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父の書斎の前まで来ると、私は呼吸を整え、扉をノックした。
コンコン。
程なくして、父の声が中から聞こえてくる。

「誰だ?」

「レイラです。ただいま戻りました」

「ああ……入ってくれ」

「失礼します」

扉を開けて中に入ると、書斎の中は珍しく散らかっていた。
書類の束が床に落ちて、本も乱雑に積み上げられている。
綺麗好きのはずの父だが、今はそんなことにも気を配れていないのが一瞬で分かる。

父は椅子に座り、紙を睨みつけていた。
あまり寝ていないのか、目の下にはくまがあった。

「お父様、大丈夫ですか?」

私は机の前まで歩を運ぶと、心配する声をあげる。
父は紙から目を上げると、引きつった笑みを浮かべた。

「私なら大丈夫だよ。それより心配なのはお前の方だ。今は辛い時期だろうが、落ち着くまでゆっくりしていなさい」

「いや……私は別に……」

確かに私は傷ついていた。
しかしそれよりも、離婚したことで、父に迷惑をかけてしまったのが、どうしても嫌だった。
自分だけが休んでいいなどと薄情なことは、そう簡単には思えない。

「お父様。私のせいでこのようなことになってしまい本当に申し訳ございませんでした」

「いやお前のせいじゃない。悪いのは彼の方だ……」

父はそこまで言うと、深くため息をついた。

「結婚が決まった時には、たとえ縁が切れようとも商会は利用させてもらうと言ってくれた。だからずっと信じていたのに……それなのにバルシュ様はあっさりと商会との縁も切った。あんな人間だとは思わなかった」

「酷い話です……」

本当にそうだ。
バルシュは浮気をしていただけでなく、商会との関係も即刻切った。
薄情で傲慢で、自分勝手な酷い人間なのだ。

そう思った時、離婚への悲しみがふっと姿を消した。
代わりに、バルシュへの強い怒りの炎が心の中で燃え上がる。

「レイラ?」

私の異変を察したのか、父が首を傾げる。
私は父の目をしっかりと見つめると、口を開いた。

「お父様。バルシュ様がこのまま何もお咎め無しというのは、あまりにもおかしいです。私にできる限りのことをしたいと思います」

「な、何を言っているんだ……できる限りのことって……私たちは伯爵家なんだぞ」

「確かにその通りです。どんな手段を講じようと、正攻法では勝ち目はありません。皆公爵家の彼の意見に賛同し、私たちの味方は一人も現れないでしょう」

父がゆっくりと頷く。

「お前の気持ちは分かるが、どうすることもできないんだ。どうか分かってくれ」

私はゆっくりと首を横に振ると、ニヤリと笑ってみせる。

「正攻法ならどうすることもできないでしょう。しかし私にはあれがあります。お父様、お忘れですか?」

「あれ?……あ、ま、まさか」

父が驚いたように顔を歪めると、勢いよく椅子から立ち上がる。
そして私の隣まで来ると、肩をがしっと掴む。

「ダメだレイラ。あの力はお前にかなりの負担を強いる。緊急時以外は使うなとあれほど言っていただろう」

「今がその緊急時ではないですか?」

「だ、だが……」

父が取り繕うように俯いた。
しかし言葉が出てくることはなく、私が続ける。

「お父様。このまま何もしなければ商会は経営不振で、いずれ潰れてしまうかもしれません。そうなっては本当にもう取り返しがつかないでしょう。しかし、バルシュ様から上手く慰謝料を取ることさえできれば、きっとまた踏み出せるはずです。少なくとも、何もしないよりはマシなはずです」

父が決心したように顔を上げる。
目には恐怖がいくらか灯っていたが、それでも強い目をしていた。

「バルシュ様の行動には以前から不審な所があったことを思い出しました。叩けばほこりがでるはずです」
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