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1章
プロローグ
しおりを挟む「はいこれ、明日の課題やっといて!」
「う、うん……」
バンッと勢いよく明日までの課題のプリントがファミレスの机に叩きつけられる。
目の前には茶色を帯びた髪をしたショートカットの美少女が座っている。付き合って半年になる俺の彼女、綾川冥である。その容姿はそこらのアイドルと比べても優れており、笑うと人好きする表情を浮かべることから、学校でも彼女のことを悪くいうものは一人もいない。
付き合う前は、ファンクラブも存在しており、彼女と俺の学年である2年生はおろか、全学年でその存在が知られるほどである。
しかし、周囲に見せる外面と違って、実際は彼氏の俺に対しては、さまざまなワガママを容赦なく突きつけてくる。はじめは少し、束縛が強いがゆえにワガママが多いのだろうと思っていたが、付き合い始めてから時間が経つごとにその要求は増していった。
最初は「私と歩くときは私の荷物も持って」というような要望が、今では「週に一回は私にプレゼントすること」や今のように「学校の課題は全部あんたがやって」など、とても恋人同士とは思えない要求までするようになった。
「じゃあ、私はこれから友達とカラオケに行くから、しっかりやっといてよね! 私と付き合えているんだから、これぐらいの事は感謝してやってよね!」
言いたいことを済ませると、席を立ち、彼女は足早にファミレスから立ち去る。当然のように彼女が飲み食いした料金は俺の奢りである。
彼女に告白して付き合えた時は、天にも昇るような気持ちだったが、今ではなぜ彼女と付き合っているのか、そもそも自分が彼女を好きなのかさえ分からなくなってしまった。
彼女のプレゼント代を稼ぐ為に始めたバイトは今では3件も掛け持ちし、学校に行っている時間以外はほとんどバイトに時間を費やしている。彼女と最後にデートしたのがいつだったのかすら、もう覚えていない。
恋人らしいことと言えば、手を繋ぐことぐらいしかしておらず、付き合い始めてから半年も経つのに、性行為はおろか、キスすら拒まれている。彼女の「そういうことは卒業してからにしましょう」という言葉を鵜呑みにし、彼女を大事にしてきた。
しかし、そもそも今の関係を彼氏彼女の関係と言えるのだろうか。
まとまらない思考を携えたまま、綾川冥の彼氏、周王春樹はファミレスの会計を済ませ、アルバイトへ向かう。
ーーーーーーーーーー
アルバイトを終え、周防春樹は帰路に着こうと、繁華街を歩く。
(はー……。今日も疲れたなぁ。帰って課題やったら速攻で寝よう……)
バイトで疲れた体を引きずり、俺は最寄りの駅を目指して歩いていた。一刻も早く帰りたかった俺は、そういう目的の人たちの為のホテル街を近道の為に歩く。
その中には、スーツを着た明らかに会社の帰りであろうと言う人もちらほら混じっている。
(こっちはバイトするだけでこんなにクタクタなのに、よくやるなー)
感心半分、羨ましさ半分で歩いていると、スーツを着た男性と仲良さげに腕を組むカップルを見つける。
あー、仲良さげにして、良いご身分……だ……な……。
何の気なしにみた男女のカップル。スーツを着た妙齢の男と腕を組んでいたのは、俺の彼女、綾川冥だった。
目の前に飛び込んだ光景に体は動きを止め、手に持っていた荷物をアスファルトに落とす。
「め……い…………」
混乱した俺の口からは弱々しく彼女の名前が呟かれるだけだった。
(どうして!? どうして!? どうして!? どうして!? どうして!? どうして!?)
はじめは混乱してまとまらなかった思考も次第にまとまり、やがて思考はどうして彼女が浮気をしているんだという思考で埋め尽くされる。
(彼女の望むことなら何でもしてきた! お金が欲しいと言われれば、すぐに差し出した! 私以外の連絡先を消せと言われれば、すぐに消した! 俺は彼女にやれと言われたことはすべてやってきた! なのに! なぜ彼女は今、俺以外の男と腕を組んで歩いているんだ!)
俺が答えの出ない思考に時間を費やしている間に彼女とスーツの男との距離は縮まり、やがて彼女の方もこちらに気付く。
俺に気づいた彼女はハッとし、すぐに隣にいた男と絡めていた腕を離す。
「冥……隣の男は誰なんだ?」
震えそうな声を必死に抑えながら、冥に問いかける。
「えっ、えーっと……この人は……」
俺の問いに冥は忙しく目を泳がせ、答えを必死に探しているようだった。
隣の男は呑気に「知り合い?」と冥に問い、その場には変な空気が流れる。しばらく、変な空気が続いたが、目の前でずっとあたふたしていた冥が隣の男の腕を掴む。
「こっ、この人ストーカーなの! いつも私が行くところに待ち伏せして、何度言っても辞めてくれないの!!!」
彼女の酷い言い訳に、俺は一瞬、唖然とする。しかし、すぐに怒りが湧いてくる。
「お前っ、ふざけんなっ! 言うに事欠いて俺をストーカーだと! 言い訳するにもーー」
ーードゴッ!
顔に衝撃が走り、その衝撃で体ごと後ろに吹き飛ぶ。瞬時、男に殴られたのだと俺は理解する。遅れて、殴られた右頬から痛みが走る。口の中が切れたのか、鉄臭い味が口内に広がる。
「おいっ、彼女嫌がってんだろうがよ! どっかいけよ、ストーカー野郎!」
俺を殴った男は俺を蔑むような目をして言い放つ。その様子を見て、冥はこれ幸いと男の胸に飛び込む。
「ありがとう、マサキ君! 私、怖くて怖くて……」
(このク○ビッチが! 俺につくより隣の男の方につく方が良いって判断したってことかよ!)
悔しさで歯をくいしばる。もはや、混乱していた頭は目の前のア○ズレを地獄に落としてやりたいという思考に統一された。
「冥……てめぇが今まで俺にやってきたことや今日のこと、明日、全部みんなにぶちまけてやるからなっ! 覚悟してろよ!」
言いたいことを言い切ると、俺はフラフラとしながらその場を立ち去る。
ーーーーーーーーーー
夜が明け、自室の窓からは朝日が眩しく差し込む。
昨夜、フラフラになりながら家に帰った俺は、殴られたダメージも相まって、家の階段を登り、自分の部屋に着くなり力尽き、泥のように眠った。
眩しい朝日で目が覚めた俺に、右頬から鋭い痛みが走る。
(ッ!)
あの野郎~! 思いっきり殴りやがって。殴られたところ、腫れてんじゃねーか! こりゃ、しばらくシップ生活か?
昨日、あんなことがあったのに不思議と俺の気分は晴れ晴れとしていた。俺の今の気持ちは冥への復讐心と冥のワガママからの解放感で久々にスッキリとしていた。
救急箱から出したシップを右頬に貼りながら、学校に行く準備を整える。時計を見ると、時間は7時50分を指している。俺は急いで階段を駆け下り、玄関で靴を履く。
「行ってきます!」
(そういえば、行ってきますなんてここしばらく言ってなかったな……)
俺は自分が今までどれだけ余裕がなかったかを認識する。冥から解放されたことを再度感謝し、玄関を出る。
ーーーーーーーーーー
俺が自分の教室に着くと、教室の中は異様な雰囲気を醸し出していた。疑問に思いながらも、自分の席に向かい、腰を下ろす。腰を下ろしてからまもなく、クラスメートの女子達が俺の席の前に立つ。
「周王君……あなた浮気したって本当?」
「はぁ!?」
クラスメートの発言に思わず、声が漏れ出る。
「冥が話してくれたわ! 昨日あなたが街で女の子と歩いているのを見たって! 問い詰めたら、ずっと前から浮気してたって!」
はぁ~!!! 浮気してたのはアイツの方だっての! あのクソ○ッチ、あることないこと周りに喋りやがったなぁッ!
周りに嘘の話をばら撒いたであろう本人を探そうと教室中を見渡すと、教室の端っこの方で女子に囲まれるク○ビッチ、もとい、綾川冥を見つける。
「おいっ、冥! ふざけたこと言いふらしてんじゃーー」
椅子から立ち上がり、冥に問い詰めようとすると、冥を庇うように女子達が俺の前に立ちはだかる。
「周王君、冥に何するつもり!?」
「何ってコイツが嘘をーー」
「浮気して冥を傷つけて、その上、まだ傷つけるつもり!」
「違っ……俺はコイツの嘘をーー」
「これ以上、冥を傷つけないで!」
必死に弁解しようとしても、周囲は冥の言い分を鵜呑みにし、俺の訴えをかき消す。その中には、俺が友達だと思っていた人も混ざっている。クラスにいるあらゆる人間が俺に対し、嫌悪感を示し、ヒソヒソと聞こえる声が俺の心を抉る。
(浮気とかサイテー)
(付き合ったのも脅されて無理矢理付き合わされてたって話だぜ)
(綾川さん可哀想……)
(俺は前から怪しいと思ってたんだよ)
教室中のあるゆるところから俺に対する嫌悪が突き刺さる。もはや、何を言おうと無駄だった。
浮気していたのは冥の方だと言うと、自分が助かる為に彼女を悪者にするなんてサイテーだと言われ、冥の普段のワガママ放題の様子を伝えると、冥がそんな振る舞いをするわけないと否定される。
俺の言葉はもはや、クラスに蔓延した悪意にガソリンを注ぐだけのモノと化していた。俺に対する悪意は、教室に担任が入ってくるまで続いた。一度治まった悪意も、教師がクラスを出た途端に再度膨れ上がり、俺に猛烈な勢いで注がれる。
逃げるように俺が教室を離れても、噂は学校中に広がっているのか、どこに行ってもあらゆる人から悪意と嫌悪が俺に刺さり、正に針の筵である。こうなった俺にはただ、じっと耐えるしか方法がないのだった。
ーーーーーーーーーー
もはや学校全体からの悪意と化した俺への攻撃を放課後まで耐え、そそくさと教室を出て、帰路に着く。
とにかく、早く家に帰りたい。初体験の悪意の奔流に呑まれ、頭を支配するのは早く部屋で寝たいという思考だけであった。やっとの思いで家に帰り、俺は安心する。しかし、一瞬手に入れた安心はすぐに手放されることになった。
「ただいま~」
俺は帰ってきたことを示すように、玄関を開けながら挨拶をするも、玄関のすぐ側に母さんが座っていることに気付く。
「春樹……あんた冥ちゃんを傷つけたって本当かい?」
学校での悪意を乗り越えた俺に、新たな悪意が飛びかかる。
「あんた、冥ちゃんという子がいながら、他の女の子にも手を出したんだって!」
「違うッ! 母さん、俺はーー」
「母さんはあんたをそんな子に育てた覚えはないよ!」
俺の言葉を遮り、母さんはうっ、うぅ……と口を押さえ、涙をこぼす。
「どうして……どうして誰も信じてくれないんだよ……ッ!」
俺は鞄を玄関に放り捨て、一気に外へ走り出す。
ーーーーーーーーーー
勢いよく家を飛び出した俺は、無闇矢鱈に走った。体力の限界が近づき、足を止めたところには大きな歩道橋があり、俺はそこの階段に腰掛ける。
誰も……誰一人俺を信じてくれない。もはや、俺が信じられるのは誰一人としていない。付き合い始めて1年ちょっとのクラスメートはおろか、16年も育ててくれた実の親でさえ、信じてくれないんだ。もはや、俺の居場所はどこにもない。
不意に俺の目に道路を走る車が目に入る。どこにも居場所がないんなら……消えちまうか。歩道橋の階段を上り、やがて、歩道橋の一番上まで辿り着く。眼下では忙しなくスピードの乗った車が通り過ぎ、手すりを越えて飛び降りれば、よっぽど運が良くない限り、助かることはないだろうと分かる。
もはや、自分が生きる意味も掴めない……。俺は手すりに手を掛ける。しかし、手を掛けたタイミングで透き通るような声が耳に入る。思わず、声がした方向に顔を向ける。
「ハル……くん?」
「お前……宇佐美か?」
この時の出会いが俺の人生を大きく変えることをこの頃の俺はまだ知らない。
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