壊れた王のアンビバレント

宵の月

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婚姻誓約書

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 無言で執務室の扉を開け、カーティスは立て掛けていた剣を腰に佩く。

 「カーティス、話がある!」
 「後にしろ。」
 「玉璽が必要な案件だ。すぐに済む。」

 そのまま出ていこうとしたカーティスを呼び止めて、キリアンは文書を差し出した。

 「……どれだ?」
 「エクルド卿がすでに動いている。中立派の……」
 「後で聞く。これでいいな?」

 中身を見もせず次々と玉璽を押下すると、カーティスはさっさっと踵を返した。

 「お、おい……確認しないのか?」
 「お前がおかしなものに玉璽を押させるわけがない。戻ったら話を聞く。」
 「ああ……それはいいが……」

 あっさりと押された玉璽を見つめ、呆然としているとカーティスは、思いついたようにくるりと向きを変えた。
 機密書架の認証を外し、がさがさと中を掻き回し始める。乱暴な手付きに、いくつかの文書が滑り落ち、カーティスが舌打ちをする。

 「キリアン、すぐに確認しておけ。王妃が騒いだら対処しろ。」

 見つけ出した古式文書を放り投げ、カーティスは苛立たしげに、床に落ちた文書を書架に戻すと勢いよく閉めた。
 そのまま振り向きもせず今度こそ執務室を出ていく。

 「……何なんだ?」

 無理やり閉めた書架が、キイッと音を立てて開き、中からバサバサと文書が崩れ落ちて床に広がった。
 キリアンはため息を付いて、広がった文書を拾うためにかがみ込んだ。

 「……あれだけ悩んだのにな……」

 とはいえ僥倖だった。すぐに動ける中立派はすでに動き出している。玉璽があれば難しかった者も、特別法を元に行動を起こせる。

 「これでもう……」

 押し寄せる安堵を噛み締めながら、丁寧に機密文書を片付ける。書架に戻そうとして手が止まった。もう一つの古式文書を見つめ、渡された古式文書を振り返る。

 「まさか……婚姻誓約書……?」

 飛びつくように古式文書を広げ、キリアンは顔色を変えた。キリアンは2つの古式文書と、玉璽文書を抱えると走り出した。
 婚姻誓約書をカーティスがキリアンに渡した理由も、あれほどカーティスが急いで向かった先がどこなのかも頭に浮かばぬほど、キリアンはエクルドの元に急いだ。


※※※※※

 
 息せき切って駆けつけたキリアンから、手渡された玉璽文書にエクルドは笑みを浮かべた。

 「おお!これで特別法7条の強制執行ができます!中立派は全ての家門が集まることになります。」
 「………」

 顔色を蒼くしたままのキリアンに、エクルドは首を傾げた。無言でキリアンは古式文書を差し出す。中身を確認したエクルドは絶句した。

 「………なんてことだ……」

 ようやく吐き出された深いため息と、万感の籠もった述懐にキリアンはつばを飲み込んだ。

 「陛下から?」
 「……はい。なぜ今になって……」
 「ああ、もしや知らないのですか?つい先程王妃宮から、大量の装飾品などが運び出されました。」
 「え?はぁぁ?なぜ!」
 「この誓約書を見る限り、差し押さえ、でしょうね。ベルタングの財政破綻で誓約不履行に陥った。財政が危ういと噂されていましたから。」
 「…………」
 「これだけ法外な金額を婚姻維持費として請求していれば、いずれこうなります。」

 口元を覆ったキリアンに、エクルドは慰めるように笑みを浮かべた。

 「よほど待ちかねていたのでしょう。キリアン卿に知らせる間も惜しむほど、あの毒華を引っこ抜きたくて堪らなかったのでしょうから。」
 「…………」

 未だに呆然としたまま言葉を取り戻せないキリアンに、エクルドは気の毒そうに眉尻を下げた。

 「今回の誓約不履行で、隠す必要がなくなったのです。これだけ一方的な誓約だ。表沙汰になればベルタングの権威は失墜する。躍起になって隠すわけです。」
 「……こんな……どうやって……」
 「確かにひどいもんです。婚姻への冒涜ですね。よくこんなものに合意させたものです。まあ、キリアン卿の活躍でしょうけど。」
 「……俺ですか?」
 「流してたでしょう?他国の王族との婚姻の噂。」
 「……そうですが……それはカーティスが……」
 「海運のルーフェスや、傭兵のトロデスの辺りは随分焦ってましたから。条件を吊り上げざるを得なかったのでしょう。」
 「…………」
 「トドメがリーベンです。陸続きな隣国の上、トゥーリ殿下と陛下は幼馴染。魔道具は未知の領域だ。」

 キリアンはベルタングとの婚姻誓約書を見つめた。

 (ようやく理解できた……)

 半年のうちに解毒薬は完成したというのに、なぜ閨に通うのか。
 法外な婚姻維持費の支払いが、王妃宮への週に一度の訪問の条件になっていた。
 
 「……保護石も贈られなかったわけですね……」
 
 王妃の身分は法的には正式ではなかった。王妃に関しては子の懐妊が、その地位を確約する。
 そのため子を身籠るまでは、王妃宮の維持費も、王妃にかかる費用も全てベルタング持ちとなっている。あの贅沢三昧では一溜りもなかっただろう。
 
 「………あの毒華が側妃や寵妃では納得しないことも分かっていたはずです。
 ……それにしても危うい。コラプションがあるのですよ?万が一にでも子ができていたら……。王族には保護石があるとしても無謀だ。」
 「……いえ、婚姻前に一度盛られています。アルヴィナ妃が亡命されたすぐ後に。」
 「……事前の心構えはあったと言うことか……」
 
 仮ではない王妃としての権限は、子を身籠るのことが必須。正当な王家の血筋は今はカーティスのみ。そのため1年間子供ができなければ、カーティスは合意なくして、側妃を迎えることを可能としてあった。
 おそらくコラプションに耐えきる覚悟をしての婚姻だった。

 「……アルヴィナ妃の懐妊は?」
 「………いえ、ノーラから報告はありません。」
 「そうか……ご懐妊の報を待つ他ないな。」
 「大丈夫でしょうか……あれほどたおやかな方ですし……」

 エクルドが目を丸め、キリアンを凝視して、笑い出した。

 「くくくっ。キリアン卿は純粋な方だ。」
 「……何をっ!?」
 「アルヴィナ様は確かに、たおやかな見た目ではありますね。
 見た目通りか弱い妖精なら、寝込んでいなくては。この王宮に身を置きながら、こんな救済政策を進める方はたおやかとは申せません。」
 「…………そう、ですね。」
 「彼女はゲイルの娘だ。カーティス陛下もそれはご存知です。」
 「ええ……」
 
 リーベンでのカーティスの、満足げな笑みを思い返しキリアンは頷いた。
 カーティスのアルヴィナへの仕打ち、その上でこれほどの救済政策。エクルドの言うように見た目通りのたおやかな妖精ではない。

 「婚姻は財産の放出と、堕落の根絶……。自分を餌に、名ばかりの王妃にして骨の髄までむしり取る。この内容にはさすがに同情します。
 大方コラプションがあると、高をくくっていたのでしょう。」
 「陛下はアルヴィナ妃を迎えるといつ決めたのか……」

 二人は悪辣な婚姻誓約書を前に、疲れたように顔を見合わせた。

 「……キロレスへの制裁決議ですかね……?」

 決議されていても、なかなか実行されなかったキロレスへの輸出制限。
 当然キロレスは強く反発しあの公示を示した。それ自体想定内で、自然とリーベンへの同盟強化の声が上がった。

 「いや、解毒薬の完成か……?」

 コラプションはベルタングが握っていた。ナイトメアのように誰彼構わずばら撒かれることはない。
 確実なのはカーティスが閨で、盛られることだけだった。もし他で使われても不名誉を避け被害者は口を噤んでしまう。
 半年かけて最低限解毒薬を確保し、キロレスへの制裁は、同意なく側妃を迎えられる一年後に開始されている。

 「キロレスの公示……?」
 「………いえ、アルヴィナ妃が亡命された時からです。……最初から全てを決めていた。」

 震える声で呆然と呟いたキリアンに、エクルドは顔を上げた。キリアンが手にしていた、もう一つの古式文書を差し出した。

 「……これは、まさか聖文誓約……!」
 
 驚愕に目を見開いたエクルドに、キリアンもまだ衝撃から立ち直れなかった。それでもカーティスの側に居続けたキリアンは、内心ひどく納得した。
 アルヴィナ8歳、カーティス10歳。きっとその時から何があってもこうなると決まっていた、と。

 「カーティスはそれ以外の道は初めから見ていなかった……」

 粛清も婚姻も今までのその全ては、ただ一つのために。

 《全ての痛みと苦しみを、歓びと幸福を互いのものとして分け与え、分かち合う。
 互いの精神、身体、生命を持ってこの愛に殉じよ。生ある限り忠誠を持って誓いを全うせよ。
 この宣言をもって全てに優先する、未来永劫不変の愛の誓約を魂に刻むものとする》

 聖文誓約を握りしめる、エクルドの手が震えた。

 「私は……ゲイル……!!」

 エクルドの涙に震える声を耳に、王妃との婚姻誓約の最後の一文を、キリアンは見つめた。
 
 《王の子を最初に身籠った妃を王妃と定め、王妃権限は直ちに帰属されるものとする》
 
 返り血を浴びて悪夢を打ち払い、キロレスは膝をついた。悪夢と堕落にのた打ちながら、その闇は解毒を勝ち取ったとこで完全に潰える。
 全てを画策したものは、今まさに凋落を迎えようとしている。

 全てが愛を起点としているなら、その帰結も愛の結実よる救済なのかもしれない。

 
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