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八つ当たり

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 煮えるような怒りに急かされて、サリースは目的地もなく走った。一番街の入り口に辿り着いた頃になって、ようやく雨が降り出していたことに気がつく。
 走ったせいで服も髪も乱れていて、この格好では雨宿りしようにも、軒を連ねる店内に適当に入るのも憚られた。

(これも全部……!!)
 
 蘇ってきた怒りにサリースは、足元の水たまりを跳ね上げながら一番街の東沿い、通りを挟んで向かいにある国立公園へと足を向ける。国立公園なら雨宿りができる四阿が点在しているから。
 いち早く傘を手に入れた者たちが、雨空にカラフルな傘を咲かせ始めていた。軒下で雨を避けて空を見上げる者。手のひらで階を作り慌てて走り抜けていく者。
 サリースは一人その間を縫って、自分のつま先を見ながら憤然と歩いていた。

(王太子だなんて言ったって、所詮は下半身で動く下心の塊でしかないのよ!! 美人? 巨乳? バカにして! 週三回もお泊まりするほど、さぞおモテになったんでしょうね!! その人たちにも散々好きだとか、結婚しようって言って機嫌を取ってたんでしょうよ! これだから男なんて!!)

 怒りに任せて歩くサリースの前方から、馬車が近づいてくる。ガラガラと石畳に音を響かせる車輪は、水を大きく跳ね上げながら速度を上げている。道路端に避けようと顔を上げ、サリースはそのまま動きを止めた。
 三件ほど先の軒先から扉を開けて出てくるランドルフの姿に、サリースは息を飲む。

「……っ!!」

 ランドルフは雨足を強める外を見やって、扉を開けたまま視線を下げて振り返る。ランドルフが開けたままの扉から、小柄な女性が出て来るのが見えた。
 ランドルフを見上げて何かを話し、それに笑みを浮かべかけたランドルフが道路をチラリと見やると、さっと庇うように女性を抱き込む。
 速度の乗った馬車が通りざまに水たまりを跳ね上げ、女性を抱き込んで庇ったランドルフがもろに水を被る。そっと腕を解いたランドルフを見上げる女性が、前髪に手を伸ばしながら何かを言ったようだった。ランドルフは伸ばされた手を握り、言葉を返すなり二人が笑い出す。

「あ……」

 無意識にランドルフに伸ばしていた手に気づいて、サリースは手を胸元に引き寄せ俯いた。
 当たり前のように跳ね上がる水から庇って、怒るでもなく陽気に笑い飛ばすランドルフ。その隣で一緒に笑みを浮かべる可愛らしい人。

(あぁ……)

 あの人らしいな。ランドルフを見つけた瞬間、胸を満たしていた怒りは嘘のように掻き消えた。掻き消えた怒りの代わりに惨めさが広がる。
 自分は何をしてるのか。急に寒さを自覚したように震え出した手を握り、サリースは笑おうとして上手く動かない唇を噛み締めた。

「……危ないっ!!」

 すぐそばで声が聞こえたと同時に、腕を掴まれ強く引き寄せられた。とんと背中に伝わる固い感触を感じながら、目の前を馬車が速度を上げて通り過ぎていく。

「サリース嬢、なぜ避けない! 危ないだろう!?」
「殿、下……?」

 頭上から降ってくるカイザーの声に、サリースは目を見開いて振り返った。平均身長より高めのサリースでも、見上げる位置の赤金の瞳。心配のせいか怒っているように険しく顰められている。

「どうして……」
「それは……」
「……殿下?」

 背後にかけられたランドルフの声に息を呑む。サリースはスッと血の気が引いて動けなくなった。ずぶ濡れで見た目も心もボロボロだ。こんな惨めな姿を見られたくなかった。喉に塊が押し上げられるように迫り上がる涙を、サリースは必死に堪えた。
 不意に肩が引き寄せられ、カイザーの腕に抱き込まれる。グッと力の入った腕に、サリースの頬が胸板が押しつけられた。大丈夫。そう伝えてくるような腕の強さ。守られるように抱きしめられて、サリースはカイザーの胸に思わず縋りついた。

「殿下もデートで……」
「ランドルフったら……殿下のお顔を見て。お邪魔したらダメよ……」
 
 顰めた声がランドルフの陽気な声を嗜め、背後に近づこうとした気配が離れていく。
 ホッと力を抜いたサリースは一度強く抱きしめられ、ゆっくりと解放された。身体が離れる一瞬、ジャスミンのノーブルな香水がふわりと香る。

「殿下……?」

 そっと見上げたカイザーの表情に、サリースは静かに声をかけた。なんだかカイザーの方が泣きそうに見えて、戸惑ったサリースの頬に伸びてきた手は直前で止まる。
 眉尻を下げたまま堪えるようにカイザーが一度拳を握り、ほどいた手のひらをサリースに差し出した。

「サリース嬢、そのままだと風邪をひくから……」

 吸い寄せられるようにサリースはカイザーの手を取った。小さく笑ったカイザー手を引かれ、サリースは広い背中を見つめながら歩き出した。

※※※※※

 一番街エステートホテル。カイザーに連れてこられたのは王都の一等地にある、超高級ホテルの最上階にある王族専用客室。

「……身体が冷えている。湯に浸かって温まってくるといい。俺は別室の浴槽を使う……」

 何気なく話すカイザーの声に、サリースはひっそりと自嘲を浮かべた。
 
(結局はこうよね……)

 濡れそぼってボロボロの惨めな姿。それと同じくらい雨に打たれ続けた心も冷え切っている。
 打ちのめされた心が、卑屈な感情ばかりを浮かび上がらせてくる。そんなサリースの表情に、カイザーは眉根を寄せて静かに口を開いた。

「……そんな顔をしないでくれ。心配するような意図はない。君はずぶ濡れで休めるところが必要だった。それだけだ」

 カイザーの宥めるような《言語言葉》に嘘の響きはない。それが逆にサリースの感情をひどく逆撫でした。
 
「散々巨乳美女と遊んでらしたのに?」

 カッと一瞬で燃え上がった感情のままに、サリースは嘲るようにカイザーを睨み上げた。

「もしかして外泊の拠点はこの部屋だったのですか? 素晴らしいお部屋ですね。でもおあいにく様。三ヶ月周期で変わっていた恋人たちのように、私は手軽に遊べる女じゃないんです! なんせこの年で処女なので! 遊び慣れた殿下をご満足させるのなんて無理ですから! 私はすぐにでも帰るので、今からでも一晩中楽しめる殿下のお好きな巨乳の美女でもお呼びになったらいかがです?」
「サリース嬢……」

 激昂して息を荒げ侮辱を口にするサリースを、静かに受け止めたカイザーは傷ついた顔も見せなかった。ただ困ったように小さく笑った。
 
「……その必要もないし、そんな意図もない。そのままでは風邪をひく。冷えた身体を温めてほしい。ただそれだけだ」
「……ハッ!! 連れ込んでおいて手を出す価値もないと? そうですよね、私ほど面倒な女もいなですし。どうぞ気にせず後腐れのない、私より美人で巨乳の可愛げのある女と楽しくお過ごしください! 私なんてなんの価値もない……大切に想う価値もないアクセサリー程度の女なんですから……」

 溢れる自虐は勢いを無くし、ボロボロと涙が溢れ出る。暴走一歩手前の馬車から助けてもらい、ランドルフに気づかれないように庇ってくれた。
 ボロボロのサリースを心配してここに連れてきてくれたカイザー。優しく誠実に接してくれている。でもそうされればされるほど、自分の惨めさがたまらなかった。
 身体を求められればその程度と蔑み、そうではないと返してくれば、自分は価値がないと貶める。そうこれは八つ当たりだ。
 惨めな自分から目を逸らそうと、カイザーに八つ当たりをしているだけ。分かっているのに止められなかった。苦しくてたまらなかった。
 涙が激情を洗い流し、荒れ狂った感情が凪ぐ。サリースは懸命に涙を飲み込みながら頭を下げた。

「……も、申し訳ありません……助けていただいて親切にしていただいたのに……ほん、本当に申し訳ありません……」
「いいんだ。サリース嬢。貴女は今とても傷ついている。気にしていない」
「殿下……」

 優しい声に顔を上げたサリースに、カイザーは一瞬だけ何かを堪えたように唇を噛むと、安心するようにと笑みを浮かべた。

「言っただろう? ゲロを吐きかける以外にできることがあると。デルバイスの双璧の所業に比べれば、サリース嬢の八つ当たりなど可愛いものだ」
「そんなわけ……」
「ある」

 被せるように言い切って大袈裟に苦い顔をして見せたカイザーに、サリースは思わず吹き出した。心を軽くしてくれようとする配慮に胸が温まる。

「さぁ、あったまってくるといい。後で飲み物も届けさせるから」
「……はい。ありがとうございます」

 静かに部屋を出ていくカイザーを見送り、サリースは受け取った慰めに救われた気分で浴室へ向かった。
 

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