悪辣姫のお気に入り

藍槌ゆず

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[ミシュリーヌ視点] 前③

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 それから幾度かオルゴールを通して会話を重ねたけれど、私は一度もダンには名乗らなかった。
 公爵家の娘であることを伝えて何か面倒が起こるのを避けたかったというのもあるし、単純に、私が名乗ってあげる程の価値をまだ見出していなかったのだ。
 会話への反応は悪くない。此方の言うことを素直に聞くのも好感が持てる。ただ、圧倒的に知識量が不足していた。あと十年もすれば困窮しかねない伯爵家が次男であるダンにまで教育を施す余裕はないのだろうけれど、それにしたって放置が過ぎた。

 二週間が経つ頃には、オルゴールを通しての会話は大半が私の所有する書物の朗読になっていた。単に本を薦めるだけだと、グリエット家には手に入れることが難しかったのだ。
 どうしてそこまでしてやったのかと言えば、単にダンが読み聞かせた本の内容に対して口にする指摘を聞くのが楽しかったから、でしかない。

『しょくぶつは、そとからそそぎこめば まほうぞくせいが かわったりもするよね? どうしてにんげんは うまれつき きまってるんだろう。そとがわから かえられたりしないのかな』

 昔(といっても一、二年前だけれど)の私が気に留めた箇所と同じ部分を気にして考え込む姿が何だか妙に可愛く見えたのだ。
 その日は時間の許す限り、人間に生来備わった魔法属性を変える方法について話し合った。その分野に関しては後々私の魔法属性を誤魔化す必要も出てくるだろうと研究し始めていたので、ついつい熱が入ってしまった。

 オルゴールを閉じた後、大きく息を吐いて冷えた水に口をつける。

「たくさん はなすと、ほんをよむときより のどがつかれるわね」

 次はどの本を読み聞かせようかしら、なんて考えながら本棚を見上げた私の横で、ルーシェが微笑んでいる。
 目をやれば、何だかバツが悪そうに視線を逸らされた。

「なあに? いいたいことがあるなら はっきりいいなさい」
「……いえ、…………その、お嬢様が楽しそうで良かった、と思っただけです」

 一度言い淀んだルーシェは、やや躊躇いつつも喜色を滲ませる声で明瞭に口にした。小さくはにかむように笑ったルーシェの目に、少しばかり惚けた顔の私が映っている。
 傍目から見ても分かるほどに楽しそうだったのかしら、私。
 喋りすぎて軽く痛む喉を水で潤しつつ、頬を摩る。グラスを持って冷えた手のひらは、熱くなった頬には丁度良かった。



 そうして、読み聞かせを続けて半年が過ぎた頃、私は再びやってきた行商人から、件のオルゴールについて『一つの問題点』を聞いた。

 なんでも、オルゴールには使用期限があるのだそうだ。
 希有な高レベルアイテムであり使用例が少なすぎる為に判明するまでに時間がかかってしまったが、どうもこのオルゴールは初めの使用から一年ほど経つと、オルゴールで会話した相手を忘却してしまうらしい。
 それまでに実際に見つけた相手に会えばその記憶は消えない。あくまでも消えるのは『オルゴールで会話をした相手』の記憶だ。

 大抵は『望んだ相手』が見つかり相性さえ良ければ直ぐに会おうとするものだから、問題にもならなかったようだ。更に言えば、『会えない』相手であるのならそのまま忘れてしまった方が良いに決まっている。
 全く、要らぬお節介を焼いてくれるオルゴールだ。
 魔力量さえ足りているのならば忘却に対抗することも出来る、とチェレギンは口にしたが、生来膨大な魔力を持つ私ならば兎も角、ダニエル・グリエットが対抗出来る魔力量を得るには到底半年では足りないだろう。そして、父に無茶を通すには、私の足場は未だ些か心許なかった。
 確認不足について謝罪を口にする行商人――チェレギンから幾つか高額商品を安値で買い取りつつ、私はグリエット家と婚約を結ぶ方法について考えてばかりいた。

 このまま順当に成長すれば、私は第一王子もしくは第二王子の婚約者になる。
 私が『駒として立派に使える』と知っている父は、王家との繋がりを作ることも当然選択肢に入れているだろう。一旦王族の婚約者となってしまえば、後々婚約を破棄するのは絶望的だ。公爵家との政略結婚ですら契約としては強い拘束力を持つのだ、王族相手など、少なくとも適齢期の間に破棄する力を蓄えることなど出来ない。
 どうにかしてダニエル・グリエットと婚姻を結んでしまうしかない。『後で容易く破棄が出来る相手』となら、一旦婚約を結ばせてくれる可能性もなくはなかった。
 私がダンとの婚約を無理に取り付けたとしても、『資金援助の申し出の為に次男を差し出したグリエット家』というレッテルさえ貼ってしまえば、いざというときには不始末でも捏造して此方側から破棄を出来る――と父は考えるだろう。

 それまでにダンを父が認めるほどの男にしてしまえば、あとは私の方でどうとでもしてみせる。一番不味いのは、本当に『資金援助の為』にダンが私以外の令嬢と婚約を結んでしまうことだ。
 我が国では貴族の婚約は大抵、七歳程度で結ばれる。魔力が殆ど安定し、基礎魔法の扱いを覚えた頃だ。あと二年半あるが、既に話は出ている可能性もある。
 動くのは早いほうが良いだろう。考えを纏めるべく黙り込んでいた私が顔を上げると同時に、チェレギンが些か胡散臭い顔に愛想笑いを浮かべた。

「……ミシュリーヌ様。ワタシはそろそろこの辺で、お暇させて頂いてもよろしいですか?」
「すこし まってちょうだい。……そうね、あなたにひとつ、たのみごとをしようかしら」
「おや、頼み事ですか? 貴方様がワタシに?」
「ええ、このはんとしで かんせいしたものが いくつかあるのよ。うりあげのはんぶんは もっていってかまわないから、あなたをとおして うりさばいてくれない?」

 戸棚の隠し部屋の奥からルーシェに運ばせた魔導具を幾つか並べれば、チェレギンは商売の臭いを感じ取ったのか、片眼鏡を押し上げながら楽しげに笑った。
 大陸内でも数人居るかどうか、という『鑑定スキル』持ちの彼に認められた商品は恐ろしいほどの高値で売れる。前々から試作品を見せては改良を重ねていた魔導具たちは、少なくとも機能にも耐久性にも問題は無いはずだ。

「ふむ、これなら……そうですねえ、三万ケトスで買い取りましょう」
「ふうん? きまえがいいのね」
「そりゃあ、そうでしょう。此処まで精度の高い魔石研磨機は見たことがありません、ワタシが使いたい程です。此方の保管用ケースも素晴らしいですね、魔力の拡散を極限まで抑えている……輸送用に最適かと」
「もしかしてあなた、ぜんぶ じぶんでつかうつもりで かいとったのかしら」
「量産の許可を頂けるなら作りますがね、まあ、その辺りはお好きなように。ワタシはあくまで行商人です、工場を持つ気はありませんので」

 あっさりと三万ケトスを支払える程度には懐が潤っているらしい。金貨の入った袋を手渡したチェレギンは追加で作成した物があればまた買い取る旨を伝えると、いつものように夢馬レーヴに乗って去って行った。
 高レベル鑑定スキル持ちのチェレギン相手には、私の属性は筒抜けだし、それは父も了承済みだ。身を隠す必要も無く話せる相手が居るのは気晴らしにもなるし、彼は単純に人脈としてこれ以上無いほどに優秀で助かる。
 先代の頃から懇意にしている商人ということである程度好きに屋敷を出入りしているし、少なくともこれは『正当な金』として扱われるだろう。

「……これをどうにかして、じゅうばいくらいには したいわね」
「三十万ケトスですか? どうしてまた……」
「いざというときは いえをでることも かんがえているもの」
「えっ、お、お嬢様、そんなことをすればシュペルヴィエル家の血は、」
「そんなの、わたしのしったことではないわ。それに、おかあさまだって まだおわかいのだし、どうとでもなるでしょう」
「ど、どうとでも、と言われましても……」

 狼狽えるルーシェが可哀想になってきたので、「いざというとき、のはなしよ」と繰り返して置いた。そう、本当に、いざというときの話である。
 これから先、私の邪魔をするような真似をするならば正面から――――いえ、どんな手を使ってでも障害を排除してみせる。それだけの決意と衝動が、その時の私の胸にはあった。

 要するに、私は『もうダニエル・グリエットと話せなくなる』となったところで漸く、自分が彼を失いがたく思い、何よりも大事だと思える程に愛情を注いでいることに気づいたのだ。


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