悪辣姫のお気に入り

藍槌ゆず

文字の大きさ
上 下
23 / 27

おまけ 二話〈2〉

しおりを挟む

「────ああ! ダニエル様! お待ちしておりましたわ……!」

 連れられた城で、俺は見知らぬ女性に出迎えられた。長い黒髪と緋色の瞳が特徴的な、少し幼い顔立ちの女性だ。
 少なくとも、俺は顔を合わせたことはないし、記憶にもないので貴族でもない。
 そもそも魔族の術式を使っている時点で面識がなくて当然なのだが、あんまりにも親しげな笑みを浮かべているから、一瞬何処かで会ったことがあったか、と思ってしまった。
 無い。さっぱり無い。

「お会いしとうございました、ダニエル様! どうかわたくしのことは、アリアと呼んでくださいませ……」

 ただそうなると、彼女がやたらと此方に好意的な態度を取っていることに疑問が湧く。
 俺はてっきり、此処で『お前がミシュリーヌ・シュペルヴィエルの飼い犬か』と嘲笑でもされて、身柄と引き換えにミミィに何か取引を持ちかけるつもりだと思っていたのだが。

 そういえば、最近は称号が『騎士』に変わったのだったか、などと思った辺りで、俺を連れてきた少年が悲痛な叫び声を上げた。

「サラはどこだ! こいつを連れてきたら助けてくれるんじゃなかったのか!」

 此方を見上げていた緋色の瞳が少年に向かうと同時に、俺は彼を突き飛ばすようにして立ち位置を奪った。

 腹部への衝撃の後に、ぐっと息が詰まる。視界には、女の手に握られた豪奢な扇が映っている。
 反射的に風魔法で防壁を貼ったが、魔術式が異なるせいか、普段ほど防ぎ切れてはいないようだった。

「ああ! いけませんわ、ダニエル様っ!」

 堪え切れずに咳き込めば、悲痛な声を上げた女は膝をついた俺にわざとらしく寄り添った。

「こんな小汚い孤児を庇って怪我をなさるだなんて……やはり貴方様は清らかで美しいお方! あんな毒婦に誑かされて……おいたわしや……」

 毒婦、というのはミミィのことだろうか。訂正して欲しいが、恐らく俺がそれを口にすれば少年の首は腐り落ちてしまうに違いない。
 この女は、先ほど確かに子供には過ぎた暴力を振るおうとした。

「……誰なんだ、貴方は」
「わたくしはアリアーデ・キナ・エルビルパシュ、この魔界の王女ですわ。そして貴方様はわたくしの夫となり、魔界の王となる御方! そこのお前、この方の慈悲に感謝して平伏なさい。無礼な奴隷の身まで案じて下さる方でなければ、お前の首などとうに落としているのよ!」

 目眩がする思いだった。
 道を歩いていただけで、魔界の王女に攫われて婚約者にされそうになっている。

 口振りから察するに、彼女はミミィを知っている。知った上で、奪っても構わないと判断したのだ。
 それは魔族故の傲慢さなのか、王女ゆえの傲慢さなのか、それとも彼女個人が持ち合わせたものなのか、俺には分からない。
 ただ一つ言えるのは、ミミィが知ったら、とんでもなく怒るだろうな、ということくらいだ。

「こんな奴隷など放っておいて、わたくしとお話ししましょう? アリアのことを知ってくださいな」
「……彼は奴隷なのか? 人間は奴隷制を禁じている。貴方の振る舞いは、不愉快だ」

 口答えをすることで場が不利になることは考えた。だが、俺にだって我慢のならないことはある。

 目を見開いた王女は、両手を握り合わせると、わざとらしく目を潤ませた。

「申し訳ありません、ダニエル様! ですが、魔族は奴隷を禁じてはおりませんの。此処は魔界ですのよ、貴方は魔界の王になるのだから、早く慣れて頂きませんと」

 ひとつ、話が通じないのはよく分かった。
 やるせないことに、俺はこの類の手合いに対して有効な手段を持っていない。

 仮にミミィが俺の立場なら、言葉巧みに籠絡して、国を丸ごと乗っ取っているだろう。
 そして『囚われの姫』をやってみるのも面白そうだ、と俺を待つに違いない。

「…………だが、貴方は俺の妻になるのだろう。だったら俺の言うことを聞くべきだ」

 ミミィに聞かれたら俺ごと殺されるかもしれない、と思うと割と冷や汗が出た。
 目の前の魔族より、ミミィの方が余程恐ろしい。殺されるかもしれない。いや、本当に。殺されるかもしれない。

 けれども、今のこの場で、最も権力を持つ彼女に対して行動を諌める方法があるとしたら、彼女が俺に持つ不気味な好意を利用することだけだった。

 王女は何やら恍惚とした表情で、熱のこもった視線を俺へと向ける。

「アリアと婚約を結んでくださるのですね……! ああ、やはり運命の相手というものは、一目で惹かれ合うものなのですわ! うふふ、やはりダニエル様は、アリアの聖騎士様です……」

 うっとりと呟いた王女は飛びつくように俺に抱きつくと、満足した様子でそれ以上少年に構うことはなかった。
 余計なことは喋らないでくれ、という思いを込めて、少年へと目をやる。
 突き飛ばされたまま呆然と固まっていた少年は、俺が視線に込めた意図を察してくれたのか、それ以上は何も言うことなく、存在感を消すようにじっと推し黙った。

「お部屋にいらしてくださいな。ダニエル様のために御用意しましたの」

 ミミィは、自分の所有物に要らぬ傷がつけられることをひどく嫌う。
 もちろん身体的な実害も含めるが、婚約者という立場である俺にとっての『傷』というのは、要するに他の女に関係を迫られ、不義の子を成すことだろう。

 王女と名乗っただけあるのか、行為については婚儀の後にしましょう、となんだか恥じらいつつ言われた。
 安堵と嫌悪が斑らに混ざった、なんとも言えない不快感を伴った感情が浮かぶ。

 王女は俺を一室へと案内して手枷をかけると、傷の治療をすると言って医師か何かを呼びに行った。

「…………参ったな」

 心からの言葉だった。

 脱出そのものは出来なくはない。人的被害を少しも頭に入れなければ、の話だが。
 少年の呪縛は、かけた術者が死ねば解けるような代物ではない。むしろ魔導師が死んだことで厄介な性質を露わにし、更に苦しめることすら有り得る。

 加えて言えば王都に戻る方法が現状見当たらない。その上、あの少年は自分の命以外にも人質に取られた大切な人がいるようだ。
 サラ、という人は何処に監禁されているのだろう。無事だといいんだが。

 それに、他にも捕えられている人達がいるかもしれない。
 魔族内で奴隷が居るのは、まだ彼らの価値観なのだから口を出す道理がないが、人間を攫ってきて奴隷にしているのは問題だろう。
 下手したら魔族対人間の戦争の火種にだって成り得るし。

 なんとも頭の痛い話だ。
 大体にして、彼女はどうして俺を選んだのだろうか。

 疑問には、その夜に答えを与えらえた。一冊の本を手に部屋へとやってきた王女は、夢見る少女のような顔で、熱を帯びた白い頬を緩めながら『聖なる騎士の伝説』について語った。

 誠実にして清廉、完璧な白の騎士は、悪の手によって城に囚われた王女を救い、二人は恋に落ちるのだ。どうもその『白の騎士』の絵姿が、俺に似ているらしい。
 こういうのは本来、類まれな美丈夫とかが描かれるものではないのだろうか。なんてことをしてくれたのだろう。俺は見も知らぬ画家をひっそりと恨んだ。

 そもそも、この場合は俺が『囚われの姫』だ。姫って顔でもないが。
 丁寧に整えられた漆黒の城で、もてなされるかのようにして監禁されている。豪奢な調度品に囲まれ暮らす様は、確かに王族に相応しい華やかさだ。

 だが、そこには妙な違和感があった。
 彼女は、本当にこの国の正当な王女だろうか?

 王族が暮らす城にしてはあまりに護衛らしき存在が少ない。
 そもそも、いくら王女が望んだとはいえ、魔族には魔族の正当な血筋というものがある筈だ。
 俺のような人間を軽率に城に招き入れ、あまつさえ結婚したいだなんて、国王が許すとは思えなかった。

 けれども、多数の奴隷を抱え、彼らを魔法で脅し、命を盾にこき使っているという事実は変わらない。
 サラというのは、少年の妹なのだそうだ。兄妹二人、母を亡くして、もとより愛情に欠けていた父に売られて此処まで辿り着いてしまったらしい。
 二日目の夜、王女が『買い物』をした時の話で聞いた。

 少年やサラという人に手を出さないように、という言葉には従う素振りを見せたが、彼女はそれ以外の言葉はほとんど取り合おうとはしなかった。
 結局のところ、彼女も憂さ晴らしに使える奴隷を早々に処分するつもりはないから、俺の言うことを聞いたふりをしているだけなのだろう。

 もし此処にミミィが居たのなら、一瞬で魔力によって効果を上書きして食い止めた後、治療に当たることが出来るのだが。
 ただ、この状況で、俺を攫うのに加担した人間をミミィが助けてくれるとも思えない。俺を傷つけることは、ミミィの矜持を傷つけることと同義だ。

 不得手ではあるし時間がかかるが、少年を助けるのは、気づかれないように気を払いつつ俺がやるしかないだろう。

 この生活が長引けば長引くほど、ミミィの怒りを収めるのは難しくなる。なんとか言って止めたいが、その言葉が見つからない。
 ミミィは俺の不義を疑ったりはしないだろうが、怒りを覚えるか否かは別だし、それを我慢してくれるかどうかも別である。
 どうにかして、ミミィが辿り着く前に、俺が彼らを救わねばなるまい。でないと、みんなまとめて火の海で屍人と踊る羽目になる。

 ……参ったな。
 どうして俺は敵ではなく味方の、それも愛する婚約者への対処で頭を悩ませているのだろう。
 なんとも難しい問題だった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました

杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」 王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。 第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。 確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。 唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。 もう味方はいない。 誰への義理もない。 ならば、もうどうにでもなればいい。 アレクシアはスッと背筋を伸ばした。 そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺! ◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。 ◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。 ◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。 ◆全8話、最終話だけ少し長めです。 恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。 ◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。 ◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03) ◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます! 9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!

精霊の落とし子は、ほんとにあんまりやる気がない。

藍槌ゆず
恋愛
「此処は物語の世界なの。私はいずれ断罪されて幽閉された後、孤独と飢えの中で死んでしまう悪役令嬢なのよ」  ある日、幼馴染のマリーディアは、なんともとち狂ったことを呟いた。  ロバートは知っている。この世界は物語なんてものではない。  もっと理不尽で窮屈でつまらなくて、それでいて愛しい世界だ。だってマリーがいるのだから。  愛する幼馴染のため、ロバートはひとまず彼女の婚約者となることにする。  いつかマリーが自分より好きな人ができたら、いつだって身を引く所存だ。  だって、僕より素晴らしい人は五万といるのだし。  僕はマリーが好きだけれど、マリーは断罪を恐れているだけで、避難のための婚約なのだし。  ロバートはマリーが幸せになれるなら、それでちっとも構わなかった。  一方のマリーはといえば。  ロバートがいつか『本物の恋』に落ちてしまって、自分をお飾りの妻にしてしまったらどうしようか、と不安に駆られていた。  だって、自分よりも余程素晴らしい令嬢はこの世に五万といるのだし。  ロバートは幼馴染の自分を哀れに思って助けてくれただけで、そこにあるのは親愛でしかないのだし。  なんて考えている素朴フェイスの強強ぼんやり主人公と、悪役やるにはちょっと向いてない小心者な美貌の公爵令嬢が、紆余曲折を経て無事に思いを確かめ合う話。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】恋人との子を我が家の跡取りにする? 冗談も大概にして下さいませ

水月 潮
恋愛
侯爵家令嬢アイリーン・エヴァンスは遠縁の伯爵家令息のシリル・マイソンと婚約している。 ある日、シリルの恋人と名乗る女性・エイダ・バーク男爵家令嬢がエヴァンス侯爵邸を訪れた。 なんでも彼の子供が出来たから、シリルと別れてくれとのこと。 アイリーンはそれを承諾し、二人を追い返そうとするが、シリルとエイダはこの子を侯爵家の跡取りにして、アイリーンは侯爵家から出て行けというとんでもないことを主張する。 ※設定は緩いので物語としてお楽しみ頂けたらと思います ☆HOTランキング20位(2021.6.21) 感謝です*.* HOTランキング5位(2021.6.22)

気付いたら攻略対象者の妹でした【リメイクver】

小梅
恋愛
私、紫之宮 春の4歳の誕生日。 私は階段から足を滑らして転んでしまい頭を強打。気を失ってしまった。ベットの上で目を覚ましたら、前世で大人気だった乙女ゲームの攻略対象者の妹(モブ)になっていた事を思い出す。 複数いる攻略対象者の一人、紫之宮 奏の妹(モブ)である私は平凡な生活の為に目立たないよう静かに大人しく暮らす事を決意する。 それなのになぜか気付いたら攻略対象者である兄に、幼馴染達に執着されていた!? 一体どうして!? あなた達、ヒロインさんはどうしたんですか!? ※『気付いたら攻略対象者の妹(モブ)でした』を加筆修正したリメイクverになります。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

【完結】あなたに従う必要がないのに、命令なんて聞くわけないでしょう。当然でしょう?

チカフジ ユキ
恋愛
伯爵令嬢のアメルは、公爵令嬢である従姉のリディアに使用人のように扱われていた。 そんなアメルは、様々な理由から十五の頃に海を挟んだ大国アーバント帝国へ留学する。 約一年後、リディアから離れ友人にも恵まれ日々を暮らしていたそこに、従姉が留学してくると知る。 しかし、アメルは以前とは違いリディアに対して毅然と立ち向かう。 もう、リディアに従う必要がどこにもなかったから。 リディアは知らなかった。 自分の立場が自国でどうなっているのかを。

わたしの旦那様は幼なじみと結婚したいそうです。

和泉 凪紗
恋愛
 伯爵夫人のリディアは伯爵家に嫁いできて一年半、子供に恵まれず悩んでいた。ある日、リディアは夫のエリオットに子作りの中断を告げられる。離婚を切り出されたのかとショックを受けるリディアだったが、エリオットは三ヶ月中断するだけで離婚するつもりではないと言う。エリオットの仕事の都合上と悩んでいるリディアの体を休め、英気を養うためらしい。  三ヶ月後、リディアはエリオットとエリオットの幼なじみ夫婦であるヴィレム、エレインと別荘に訪れる。  久しぶりに夫とゆっくり過ごせると楽しみにしていたリディアはエリオットとエリオットの幼なじみ、エレインとの関係を知ってしまう。

処理中です...