上 下
14 / 44
突然の婚約破棄からそれは始まった

別ルート? 悪役令嬢窮地に陥る

しおりを挟む
そして、井戸掘りの影響は、思いがけない所へと波及する。

「姫さん、来客だぜ」

楽しく宴会をした翌日の午後、私がお昼を食べ終え、ナプキンで口元を拭いていると、ガスが困り顔でまた私の所にやって来た。

ルルや、父、兄など、身内が来た時にはガスはこんな言い方はしない。彼が「来客」と呼ぶのは、私にとって都合が悪い客である時だけなのだ。ガスはガスなりに、私にそういうことを伝えたくて、そんな風に言っているのだろう。

ガスの表情からして、なんだかとても厄介な来客のような気がしてナプキンを横へ置いた。そして、私は椅子に座りなおし、すっと姿勢を伸ばす。

「お通しなさい」

そこに姿を現した人物を見て、私は驚きすぎて言葉を失った。

緑色に金や銀の刺繍を施した長衣に、クラバット。胸元にはロゼッタのブローチ。
見るからに貴族らしい貴族の風貌をした人物だった。

「どうして……」

緊張のあまり、喉がカラカラになって、声がかすれた。そこにいたのは、乙女ゲームの中で、一番苦手とする人物だった。

レイモンド・マクファーレン警務省長官

国の警備、諜報活動などを統括するマクファーレン侯爵である。

彼は乙女ゲームの中でもヤンデレ担当の攻略対象だ。28才になる彼は背が高く、大柄であり、彼にきゅんしている女子は大勢いたが、一つだけ大問題があった。

諜報活動のトップである彼は、もちろん、大の拷問マニアである。暗殺など国の闇の部分も担うので。闇長官とも呼ばれていた。監禁された令嬢を見ると興奮が止まらないという特殊な性癖の持ち主で、そのヤンデレ度合いが素敵、と喜ぶ女子もいたが、私的には全く好みではない。

ヒロインのバッドエンドの一つが、このレイモンドルートだ。ゲームをしていた時にも、このルートには絶対に入るまいと、私は念には念を入れて、ルートを選んでいたほどだったのに、どうして、この状況でかち合うのか。

地下牢に閉じ込められている貴族令嬢(私のことね)なんて、彼にとっては大好物以外の何物でもない。随分、まずい展開になったと冷や汗をかく一方で、ふとした疑問がわく。悪役令嬢である私が彼との接点は全くないはずなのだ。

彼は闇の長官と呼ばれることもあって、彼は社交界にはほとんど顔を出していなかったから、顔見知りにもなりようがない。社交界でも絶対に自分とは接点がないはずの彼が何故?!

どうして、悪役令嬢エレーナの前に、レイモンドが現れるのか、全く訳がわからず、私の胸は不安でドキドキと波打つ。

もしかしたら、ゲームの設定が少しずつ変わってきているのかもしれない。もし、自分がレイモンドルートに入っていたらどうしよう……。

美貌の侯爵を目の前にしながら、私はゲームのエンディングのスチルをありありと思い出していた。ゲームの中では、バッドエンドを迎えたヒロインに、レイモンドはありとあらゆる拷問を繰り返して楽しんでいたのである。

「ああ、エマ、君のその苦痛に満ちた顔がたまらなく魅力的だよ」

苦痛に顔を顰めるエマを、レイモンドは恍惚に満ちた顔で眺めている様子が、とても怖かった。私はその時のスチルを思い起こして、うっすらと鳥肌が立つのを感じた。

けれども、ここが正念場だ。うっかり、私が怖がっているのを彼に悟られてしまったら、彼が喜ぶばかりか、本当にレイモンドルートに突入してしまうかもしれない。レイモンドルートに入ると、彼は「美しい貴女を私の屋敷に連れて帰りたい」と言い出すのである。

「マクナレン公爵令嬢、お初にお目にかかります。マクファーレンと申します」

「ええ、存じておりますわ。マクファーレン警務省長官」

私が毛の先まで神経質になりながら答えると、ほう、とレオナルドは肩眉を上げ、意外だと言う顔をする。

「…‥すでに私の名をご存じとは、さすが公爵家令嬢ですな」

「お褒めに預かり光栄ですわ。それで、早速ですけど、わたくしに会いにいらっしゃった理由をお伺いしてもよろしいかしら?」

レイモンドは、口元を緩めて、私に熱のある視線を向けている。拷問という変な趣向がなければ、彼は見るからに美しい青年だった。柔らかなブロンドの髪に、緑色の瞳。形のよい口元を緩めながら、彼は言う。

「我が牢獄に無実の捕らわれの姫がいると聞きつけて、わざわざ出向いてきたのです」

「無実は本当ですが、誰からそのようなことを?」

「新しい井戸の話は私の耳にも届いております。前々から、地下牢の腐った井戸は我々にとっても頭が痛い内容でしたからね。こんなに金のかかる仕事に出資してくれた人が現れたと聞いたので、私は、なんとしても、その方に一言お礼を言わねばと思ったのです」

彼は、一度口を閉じて、熱のこもった視線を私に向ける。

私は彼のねっとりとした視線を感じながら、ずっと押し黙っていると、彼は再び口を開いた。

「私の秘書から詳しく話を聞けば、その井戸に出資した方は投獄されている月夜の銀の姫だと言いましてね。看守の中には、銀の美しい姫を慕っているものが多くいるとも聞きましたから、どんな方なのか、私もひと目でいいからお会いしたくなりました。何より、無実の罪で投獄された身でありながらも、看守や囚人の環境にまで配慮するという、美しい心の持ち主に私は感動した、とでも言いましょうか」

あっちゃー。やってしまった。というか、看守、余計な噂すんな。銀の姫とか勝手に呼ぶな。

井戸を掘ったせいで、なぜかヒロインが入るはずのレイモンドに突入してしまったみたい……。

そこで私ははっと思い出した。

ヒロインがレイモンドに入るときの条件は、確か……井戸。

悪役令嬢を見舞に来ていたヒロインが、井戸の水が腐っていることに気付き、寄付を募って、井戸を開通させるのだ。

しまった。

いくら乙女ゲームをやりなれていたとは言え、実は、そこまでは思い出せていなかったのである。

そこで、彼は当然、やおらポケットから鍵を取り出した。

「何をなさるおつもりですの?」

怖い気持ちを悟られまいと、私は虚勢を張りながら彼に問う。

「貴女がそこから出ることは認められてはいないが、私がそこに入ることは全く問題がないのですよ」

そういうと彼は背すじがぞっとするような美しい笑みを浮かべ、牢のカギを開けた。

うわ、ど、どうしよう…‥。

私はぞっとしながら、後ろにあとずさりすると、彼は鍵を開き、牢の中へと足を踏み入れてきた。その顔は、恍惚として、まるで何かに酔っているようにも見える。
そして、彼は私のすぐ傍まで来たと思うと、私の耳元で小さく囁いたのだ。

「私のことをレイ、と呼んでください。かわいそうな私の捕らわれの姫」

「い、いえいえ、愛称でお呼びするなんて恐れ多いですわ……」

「何を仰るのです。この地下牢、いや、この国の監獄全ては、私の管理下にあるのです。ならば、そこに閉じ込められている囚人も、全て私のもの。そう、貴女がなんと言おうと、貴女はもう私のものなのですよ。銀の姫」

私は彼から距離をとろうと一歩、また一歩と、じりじりと後ずさりする。

やっぱり、レイモンドルートに入ってる!うわあ、まずい。どうしよう……

私は壁際、ならぬ格子際にまで追い詰められながら、この状況をどう打破するべきなのか、困り果てていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生者はチートな悪役令嬢になりました〜私を死なせた貴方を許しません〜

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームの世界でした。何ですか?このライトノベル的な展開は。  しかも、転生先の悪役令嬢は公爵家の婚約者に冤罪をかけられて、処刑されてるじゃないですか。  冗談は顔だけにして下さい。元々、好きでもなかった婚約者に、何で殺されなきゃならないんですか!  わかりました。私が転生したのは、この悪役令嬢を「救う」ためなんですね?  それなら、ついでに公爵家との婚約も回避しましょう。おまけで貴方にも仕返しさせていただきますね?

婚約破棄された侯爵令嬢は、元婚約者の側妃にされる前に悪役令嬢推しの美形従者に隣国へ連れ去られます

葵 遥菜
恋愛
アナベル・ハワード侯爵令嬢は婚約者のイーサン王太子殿下を心から慕い、彼の伴侶になるための勉強にできる限りの時間を費やしていた。二人の仲は順調で、結婚の日取りも決まっていた。 しかし、王立学園に入学したのち、イーサン王太子は真実の愛を見つけたようだった。 お相手はエリーナ・カートレット男爵令嬢。 二人は相思相愛のようなので、アナベルは将来王妃となったのち、彼女が側妃として召し上げられることになるだろうと覚悟した。 「悪役令嬢、アナベル・ハワード! あなたにイーサン様は渡さない――!」 アナベルはエリーナから「悪」だと断じられたことで、自分の存在が二人の邪魔であることを再認識し、エリーナが王妃になる道はないのかと探り始める――。 「エリーナ様を王妃に据えるにはどうしたらいいのかしらね、エリオット?」 「一つだけ方法がございます。それをお教えする代わりに、私と約束をしてください」 「どんな約束でも守るわ」 「もし……万が一、王太子殿下がアナベル様との『婚約を破棄する』とおっしゃったら、私と一緒に隣国ガルディニアへ逃げてください」 これは、悪役令嬢を溺愛する従者が合法的に推しを手に入れる物語である。 ※タイトル通りのご都合主義なお話です。 ※他サイトにも投稿しています。

何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします

天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。 側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。 それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。

悪役令嬢の物語は始まりません。なぜならわたくしがヒロインを排除するからです。

霜月零
恋愛
 わたくし、シュティリア・ホールオブ公爵令嬢は前世の記憶を持っています。  流行り病で生死の境を彷徨った時に思い出したのです。  この世界は、前世で遊んでいた乙女ゲームに酷似していると。  最愛のディアム王子をヒロインに奪われてはなりません。  そうと決めたら、行動しましょう。  ヒロインを排除する為に。  ※小説家になろう様等、他サイト様にも掲載です。

光の王太子殿下は愛したい

葵川真衣
恋愛
王太子アドレーには、婚約者がいる。公爵令嬢のクリスティンだ。 わがままな婚約者に、アドレーは元々関心をもっていなかった。 だが、彼女はあるときを境に変わる。 アドレーはそんなクリスティンに惹かれていくのだった。しかし彼女は変わりはじめたときから、よそよそしい。 どうやら、他の少女にアドレーが惹かれると思い込んでいるようである。 目移りなどしないのに。 果たしてアドレーは、乙女ゲームの悪役令嬢に転生している婚約者を、振り向かせることができるのか……!? ラブラブを望む王太子と、未来を恐れる悪役令嬢の攻防のラブ(?)コメディ。 ☆完結しました。ありがとうございました。番外編等、不定期更新です。

乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました! でもそこはすでに断罪後の世界でした

ひなクラゲ
恋愛
 突然ですが私は転生者…  ここは乙女ゲームの世界  そして私は悪役令嬢でした…  出来ればこんな時に思い出したくなかった  だってここは全てが終わった世界…  悪役令嬢が断罪された後の世界なんですもの……

悪役令嬢ですが、どうやらずっと好きだったみたいです

朝顔
恋愛
リナリアは前世の記憶を思い出して、頭を悩ませた。 この世界が自分の遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気がついたのだ。 そして、自分はどうやら主人公をいじめて、嫉妬に狂って殺そうとまでする悪役令嬢に転生してしまった。 せっかく生まれ変わった人生で断罪されるなんて絶対嫌。 どうにかして攻略対象である王子から逃げたいけど、なぜだか懐つかれてしまって……。 悪役令嬢の王道?の話を書いてみたくてチャレンジしました。 ざまぁはなく、溺愛甘々なお話です。 なろうにも同時投稿

悪役令嬢はざまぁされるその役を放棄したい

みゅー
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生していたルビーは、このままだとずっと好きだった王太子殿下に自分が捨てられ、乙女ゲームの主人公に“ざまぁ”されることに気づき、深い悲しみに襲われながらもなんとかそれを乗り越えようとするお話。 切ない話が書きたくて書きました。 転生したら推しに捨てられる婚約者でした、それでも推しの幸せを祈りますのスピンオフです。

処理中です...