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運命の出会い 3
しおりを挟む医師たちはできる限りの手立てを尽くし、どうにか命は取りとめた。だが、依然リデルの意識は戻らないまま、一週間が過ぎようとしている。
その間テオドールは、昼も夜も、リデルの部屋の前から決して離れようとせず、ヘイゼルはそれを許し、誰も何も言わなかった。
あの場に居合わせたアルファは皆、気づいていた。――テオドールとリデルは運命の番であると。
ヘイゼルに『食わねばここから放り出す』と言われ、運ばれた食事を口にするようにはなったが、夜眠る時ですら扉の前に座って僅かな仮眠をとるだけ。
幽鬼のようにただ呆然と立ち竦んでいるように見えるが、それでもテオドールは、ここに来るのを許された者以外は決して部屋には近づけなかったため、十分に護衛の役目は果たしているとは言えた。
毎日のように見舞いに来ていたミリアムもそれを黙認はしていたが、今朝はとうとう、風呂にも入らず着替えすらしていないテオドールに、臭いと顔を顰めた。
そうして――今日はいつもより早く扉が開いて、ミリアムは初めてテオドールに声を掛けた。
「中に入れてあげるから――すぐに身体を浄めて身綺麗にしてきなさい」
「で……すが」
傷つけられたオメガにアルファの気配は毒だと、この部屋へのアルファの入室は禁じられている。それは医師であっても同じで、今はミリアムが輿入れの際自国から連れてきたオメガの侍医と、女性ベータの薬師と医官たちが治療に当たっている。兄のヘイゼルでさえ、部屋には入れても、リデルの眠る寝台には近寄らせない徹底ぶりだ。
一騎士団員に過ぎない自身が、その部屋に入ることを許されるとは思っていなかった。
だがそれでもテオドールは、ここを離れることなどできなかった。この扉の向こうで、運命の番がいる。まだ生きている。姿を見ることさえ許されなくとも、ここから離れてはいけないと本能が叫んでいた。テオドールはもう、何があろうとその本能に逆らうことはしないと誓っていた。
「これ以上意識が戻らなければ、リデルは――」
「は! すぐに!」
目を伏せたミリアムの言葉を遮るようにそう答え、テオドールは震える足を叱咤し動かした。その言葉の続きなど、聞きたくない――。
テオドールはすぐに準備を整え、再びリデルの部屋に向かう。
なせ自身が呼ばれたのかは、わからない。だがもし――もしもその命を繋げられるなら、テオドールは己の心臓を取り出し捧げても構わなかった。
部屋に漂う微かな香りは、麻酔や痛み止めなどの治療に使われる安息香花の香り――。
中に入るのを許されたテオドールは、緊張に顔を強張らせたまま、一歩ずつ自らの『運命』に近づいてゆく。
「手は尽くしたわ。……けれど傷は深く、血が流れすぎた。あとはもう、リデルの気力と体力に賭けるしかない。――でも、今のままでは、水と薬すら満足に与えられない。もしこのまま目を覚まさなければ……明日の朝を迎えられないかもしれない」
ミリアムは、震える声でそう告げた。
王弟殿下の眠る寝台。その天蓋から下がる薄布を分ければ――生気のない、抜け殻のような小さな身体が横たわっていた。
テオドールは、声もなく崩れるように膝をつき、柔らかな夜着から覗く小さな手を、そっと撫でた。
制止の声は掛からなかった。
「運命なら――死の神の誘惑から、引き戻しなさい。まだ、早いわ……。早すぎる」
ヘデルは美しく儚げな少女の姿をしているという。
死を迎えようとしている、老いたもの。病に蝕まれたもの。深い傷を負ったもの。――それらを優しい微笑みで誘い、導き、『永遠の眠り』か『次の世』への道かに、振り分ける。
白く冷たいその指先には、清潔な包帯が巻かれている。あの時――逃れようと石の床を掻いたのだろう、その指先は傷つき爪が浮いていた。その薄い胸はまだ微かに、ゆっくりと上下している。
テオドールは、無骨なその両手で、その手をそっと包み、祈るように額を押し当てた。
この手を、この存在を、失いたくない。『次の世』なら、また会えるかもしれない。だが『永遠の眠り』なら、もう二度と――。
いったいどうすれば――何を差し出せば、引き戻せると言うのか。
「運命の番になら――あなたの香りになら、反応するかもしれない。……必死にあなたを求めていた、リデルの望みを叶えてあげて」
ミリアムの瞳から、涙がこぼれ落ちてゆく。
あの日。
初めて王宮に入ったテオドールとリデルは、きっとすれ違ってもおかしくないほど近づいた瞬間があったのだ。そうして二人は、何が起こったのかわからないまま、お互いを感じ、引かれ合った。
だがテオドールは、鉄の意志でその誘惑をねじ伏せ、職務を優先した。引き合う運命の力から目を背けてしまった。
だから――離れてゆく運命の気配に、まだオメガとして開花していなかったはずのリデルの香気が溢れ出してしまったのだ。
気づいて。と、行かないでと願う彼の本能が、その未熟な身体に発情を引き起こした。運命の番に、ただ一人のアルファに見つけて欲しくて――。
それが、この悲劇の発端だった。
幼いその身から発せられたリデルの発情香は、アルファを、ベータをも狂わせる極上の麻薬だった。
――宝物庫の見張り番は、あの後すぐに見つかった。
王宮の中心の地下にある宝物庫には、これまで一度も賊が入ったことはない。重く頑丈な扉にはしっかりと鍵が掛かっており、その宝物庫の扉が開けらることも滅多になかった。さらに、その地下へ続く階段の前に人通りはほとんどなく、地下の宝物庫の扉の前に至っては人目は皆無。王宮警護の任務の中でも、宝物庫の見張り番は、かなり楽な部類の仕事と言えた。
そうしていつしか、彼らのルーティンの中でその任務は、『休憩』と呼ばれるほど緊張感のないものとなっていた。
熟練の鍵職人に手による精緻な作りのその鍵は、二本ある。
英雄王アレクの時代、紛失や非常時に備えその鍵は、王家と、ジャスリーガルの金庫番と呼ばれるカレンディア侯爵家とに分けられた。
現在はヘイゼル王と、財務卿を務めるカレンディア侯爵家の現当主がそれぞれその鍵を保管している。
その鍵がなければ――この宝物庫の重厚な扉は決して開かない。
見張り番などいてもいなくても、宝物庫の扉を破ることなどできっこないのだ。――彼らの中には、そんな油断があったのかもしれない。
その日。宝物庫の見張り番に、『せっかくの収穫祭に、ご苦労なことだね』と声をかけてきたのは、そのカレンディア侯爵の嫡男で、財務卿を務める父の補佐官でもあるユリウス・カレンディア財務官だった。
その彼が、こんなところにいたんじゃ収穫祭のご馳走にもありつけないだろう。と、酒や食べ物を差し入れてくれたのだと言う。
彼らは素直にそれを受け取り、階上の者も呼び宝物庫の前で酒盛りを始めた。屈強な騎士たちにとっては、酒など水代わり。これくらいの酒で酔いはしないと。
そうして――気づけば宝物庫のある地下の一室に放り込まれていた彼らは、探しに来た他の騎士団員に揺り起こされるまで、何も知らずに眠りこけていた。
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