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「無意識に零れる言葉の端々に、かの『魔王』の存在が滲むようになりました。ヨゼフ様はお優しい方ですから、自分が魔王を打ち倒したことによって魔族の生活が崩壊していくことで自責の念に苛まれているのだろう、と思ってはいたのですが……先日のあの激昂が気になりまして」
『…………』
「ヨゼフ様は勇者であり、彼の方の活躍によって人族大陸《ミュステン》の地は再び聖の力を取り戻し、停滞していた魔力《マナ》は再び強く回り始めました。魔族の地も、人族の地も十年もすればこれまでより活きた物へと変わるでしょう。
 彼のしたことはこの世界の為になることです。三百年統治し続け、魔族を治めた王は、たとえそれによって彼らの生活が守られていたとしても、いずれは滅ぼされなければならなかった。勇者が歴史にない頻度で産まれたことからもそれは充分に察せられてます」
『…………』
「世界に望まれた勇者であるヨゼフ様は、勿論類い希なる慈愛の心をお持ちです。ですが、それだけで彼処まで魔王を庇うような言葉が口をついて出るでしょうか? 何が言いたいのか分からない、というお顔をされていますね、可愛らしい猫さん」

 ぺたりと降りた耳をくすぐるアリシア殿下の指はひどく優しい。生き物を慈しむことを知っている者の手つきだ。
 彼女が俺に危害を加えようとして触れている訳ではないのは、その指先に宿る神力からも伝わってくる。しかしそれでも、内心の俺の冷や汗と、警戒に膨らんだ体毛は隠しようがなかった。

「魔族の者には、相手の精神に干渉し思うままに操るものが居るそうですね。そして、彼の魔王は魔族にしては珍しく民を慮り、弱き者には愛されていた。勇者に討たれたことよりも、きっと良き統治者であった彼が民に疎まれていたことの方が悲しかったに違いありません。故に、敬愛する魔王の無念を晴らそうと、勇者の口を使って魔族を糾弾するものが現れてもおかしくはない……と考えているのですよ、私は」
『…………』
「だんまりですねえ、猫さん。ヨゼフ様が貴方が大層お気に入りで、日頃は可愛らしく街の者とお話ししていて非常に人懐こいともお聞きしていたのですが……もしかして私のことが嫌いですか? ふふ、そうですよね、『お前は魔族の手先か』などと尋ねているようなものですから」

 にこやかに語るアリシア殿下の目に浮かんでいるのは確信だった。疑惑の目ではない。彼女は、俺が魔族か、それに類するものであると確信した上で王城に連れてきたのだ。
 そして、わざわざ神子の命令で俺と二人きりになれるような部屋まで用意して、俺の正体を突き止めようとしている。俺が、何かよからぬ手段でヨゼフの精神を汚染したと判断したからだ。

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