12 / 26
課外授業
しおりを挟む「誰も想像もつかないでしょうね。ヘイヴンの次期当主が運転をしているなんて」
帽子を押さえながらエイダは、得意げなレナルドに目を眇めた。
ハンドルを握るレナルドは視線だけをチラリとエイダに流すと、肩を竦めて見せる。
「本邸滞在を決めた時だって、ホテルへの送迎は僕がしただろう?」
「あの時は私に話があったからでしょう?」
「そうだな。じゃあ、今回は手記のための課外授業だからって理由はどうだ?」
「こじつけね。嬉々として運転をするオーナーなんて見たことないわ」
自動車は運転手とセットが普通だ。自動車を購入できる財力を持つ者が、自ら運転するなど聞いたことがない。随分手慣れている運転に、エイダは呆れたように座面に寄りかかった。レナルドがくすくす笑う。
「女だてらに記者をしてるのに、意外と保守的なことを言うんだな。いよいよクラソン家の隆盛も頭打ちか?」
「おあいにく様。首都にくればヘイヴンの王様が、井の中の蛙だってクラソンが懇切丁寧に教えてあげるわ」
北部の覇者は確かにヘイヴン家ではある。でも首都での影響力はエイダの生家、クラソン家に遠く及ばない。
王を頂点とする封建制度から共和制に移行して、およそ百五十年。封建時代から続く名門クラソン家は、元を辿れば王侯貴族の末裔。
時流を見誤った家門が頭角を表した資本家に飲み込まれていく中、婚姻ではなく手腕で家名を守り通している首都の旧家が、クラソン一族だ。
「エイダ記者は封建時代の基盤を引き継いだ、旧家の隆盛がいつまでも続くとでも?」
「どうかしら? でも当主自らが運転する正当性としてそんな時流を持ち出しても、世間の評価は「度し難い変わり者」から変わることはないってことだけは分かるわ」
ふふんと鼻を鳴らすエイダに、レナルドもニヤリと笑みを歪めて二人は笑い出した。
「パンツスタイルに仕事をする女。私も相当変わり者って言われてきたけど、絶対貴方ほどではないわね!」
「没落したら運転手で食っていくよ」
「その夢は当分叶いそうにないでしょ!」
「はははっ! 何があるか分からない。それが世の中だろ?」
「大狸が言いそう!」
笑い涙を拭きながら、エイダは楽しそうに片目を瞑るレナルドを振り返る。
風に靡く銀にも見えるプラチナブロンド、晴天の空のように好奇心に輝く瞳。スラリと背の高い知的でシャープな美形は、ラフな服装でもとても運転手には見えない。
でもきっと誰も文句は言えないだろう。彼はレナルド・ヘイヴン。ヘイヴンの王様で次期当主なのだから。
『今あるものが、全てだ』
いたずらっ子のように笑うレナルドに、エイダは目を細めた。感想会でのレナルドの言葉が蘇る。いつかこの瞬間さえも、過去となり歴史になる。
でも今確かにエイダは生きている。こうしてやんちゃに笑うレナルドの隣で、変人と笑われる世の中を皮肉って。
本当にその通り。今あるものが全てだ。今しかできないことがある。
『どうあっても生まれは変わらない。切り離す無駄な努力はやめて、エイダ・クラソンを認めさせるために、大いに利用し活用すればいい』
そうすれば良いのかもしれない。今ある全てを受け入れて。気に入らないものは、気に入るように変えてしまえばいい。今持っているものを全てを使って。
望むとも望まずとも、エイダはエイダ・クラソンとして生まれたのだから。今、エイダ・クラソンとして生きているのだから。
抜けるような青空と楽しそうなレナルドの笑い声が、エイダの気持ちを今日の晴天のように晴れやかにする。
ストンと落ちてきた言葉が、エイダの凝り固まった心を自由にしてくれた気がした。
※※※※※
ヘイヴンの中心地、北部中央銀行の一角に車を停めると、レナルドの案内について歩き出した。
整然と整備された街並みに、混在する歴史と現代。相変わらずエキゾチックな街並みに、エイダの足取りも自然と弾む。
「……イダ、エイダ!」
「あ、ごめん」
石造りの聖堂の装飾に思わず足を止めていたエイダは、レナルドの呆れたような呼び声にハッと振り返る。ムスッと不機嫌そうに、仁王立ちしたレナルドがエイダを見下ろした。
「……あー、この意匠が当時のまま残ってるのってすごく珍しいじゃない?」
「観光は済ませたんじゃないのか?」
「見飽きることのないヘイヴンの街並みって、すごく魅力的よね!」
「……光栄だ」
誤魔化すようにヘラリと笑ったエイダに、レナルドは呆れたようにため息を吐くと手を差し出した。ポカンと差し出された手を見つめたエイダに、レナルドは少し視線を逸らした。
「……猫みたいに気ままに散策する君の歩調に合わせていたら、無駄に歩き回る羽目になるだろ?」
「……エスコートは紳士の役目だものね……」
エイダはボソリと呟きながら、熱くなった頬を意識しながら視線を手を重ねた。ぎゅっと手を握られた途端、レナルドがスタスタと歩き始める。
「ちょっと、レナルド! 待って……」
歩幅の大きい歩調に抗議の声を上げ、思わずレナルドを見上げたエイダが言葉を止める。レナルドの耳の先が赤い。気づいた瞬間、胸の奥がくすぐったくなる。込み上げてきた感情のまま、エイダはくすくすと笑い出した。
「……なにがおかしい!」
笑うエイダにレナルドが足を止めて振り返る。レナルドの仏頂面にますます笑いが込み上げて、エイダは声をあげて笑った。
「ふふふっ……別に? ただ、紳士のエスコートには程遠いなって思ってただけ」
「……エスコートじゃない。好奇心旺盛な猫の手綱を握ってる」
「なら尚更丁寧にしなくちゃね? 猫を前に人はすべからく下僕であれ! バーイ……」
「「カール・リットン」」
「はいはい。博識で生意気な猫の下僕になるくらいなら、ご令嬢をエスコートする紳士の方がいくらかマシだ」
「賢い選択ね?」
「お褒めいただき、光栄です。お嬢様」
プッと同時に吹き出し、笑い納めると気まずさが吹き飛んだ。自然と手を繋いで、改めてヘイヴンの市街地を歩き出す。
紳士を名乗るに十分な速度になったレナルドの歩調に、妙に心を弾ませながらエイダはヘイヴンの街並みに視線を巡らせた。
ヘイヴンに降り立った時と同じように、封建時代を思わせる建物と近代が調和する街並み。いくつも点在する戦神、ゆかりの石碑。
でも今日はあの時よりも明るく鮮やかに、エイダの目に映った。
整備された歩道を彩る緑が等間隔に立ち並び、そこかしこで歌い舞う辻芸人たちが、戦神・セスを称えているのを見守っている。
『その身の丈は六フィート(百九十センチ)、鋼の如き頑強な体躯に大剣を握った偉丈夫は、一太刀のうちに百の兵を打ち滅ぼした。かの二太刀の終わりには、大地は血の雨で濡れそぼる。祖国のために戦場を嵐の如く駆け抜けて、ついには千の軍をたった一人で討ち果たす。祖国と故郷を守護してみせた、戦場の英雄は今もその名を轟かす。戦神その名をセスという。セスという』
聞こえてきた詩に、エイダは目を丸くして肩を揺らした。
「どうした?」
「ふふふ……ねぇ、この歌流行ってるの?」
「ああ、ヘイヴンだと定番だな。首都では違うのか?」
「ふふっ……そう、ね。首都だと聞かないわ。でも、そうじゃなくて……」
「なんだよ」
「やっぱり多すぎたって、思い直したみたいで……」
屈んで耳を傾けてきたレナルドに、エイダは笑いを堪えながら最初の歌を囁いた。
「最初にこの歌をきた時は、一太刀二千で万の軍勢だったの。でも流石に多すぎたって気づいたみたいで、今は二千から百、万から千になってて……減らしたみたい……」
「……ぐっ!! やめろよ……」
エイダの耳打ちにレナルドは、咄嗟に口を手のひらで覆い肩を震わせた。
「貴方が聞きたがったんじゃない……」
「だ、だからって……今、それを……」
俯いて肩を震わせるレナルドとエイダに、辻芸人の歌に耳を傾けていた観客が怪訝そうに首を傾げる。二人は急いでその場を離れて、路地の角を曲がり堪えていた笑いを解放した。
「エイダ、き、君は本当に……!!」
「だ、だって……嘘じゃないもの……!!」
ようやく笑いおさめて目元を拭いながら、エイダは顔を上げた。同じように笑いの名残を残したレナルドと、視線が絡み合う。ニッと口元を釣り上げた、レナルドにどきりとエイダの鼓動が跳ねた。
「まぁ、だいぶ現実的な数字に落ちついたのは、喜ぶべきだろうな。万は減らすべきじゃなかったけど」
「え、ええ……そうね」
不意に高鳴った鼓動を落ち着けるように、エイダは俯いた。その頭上からレナルドの、
「ああ、ここにもあるか。ちょうどいい……」
独り言が降ってくる。思わず顔を上げたエイダに、レナルドは見慣れた皮肉げな笑みを浮かべた。
「さて、エイダ・クラソン? 課外授業の時間だ。この石碑は本物か偽物か」
気取った礼でスッと身体をずらすと、レナルドは少し先にある石碑を示した。
「え? どういうこと?」
ヘイヴンの街のあちこちで見かける石碑。その石碑に本物と偽物がある? エイダは眉根を寄せて、ニヤリと笑うレナルドを見上げた。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】
霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。
辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。
王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。
8月4日
完結しました。
拝啓、大切なあなたへ
茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。
差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。
そこには、衝撃的な事実が書かれていて───
手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。
これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。
※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。
溺愛される妻が記憶喪失になるとこうなる
田尾風香
恋愛
***2022/6/21、書き換えました。
お茶会で紅茶を飲んだ途端に頭に痛みを感じて倒れて、次に目を覚ましたら、目の前にイケメンがいました。
「あの、どちら様でしょうか?」
「俺と君は小さい頃からずっと一緒で、幼い頃からの婚約者で、例え死んでも一緒にいようと誓い合って……!」
「旦那様、奥様に記憶がないのをいいことに、嘘を教えませんように」
溺愛される妻は、果たして記憶を取り戻すことができるのか。
ギャグを書いたことはありませんが、ギャグっぽいお話しです。会話が多め。R18ではありませんが、行為後の話がありますので、ご注意下さい。
家路を飾るは竜胆の花
石河 翠
恋愛
フランシスカの夫は、幼馴染の女性と愛人関係にある。しかも姑もまたふたりの関係を公認しているありさまだ。
夫は浮気をやめるどころか、たびたびフランシスカに暴力を振るう。愛人である幼馴染もまた、それを楽しんでいるようだ。
ある日夜会に出かけたフランシスカは、ひとけのない道でひとり置き去りにされてしまう。仕方なく徒歩で屋敷に帰ろうとしたフランシスカは、送り犬と呼ばれる怪異に出会って……。
作者的にはハッピーエンドです。
表紙絵は写真ACよりchoco❁⃘*.゚さまの作品(写真のID:22301734)をお借りしております。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
(小説家になろうではホラージャンルに投稿しておりますが、アルファポリスではカテゴリーエラーを避けるために恋愛ジャンルでの投稿となっております。ご了承ください)
(完結)皇帝に愛されすぎて殺されましたが、もう絶対に殺されません!
青空一夏
恋愛
Hotランキング37位までいった作品です。
皇帝が深く愛する妃がお亡くなりになった。深く悲しんで帝は食事もあまり召し上がらず、お世継ぎもまだいないのに、嘆き悲しみ側室のもとにも通わない。困った臣下たちは、亡くなった妃によく似た娘、を探す。森深くに住む木こりの娘だったスズランは、とてもよく似ていたので、無理矢理連れていかれる。泣き叫び生きる気力をなくしたスズランだが、その美しさで皇帝に深く愛されるが周囲の側室たちの嫉妬により、罠にはまり処刑される。スズランはそのときに、自分がなにも努力しなかったことに気づく。力がないことは罪だ‥‥スズランが悔やみ泣き叫んだ。今度こそ‥‥すると時間が巻き戻って‥‥
旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます
おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。
if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります)
※こちらの作品カクヨムにも掲載します
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる