9 / 27
[ミシュリーヌ視点] 前③
しおりを挟むそれから幾度かオルゴールを通して会話を重ねたけれど、私は一度もダンには名乗らなかった。
公爵家の娘であることを伝えて何か面倒が起こるのを避けたかったというのもあるし、単純に、私が名乗ってあげる程の価値をまだ見出していなかったのだ。
会話への反応は悪くない。此方の言うことを素直に聞くのも好感が持てる。ただ、圧倒的に知識量が不足していた。あと十年もすれば困窮しかねない伯爵家が次男であるダンにまで教育を施す余裕はないのだろうけれど、それにしたって放置が過ぎた。
二週間が経つ頃には、オルゴールを通しての会話は大半が私の所有する書物の朗読になっていた。単に本を薦めるだけだと、グリエット家には手に入れることが難しかったのだ。
どうしてそこまでしてやったのかと言えば、単にダンが読み聞かせた本の内容に対して口にする指摘を聞くのが楽しかったから、でしかない。
『しょくぶつは、そとからそそぎこめば まほうぞくせいが かわったりもするよね? どうしてにんげんは うまれつき きまってるんだろう。そとがわから かえられたりしないのかな』
昔(といっても一、二年前だけれど)の私が気に留めた箇所と同じ部分を気にして考え込む姿が何だか妙に可愛く見えたのだ。
その日は時間の許す限り、人間に生来備わった魔法属性を変える方法について話し合った。その分野に関しては後々私の魔法属性を誤魔化す必要も出てくるだろうと研究し始めていたので、ついつい熱が入ってしまった。
オルゴールを閉じた後、大きく息を吐いて冷えた水に口をつける。
「たくさん はなすと、ほんをよむときより のどがつかれるわね」
次はどの本を読み聞かせようかしら、なんて考えながら本棚を見上げた私の横で、ルーシェが微笑んでいる。
目をやれば、何だかバツが悪そうに視線を逸らされた。
「なあに? いいたいことがあるなら はっきりいいなさい」
「……いえ、…………その、お嬢様が楽しそうで良かった、と思っただけです」
一度言い淀んだルーシェは、やや躊躇いつつも喜色を滲ませる声で明瞭に口にした。小さくはにかむように笑ったルーシェの目に、少しばかり惚けた顔の私が映っている。
傍目から見ても分かるほどに楽しそうだったのかしら、私。
喋りすぎて軽く痛む喉を水で潤しつつ、頬を摩る。グラスを持って冷えた手のひらは、熱くなった頬には丁度良かった。
そうして、読み聞かせを続けて半年が過ぎた頃、私は再びやってきた行商人から、件のオルゴールについて『一つの問題点』を聞いた。
なんでも、オルゴールには使用期限があるのだそうだ。
希有な高レベルアイテムであり使用例が少なすぎる為に判明するまでに時間がかかってしまったが、どうもこのオルゴールは初めの使用から一年ほど経つと、オルゴールで会話した相手を忘却してしまうらしい。
それまでに実際に見つけた相手に会えばその記憶は消えない。あくまでも消えるのは『オルゴールで会話をした相手』の記憶だ。
大抵は『望んだ相手』が見つかり相性さえ良ければ直ぐに会おうとするものだから、問題にもならなかったようだ。更に言えば、『会えない』相手であるのならそのまま忘れてしまった方が良いに決まっている。
全く、要らぬお節介を焼いてくれるオルゴールだ。
魔力量さえ足りているのならば忘却に対抗することも出来る、とチェレギンは口にしたが、生来膨大な魔力を持つ私ならば兎も角、ダニエル・グリエットが対抗出来る魔力量を得るには到底半年では足りないだろう。そして、父に無茶を通すには、私の足場は未だ些か心許なかった。
確認不足について謝罪を口にする行商人――チェレギンから幾つか高額商品を安値で買い取りつつ、私はグリエット家と婚約を結ぶ方法について考えてばかりいた。
このまま順当に成長すれば、私は第一王子もしくは第二王子の婚約者になる。
私が『駒として立派に使える』と知っている父は、王家との繋がりを作ることも当然選択肢に入れているだろう。一旦王族の婚約者となってしまえば、後々婚約を破棄するのは絶望的だ。公爵家との政略結婚ですら契約としては強い拘束力を持つのだ、王族相手など、少なくとも適齢期の間に破棄する力を蓄えることなど出来ない。
どうにかしてダニエル・グリエットと婚姻を結んでしまうしかない。『後で容易く破棄が出来る相手』となら、一旦婚約を結ばせてくれる可能性もなくはなかった。
私がダンとの婚約を無理に取り付けたとしても、『資金援助の申し出の為に次男を差し出したグリエット家』というレッテルさえ貼ってしまえば、いざというときには不始末でも捏造して此方側から破棄を出来る――と父は考えるだろう。
それまでにダンを父が認めるほどの男にしてしまえば、あとは私の方でどうとでもしてみせる。一番不味いのは、本当に『資金援助の為』にダンが私以外の令嬢と婚約を結んでしまうことだ。
我が国では貴族の婚約は大抵、七歳程度で結ばれる。魔力が殆ど安定し、基礎魔法の扱いを覚えた頃だ。あと二年半あるが、既に話は出ている可能性もある。
動くのは早いほうが良いだろう。考えを纏めるべく黙り込んでいた私が顔を上げると同時に、チェレギンが些か胡散臭い顔に愛想笑いを浮かべた。
「……ミシュリーヌ様。ワタシはそろそろこの辺で、お暇させて頂いてもよろしいですか?」
「すこし まってちょうだい。……そうね、あなたにひとつ、たのみごとをしようかしら」
「おや、頼み事ですか? 貴方様がワタシに?」
「ええ、このはんとしで かんせいしたものが いくつかあるのよ。うりあげのはんぶんは もっていってかまわないから、あなたをとおして うりさばいてくれない?」
戸棚の隠し部屋の奥からルーシェに運ばせた魔導具を幾つか並べれば、チェレギンは商売の臭いを感じ取ったのか、片眼鏡を押し上げながら楽しげに笑った。
大陸内でも数人居るかどうか、という『鑑定スキル』持ちの彼に認められた商品は恐ろしいほどの高値で売れる。前々から試作品を見せては改良を重ねていた魔導具たちは、少なくとも機能にも耐久性にも問題は無いはずだ。
「ふむ、これなら……そうですねえ、三万ケトスで買い取りましょう」
「ふうん? きまえがいいのね」
「そりゃあ、そうでしょう。此処まで精度の高い魔石研磨機は見たことがありません、ワタシが使いたい程です。此方の保管用ケースも素晴らしいですね、魔力の拡散を極限まで抑えている……輸送用に最適かと」
「もしかしてあなた、ぜんぶ じぶんでつかうつもりで かいとったのかしら」
「量産の許可を頂けるなら作りますがね、まあ、その辺りはお好きなように。ワタシはあくまで行商人です、工場を持つ気はありませんので」
あっさりと三万ケトスを支払える程度には懐が潤っているらしい。金貨の入った袋を手渡したチェレギンは追加で作成した物があればまた買い取る旨を伝えると、いつものように夢馬レーヴに乗って去って行った。
高レベル鑑定スキル持ちのチェレギン相手には、私の属性は筒抜けだし、それは父も了承済みだ。身を隠す必要も無く話せる相手が居るのは気晴らしにもなるし、彼は単純に人脈としてこれ以上無いほどに優秀で助かる。
先代の頃から懇意にしている商人ということである程度好きに屋敷を出入りしているし、少なくともこれは『正当な金』として扱われるだろう。
「……これをどうにかして、じゅうばいくらいには したいわね」
「三十万ケトスですか? どうしてまた……」
「いざというときは いえをでることも かんがえているもの」
「えっ、お、お嬢様、そんなことをすればシュペルヴィエル家の血は、」
「そんなの、わたしのしったことではないわ。それに、おかあさまだって まだおわかいのだし、どうとでもなるでしょう」
「ど、どうとでも、と言われましても……」
狼狽えるルーシェが可哀想になってきたので、「いざというとき、のはなしよ」と繰り返して置いた。そう、本当に、いざというときの話である。
これから先、私の邪魔をするような真似をするならば正面から――――いえ、どんな手を使ってでも障害を排除してみせる。それだけの決意と衝動が、その時の私の胸にはあった。
要するに、私は『もうダニエル・グリエットと話せなくなる』となったところで漸く、自分が彼を失いがたく思い、何よりも大事だと思える程に愛情を注いでいることに気づいたのだ。
0
お気に入りに追加
291
あなたにおすすめの小説
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめる事にしました 〜once again〜
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【アゼリア亡き後、残された人々のその後の物語】
白血病で僅か20歳でこの世を去った前作のヒロイン、アゼリア。彼女を大切に思っていた人々のその後の物語
※他サイトでも投稿中
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛
らがまふぃん
恋愛
こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。
*らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
少し先の未来が見える侯爵令嬢〜婚約破棄されたはずなのに、いつの間にか王太子様に溺愛されてしまいました。
ウマノホネ
恋愛
侯爵令嬢ユリア・ローレンツは、まさに婚約破棄されようとしていた。しかし、彼女はすでにわかっていた。自分がこれから婚約破棄を宣告されることを。
なぜなら、彼女は少し先の未来をみることができるから。
妹が仕掛けた冤罪により皆から嫌われ、婚約破棄されてしまったユリア。
しかし、全てを諦めて無気力になっていた彼女は、王国一の美青年レオンハルト王太子の命を助けることによって、運命が激変してしまう。
この話は、災難続きでちょっと人生を諦めていた彼女が、一つの出来事をきっかけで、クールだったはずの王太子にいつの間にか溺愛されてしまうというお話です。
*小説家になろう様からの転載です。
わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。
踏み台令嬢はへこたれない
三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」
公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。
春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。
そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?
これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。
「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」
ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。
なろうでも投稿しています。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる