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おまけ 三話〈3〉
しおりを挟むその後、避難を終えた城は見事に爆破された。
王女は引き渡され、奴隷となっていた方々は相応しい施設に送られることが決まった。しばらくは療養院で休むことになるらしい。
『爆散はお任せください!』と胸を張るノエル嬢は果てしなく得意げだった。底抜けに明るい彼女は、きっとこの二週間、ミミィの支えになってくれたことだろう。
礼を告げると『お戻りにならねば死人が出る!と思いましたので、全力を尽くしました!』と続けられたので、あとで正式な謝礼を用意せねば、と胸に誓った。
ただ、真っ先に優先するべきはミミィである。
あくまでも淡々と事後処理を終えたミミィの後に付き従いながら、俺は静かに覚悟を決めた。
◇ ◆ ◇
そういう訳で、俺は今現在、公爵家のベッドでミミィに押し倒されている。
なんでだ。
しかも両手が手枷で頭上に括られている。
なんでだ。
到底、貞淑さを誇りとする貴族令嬢がしていい振る舞いでは無いのだが、腑抜けの俺が黙って攫われたのが原因なもので、反論が許される気配はなかった。
身動きの取れない──ということになっている──俺の上で微笑むミミィだが、あのあと城から帰り、王女の振る舞いを聞き出してからすぐに、俺を風呂へと放り込んだ。
ミミィに命じられた使用人が、無抵抗の俺をまるっと綺麗にしてから、新たに用意した洋服を着せる。戻った俺を、ミミィは今度はベッドへと放り込んだ。
これは流石に駄目だろう、と思って身体を起こしかけたところで、頭上で腕が一括りにされてしまった。
俺を風呂に放り込んでいた間に別の浴室で身を清めていたらしいミミィからは、いつもの香油の匂いはしない。甘くほのかに香る程度の、柔らかい匂いがするだけだ。
常よりも薄く滑らかな作りのナイトドレスは、ゆったりとした作りでありながら、重みに従ってミミィの身体に沿う様に輪郭を作っていた。
「ミミィ、これはちょっと、駄目だ」
「なんでも、と言ったのは貴方よ」
「まだ婚前だ」
「あら、何をされると思っているの?」
艶めいた揶揄いに、俺はとりあえず口を噤んだ。
確かに、俺はまだ何をされるとも言われていない。これはミミィなりの罰の与え方で、俺の思っているようなことではないのだろう。多分。
「俺の早とちりだったかもしれない」
「そうね。ところで、王女様からは何をされたのかしら? 随分と楽しく過ごしたようだけれど」
「……さっき言った通りだ。ずっと隣に居て、変に近かっただけで、何もなかった」
「ふうん?」
誓って真実だった。けれども、響きがあまりにも嘘くさくなってしまう。二週間も密室にいた男女に何もなかっただなんて、きっとミミィ以外は信じてはくれないだろう。
ただ、ミミィは俺の潔白を信じた上で罰を与えているのだ。だから、俺がいくら言葉を重ねて弁明しようと特に意味はない。
ミミィの気の済むまで好きなようにさせよう。
なんて、物分かりのいい文言で諦めて受け入れようとしていた俺は、ミミィの白くしなやかな指先が腰の留め具にかかった瞬間────死ぬんじゃないかと思うほどの鼓動の喧しさと共に制止の声をかけていた。
「ミミィ」
「なあに?」
「駄目だ」
全然、ちっとも、これっぽっちも俺の早とちりではなかった。不味い。このままだと本当に大変なことになる。
ミミィはまるで、何も知らない箱入りの令嬢のような無垢な笑みを浮かべて小首を傾げている。ミミィの本性を知らないものが見れば、まるで天使のようだ、とでも言うだろう。実態は悪魔である。
「だって、なんでも、と言ったでしょう」
「限度がある」
「なら、初めからそんな言葉など使わなければ良かったのよ」
身を屈めたミミィが、俺の頬を撫でながら囁く。
うそつき、と響いた小さな声音には、確かに寂しさと失望を感じさせる微かな震えが籠っていた。
瞬きもなく見つめる俺の上で、ミミィは一呼吸の間でさっと表情を取り繕ってしまう。
普段と変わらぬ余裕を伴った艶やかな笑みで、ミミィは嘲笑うように囁いた。
「ああ、それとも、ダンは本当はああいう幼くて可愛らしい女の方が良かったのかしら」
手枷は後で弁償しよう、と壊してから思った。
ほんの一瞬、一欠片の思考だ。
拘束を解いた俺はミミィを乗せたまま上半身を起こすと、身を委ねるミミィを支えながら彼女をベッドへと沈めた。
ちょうど、丸っと上下をひっくり返した形になる。
「冗談でも言わないでくれ」
「嫌よ。なんでもすると言ったのだから、この程度の揶揄は聞き入れなさい」
「ミミィ」
最初、俺は謝罪を口にしよう、と思った。
なんとでもなるだろう、と軽率についていった俺が悪いのだから、当然謝るべきだ。
けれども、俺を避けるように顔を横へと逸らすミミィの揺れる瞳を見とめてすぐ、多分、俺の口の仕事は謝罪じゃないな、と思った。
艶やかな紫紺の髪を指先で払って、そっと額の端に口付ける。微かに赤く染まる耳の先と、晒された白い首筋、少し濡れた鎖骨へと続ける。
頑なに此方を向こうとしないミミィの機嫌を取るように口付ける内、シーツを掻いていた指先が、俺の手を探るようになぞった。
いつになく遠慮がちに指を絡めるミミィの手を、強く握り返す。微かに震える身体が、どうしようもなく愛おしかった。
赤い唇が、俺の名を紡ごうと薄く開く。
音となる前の吐息すら求めたくなって、飲み込むように唇を重ね──ようとしたところで、扉の外から盛大な咳払いが聞こえた。
「えー、ゴホン!! ゴホン!! エッホン!!」
ルーシェさんのものである。
思わず、ミミィと顔を見合わせてしまう。寝転んだままのミミィは、空いている方の手で手遊びのように俺の髪の先を弄びながら、とぼけるようにゆっくりと斜め上方へと視線を逸らした。
「気のせいよ、」
「オッッホン!!!! ゴホ!!」
特大の咳払いであった。明確な意思のある咳払いであった。この部屋は人払いをしてあるし、妙な見張りはいない。
見えてもいないのによく分かっている辺り、流石はルーシェさんと言ったところだろう。
ミミィは珍しく困った顔で吐息を溢すと、俺の腕から逃げるようにして滑らかにベッドを降り、淑やかな足取りで扉へと向かった。
「ルーシェ、誤解よ。何もしていないわ」
「ええ、ええ、そうでしょうとも! お嬢様は何もなさってなどおりません! ルーシェはそう信じております!!」
力強いルーシェさんの言葉に、ミミィはとうとう降参したようだった。
着替えてくるわ、と続きの部屋へと向かったミミィの着替えを手伝うように、ルーシェさんが静々とその後を追う。
去り際にほんの一瞬、ベッドへと向けられたルーシェさんの視線に、俺は叱られた子供のように縮こまってから、小さく頭を下げた。
「…………」
危なかった。
ルーシェさんが止めてくれなかったら、と思うと、背筋が凍った。冷や汗が止まらない。決闘よりも余程恐ろしかった。
シュペルヴィエル公爵家が司る属性は水である。公爵閣下の得意魔法は、周辺一帯を凍てつく氷原へと変えるほどの氷魔法である。
大事な一人娘に婚前に手を出したとあれば、俺など簡単に氷像へと変えられてしまうだろう。というより、このラインでももはや半分くらいは凍らされるかもしれない。こう。下半分を。
どうやって言い訳したものか、と思いながら一人反省会を開いていた俺だったが、特にその後のお咎めはなかった。
週に一度の茶会でも、特に態度や距離が咎められることもなかった。ルーシェさんは全面的にミミィの味方なので、多分黙っていてくれたんだろう。
ほっとしたのも束の間。
その後の俺にはどうにもならない問題が浮上してしまった。予想通りだ。本当に大変なことになってしまった。
「あら、どうしたの、ダン。今日はやけに熱心に見つめてくるのね?」
「…………なんでもない」
艶やかに機嫌良く笑うミミィから目を逸らしながら、俺はひたすらに頭の中で魔素の基本要素を唱えていた。
世の男性はこれをどうやって堪えているのだろう。もはや絶望すら覚える。
とりあえず、今度研究部に行った時に部長にでも聞いてみようか、と思った。
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ありがとうございます😊 楽しんでいただけたなら何よりです!