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番外編

過ぎ去りし日のこと~2

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「お前もいい加減、堅物だなあ。もう少し肩の力を抜けよ」

「私は兄上のように柔軟な考えの持ち主ではないのです」

ドメーヌ伯爵邸での夜会。ガルバーニ家次期領主である兄クライブと、弟のジョルジュが酒の杯を手に語り合っていた。夜会の宴もたけなわで、クライブはほろ酔い加減で、弟のジョルジュに軽口を叩いていた。

次期公爵家当主であるクライブも、次男のジョルジュも二人ともまだ独身ということもあって、彼らは主賓なみの注目を集めている。公爵家に嫁がせたい令嬢を持つ親たちは沢山いた。

クライブ25才、ジョルジュ18才。まだあどけなさが少し残るジョルジュに、クライブはからかうように言う。

「お前も女の一人くらい、経験しとけよ」

「・・・私は兄上のように、夜の蝶を渡り歩くような真似は難しいと思います」

クライブは、楽しそうに弟のジョルジュを見つめた。この弟は、生真面目で、義理堅いが、女性には控えめ、悪く言えば、奥手で、物静かで、いつも本を読んでいるような性格だ。

ジョルジュは、そんな目の前の兄をしげしげと見つめた。同じ黒い髪に、グレーががかった瞳をしているのに、陽気で快活な様子は、それだけで、女性の気を引きそうだ。それでも、令嬢達と深く惚れた腫れたの問題を起こさないのは、一重に、兄が女性の扱いに長けているからであって。

「女の一人も口説けないでどうする。ジョルジュ」

綺麗な口元に魅惑するような微笑みを浮かべて、たきつけるように言う兄に、ジョルジュが戸惑った視線を向けていると、二人の間に着飾った女性が割り入ってきた。

「まあ、お二人で何のお話をされているの?」

社交界で絶大な人気を誇るエレーヌ・ド・ドメーヌ伯爵夫人。まだ25才という若さで、伯爵夫人に収まった彼女は、見る者全てが息をのむような美しい女性だった。

淡いブロンドの髪に、ふっくらとした白く艶やかな肌。艶のあるピンク珊瑚のような唇が薄く弧を描いて、ジョルジュに微笑みかける。彼女が纏っている薄い桃色のドレスがとてもよく似合っていて、ほっそりした腰の上には、豊かな胸が息づかいと共に上下する。まだ若いのに肉感的な印象を拭いきれない女性だった。

「ああ、ドメーヌ夫人。ご機嫌よう」

クライブがこれはこれは、と言うように眉をつり上げて挨拶すれば、彼女もまた丁寧な礼をクライブに向ける。

「こちらの方は?」

小首をかしげて、伯爵夫人は不思議そうにクライブに言う。初めて見た青年だ。クライブ様と同じ髪と目の色から言えば、ガルバーニ公爵家の人だろうと察してはいたのだが。

「ああ、弟のジョルジュです。ジョルジュ、こちらは、ドメーヌ伯爵夫人だ」

「初めておめにかかります」

ジョルジュは、差し出された手をそっと取ってから、もう一方の自分の片手を胸にあて軽く会釈をした。

なんて綺麗な人なんだろう。

こんなに美しい人を見たのは初めてだとジョルジュは思った。肖像画に残したら、きっと後世まで語り継がれるだろう。そんなジョルジュの気持ちは顔にすっかり出ていたらしい。

「おい、いくら美人とは言え、お前がそんなに見つめたら彼女が居心地悪いだろう」

クライブが笑いながら窘めるようにジョルジュに言えば、伯爵夫人は軽く笑った。

「あら、そんなことありませんわ。私、ちっとも気にしませんの」

伯爵夫人は、少し間をおいて、クライブに向けて笑った。それが媚びを売るような笑顔であったことは、まだ年若いジョルジュにはわからなかったのだが。

「ガルバーニ公爵家次期ご当主が、こんな所で油を売っていてはいけませんわ。どうぞ、令嬢たちの中にお入りになって、楽しませてあげてくださいませ」

「美しい花を目で楽しませてもらっているのは私のほうですよ。今日は、貴女のように美しい令嬢が沢山いらっしゃいますからね。ドメーヌ夫人」

軽薄ではあるけれども、審美眼が人一倍厳しいクライブは、女に対してはとても選り好みが激しい。その辺の令嬢など鼻にかけたことすらないのだ。特に、今日のような夜会では、美しい令嬢など、全くどこにも見当たらないではないか。今、自分の目の前にいるドメーヌ伯爵夫人を唯一除けば。

嘘くさい社交辞令ばかり。やっぱり社交の場は苦手だ。そんな二人の会話を聞きながら、ジョルジュは苦虫を噛みつぶしたような顔で見つめていた。こういう会話を、ジョルジュは全く好まなかった。

しかめっつらのジョルジュに面白そうな視線を向けたのが、ドメーヌ夫人だった。

「あら、ジョルジュ様は夜会を楽しんでいらっしゃらないの?」

媚びを売るような上目遣いで、長身のジョルジュを見上げるエレーヌに、クライブは片眉をつり上げて、面白そうに言う。

「この男は朴念仁でね。女の扱いなんぞ、知りたくもないらしい。そうだ。こいつに、君が教えてやってくれないかな?」

「まあ?」

面白そうにエレーヌは笑って、つぶらな瞳でジョルジュを見上げた。エレーヌは、ジョルジュの手をとり、両手で包むように触れた。

柔らかな白い手、自分を見上げる甘い視線だけで、ジョルジュは頭に血が上りそうだった。女性の手が、こんな風に柔らかいなんて、一体誰が教えてくれただろうか?

ジョルジュの母親は、彼が5才の時に鬼籍にはいった。それ以来、義母が出来る様子もなく、男ばかりの公爵家で、ジョルジュは年老いた家政婦頭以外の女性と接することがほとんどなかったと言っても良いくらいだ。

そんなジョルジュを見て、エレーヌは余裕たっぷりにくすりと笑った。

「公爵家の次期当主様から直々のお願いでは、無碍にする訳にはいきませんわね。よろしいですわ。この私が色々教えてさしあげてよ?」

それが始まりだったか。

その後、エレーヌの手練手管に迷わされて、ジョルジュがどんどんと深みにはまるまで、そう長い時間は必要なかった。広く浅くつきあうのが好きな兄クライブと違い、ジョルジュは一人の人間を深く愛するタイプの男だった。

あれから、どのくらいの月日が流れたのだろうか。その時の自分をジョルジュは苦い気持ちで思い出していた。

一人の人間を深く激しく愛する人間がいる一方、蝶のように美しい花から花へと飛び回るのを好む人間もいる。そんな二人が共にすごせば、悲惨な結果しか招かない。

エレーヌのことがあった後、それなりの経験もつみ、一人前の大人になったジョルジュは、今なら、あの出会いがそもそもの誤りであったことが、はっきりとわかる。人にはそれぞれ相性と言うものがあるのだ。

エレーヌはすでに結婚していたが、社交界では、浮気の一つや二つあったとしても、どうと言うことはない。ジョルジュと違って、クライブと同じ種類の人間であるエレーヌもまた広く浅く人を愛するタイプだったのだ。



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