……はぁ……」
僕は呼吸を整えた後、彼女に向かって再び口を開き始めた。

「あんな杉原さん……ほっとけるわけないじゃないですか……。なんであんな危ないことしたんですか……!あのままじゃ電車が来て……とんでもないことになっていたかもしれないんですよ!?」
僕は少し語気を荒めた。
周りのギャラリーがガヤガヤしながら注目される中でも、僕はためらいがなかった。
すると彼女は、その大きな瞳から大粒の涙を嗚咽とともにこぼし始めた。

「私なんて……私みたいな女なんていなくなったほうがいいの……」
「えっ……?なんでそんなこと言うんですか」
「……」
彼女は嗚咽とともに両手で顔を隠しては、そこから何も言わなかった。

「大丈夫ですか!」
気がつくと数人の駅員さんが僕たちに駆け寄っていた。
その後、駅員室に通された僕たちは、当然のことながらこっぴどく注意を受けた。
駅員室から出た僕らは、無言のままただホームの上を歩いていた。
「……」
「……」
何を話して良いか分からない沈黙が、さっきまでの楽しい食事を一蹴させるほど、僕と彼女の間に深くのしかかっていた。

「あのう……」
意外にも彼女の方から話しかけてきた。

「またご迷惑をかけてしまいまして、本当にごめんなさい……」
「杉原さん……。もういいですよ」
「でも、私はまたあなたに……」
「あなたが無事でいてくれたなら、それでいいんです」

歯が浮くようなセリフが出ていたのは僕も十分理解していた。
だが、僕は彼女のことが本気で心配で心配で仕方なかった。
彼女があのまま電車の下敷きになっていたとしたら、きっと僕は恐ろしいほどの後悔の念にかられ今後の一生を生きていったに違いないからだ。

「あなたに何があるかは……気にならないと言ったら嘘になるけど、深く追求はしません。ただ……」
「ただ……?」
僕はここで心の中で深呼吸をする。

「何かつらいことや悲しいことがあるなら、ひとりで抱え込まないでください」
「うそ」
「えっ?」
「うそでしょ、そんな。何でこんなに優しい言葉をかけるんですか?たった2度しか会ったことない私に」
「そんな、僕は」
「どうせこんなときに優しい言葉を使えば、セックスくらいできるとか思ってるんでしょう!?」

僕は心の中でどきっとした。
彼女に下心がないかと言うとそれは全くの嘘だったから。
しかし、ここで僕は心の中にある感情の一部が爆発する感覚を覚えた。
そして、改めて口を開いていた。

「僕は……夏海さんのことが、最初に会ったときから気になって気になって仕方ないんだ!さっきの食事の時だって、時間が過ぎるのが早くて楽しすぎてもっといたいと思った!そしたらあなたが悲しそうな顔で線路に横たわる姿が見えた!そんな人をほっとけるわけないじゃないですか!!」
僕が大声で夏海さんに心の限りをぶつけた。
泣き顔の彼女は少し震えながら僕のことをただまっすぐに見ていた。

「す、すみません。大きな声を上げてしまって……」
ふと我に帰った僕はすぐに彼女に謝った。
すると、あまりにも意外すぎることが起こる。

「えっ」
「ひっ……えっ……」
「夏海さん……」
僕の目の前には彼女のサラサラの黒髪があり、優しい甘い匂いを醸し出していた。
それがハッキリわかるほど、今の僕と彼女の距離は突然縮まっていた。
胸には彼女の泣き顔がピッタリとくっついて、このジャケットは彼女の両手でクシャっと掴まれていた。

泣いていた。
夏海さんは、僕の胸の中で子供のように泣いていた。
激しい心拍とともに湧き上がる彼女を欲する衝動を必死におさえながら、僕はゆっくりと彼女の肩に触れた。
そして、こう言った。 


「もう、こんなことはしないでください……」
彼女は「はい」と答えることも首を縦に振ることもしなかった。
だけど、きっと僕の気持ちは伝わったんじゃないだろうか。
そう思いたかった。

それよりも、夏海さんが僕の胸の中で泣いてくれている。
こんな綺麗な人が溢れ出す感情を僕にぶつけている。
不謹慎ながら、それが今日の1日の中でとても嬉しかったんだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

もういいです、離婚しましょう。

杉本凪咲
恋愛
愛する夫は、私ではない女性を抱いていた。 どうやら二人は半年前から関係を結んでいるらしい。 夫に愛想が尽きた私は離婚を告げる。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

私が死ねば楽になれるのでしょう?~愛妻家の後悔~

希猫 ゆうみ
恋愛
伯爵令嬢オリヴィアは伯爵令息ダーフィトと婚約中。 しかし結婚準備中オリヴィアは熱病に罹り冷酷にも婚約破棄されてしまう。 それを知った幼馴染の伯爵令息リカードがオリヴィアへの愛を伝えるが…  【 ⚠ 】 ・前半は夫婦の闘病記です。合わない方は自衛のほどお願いいたします。 ・架空の猛毒です。作中の症状は抗生物質の発明以前に猛威を奮った複数の症例を参考にしています。尚、R15はこの為です。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

別れてくれない夫は、私を愛していない

abang
恋愛
「私と別れて下さい」 「嫌だ、君と別れる気はない」 誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで…… 彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。 「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」 「セレンが熱が出たと……」 そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは? ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。 その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。 「あなた、お願いだから別れて頂戴」 「絶対に、別れない」

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

処理中です...