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王子とあたしと毒林檎

14.5話 『あたし』と『私』

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 私たち、友達だよね?
 言われるといつも肯定し難い気持ちに襲われるのは、『私』だけなのだろうか。
 この質問に選択肢がないのは知っている。だから『あたし』は――
 うん、そうだね。
 友達でもない誰かにも、いつもそう言っている。
 席が近かっただけのあの子にも、部活動が一緒なだけなあの子にも、友達の友達にも。友達から言われることは少ない。無いわけではないけれど。
 だいたいはたいした仲でもない人が言う。
 安心でもしたいのだろうか。勝手に選択肢を絞って、心にもない言葉で安心しようとして。違うよねなんて言ったらどうするんだろう。
 試されていたのだろうか、『あたし』は。試していたのだろうか、あの子たちは。
 試される側ばかりに立っていたから気持ちがわからないのかとも思っていた。
 いざその言葉を使ってみると、余計に彼女らの気持ちがわからなくなった。
 目の前の彼女もまた、肯定し難い気持ちに襲われているのだろうか。
 絶対にそうだ。あの瞳に映る『私』は友達なんかじゃない。けれどそれは、『私』と同じ色、同じ形をしているはずなのに。得体のしれない何かに飲み込まれるような感覚に襲われる。
「『私』たちって友達……だよね?」
 お願い、お願いだから、嘘でもいいからそう言って。
「ね? 綾乃?」
 
 夢か現か妄想か、夢見がちな胡蝶は今日も舞う。
 これから始まるのは『今』と対峙する『あたし』たちの、ある意味冒険譚。
 ――王子とあたしと毒林檎――
 
 

 この学院に桜は似合わないと、来てからずっと思っている。
 薄桃色の花びらが散る様は見事だけれど、そびえ立つ白亜の壁と異国情緒溢れるここではお呼びじゃない。いや、ここにおいては桜の方が異国情緒あふれる代物であるのかもしれない。
 散る花びらに目を奪われる。春が薄れると同時にかつての色を忘れ、纏う薄桃はやがて緑となる。そして春の温かさに出会うとまた、それは思い出したように色づくのだ。
 春は出会いと別れの季節と言うけれどそれはあたしたちだけでなく、桜もまたそれを繰り返しているのかもしれない。
 一年も経てばあたしだってどんな色をしていたかなんて忘れてしまう。もちろん覚えていることも思い出すこともあるけれど、似た色に染まることはできても同じ色を纏うなんて器用なことはできない。
 だからあたしは風に身を任せて旅する放浪人を、あの花びらを、あたし自身を刻むのだ。
 
「ちぐはぐに見えるかい?」
 
 明後日の方向からかけられた声に振り向くと、凪ぐ秋を思わせる栗色の髪に包まれた彼女が、こちらを見つめていた。
 よく整った顔に薄桃色の唇、彼女の中には春と秋とが混在していて、調和のとれたその姿は目を惹くものがある。
 
「なんか、不思議な感じ」
 
 桜も、あなたも。
 
「ちょうど同じことを考えていたんだ。聖堂に桜。似合わないけどきっと、見てきたどんな桜よりも忘れられなさそうだ」
 
 そんな他愛ないやりとりを思い出したのはちょうど桜が緑を纏ったころで、忘れられないのはきっと桜だけでなく、あたしにとって彼女もまた同じだろうと、かすかに残る春の匂いと迫る夏の予感がそっと語りかけてくれたのだ。
 
 

 誰かといる時間は楽しい。それが友達なら尚更。小学生の頃、学校は学ぶ場所でもあり、あたしにとっては友達と会うための場所でもあった。
 しかしあたしという生き物はなかなかにわがままで、四六時中「友達」と居ると今度はひとりになるための場所をどこかに探していた。
 
「また明日、多蔦さん」
「うん、またね~」
 
 その場所のひとつが、ここだ。
 放課後、分かれ道を右に曲がって自室に着くまでのこの空間だ。
 何も考えなくとも良い、相槌なんて打たなくて良い、そういう救われてた時間が私には、必要なのだ。
 だから放課後もやることなんてないのに教室に居てわざと帰る時間をずらしてみたりもする。1人で岬には行くこともあったけれど、あそこにはいつも先客がいるから、次第に通わなくなった。
 舞う埃が外の陽光を浴びてキラキラと光る。それはまるで、この時間の尊さを具現化しているようにも思わされた。
 部屋まであと数メートル
 一歩一歩がこの時間とお別れのカウントダウンのようにも思える。
 また明日。しばらくのお別れをして扉のノブに手を掛ける。
 
「おかえり」
「うん、ただいま」
 
 返事はひとつ、綾乃が居た。
 
「先輩は?」
「今日は料理部でお菓子パーティがあるらしいよ」
「ふぅん」
「帰ってきたら日和のことも誘ってみてって言われてるんだけど」
「いかない」
「写真部は?」
「今日はいい。せっかくひとりで居られる日なんだもの」
「私、ここにいるけど」
「あんたはいいの、そこにいて」
 
 鞄とともにベッドに滑り込むと大きな深呼吸をひとつ。彼女の苦笑いが耳を優しくなでてくれた。
 綾乃とふたりで居られるこの空間。もうひとつのひとりになれる場所、それがここなのだ。
 そこだけがあたしが私になれる場所。
 付き合い上手で天真爛漫なあたしが居ない、私だけの場所。
 
「何見てるの」
「選択授業アンケート、日和はもう決めたのかい?」
 
 帰った時からボールペン片手にああでもないこうでもないと唸っていた彼女は、まるで白旗を上げるようにそのB5用紙をひらひらと振っていた。
 鞄から同じB5用紙とボールペンをとりあえず取り出し、名前だけ書いておいた。
 
「どーでもいい」
「答えになってないな」
 
 笑う彼女だったけれど、困ってもいそうだった。
 どちらを選んだって大抵の人はその後の人生でそれを活かすことはないのだろうから、いっそのこと鉛筆を転がして決めても良いと思うのに。あ、持ってるのはボールペンか。
 来週からは選択授業が始まる。アンケートの期限は今日。今日!?今日、らしい。だから倉實さんも今日は遅くまで残って悩んでいたのね。
 
「って、倉實さんを演劇に誘っておいてどうして悩んでるのよ」
「あぁいや、それは……ね」
 
 綾乃らしからぬ歯切れの悪さに違和感が残る。他人の選択なんてどうでも良いけれど、しこりのような不快感によく似た感情が湧き上がる。
 ボールルームダンスか演劇か、そのふたつで迷っているわけでもなさそうだった。演劇の文字をただただ見つめている彼女は真剣で、思い詰めているよう。
 
「ねぇ綾乃。私と一緒に演劇やろうよ」
「……君は本当に良いのかい?」
「さっき教室でも言ったじゃない。あたしと綾乃の舞台、楽しみにしててよね。って」
「そうじゃない。忘れたわけじゃない」
 
 冗談めかしたようでもおどけてみせたようでもなく、何もかもを飲み込んでしまいそうな黒い瞳でまっすぐ私を見つめている。
 
「『君』は本当に良いのかって聞いているんだ」
 
 あたしじゃなくて私にそう、言ったのだ。
 あたしがその場に合わせた選択をしただけで、本当に望んでいるのかを聞いていたのだろう。
 少なくとも望んではない。けれど、受け入れがたいことでもない。どちらに転ぼうと私は本当にどうでも良いのだ。それだったら、悩む『友達』の背中を押してやることが、私の『選択』。
 
「うん。私も演劇、やりたいの」
 
 小さくまるをつけて、そのB5用紙を隣に置いた。遅れて弧を描く音が耳に伝わる。
 椅子を引く音は彼女が選択したことを物語っているよう。続く私も鞄を置き去りにして廊下に出た。
 
「いい劇にしよう」
「そうね」
 
 お別れをしたはずの廊下と思わぬ再開を果たしながら、その尊さを一歩一歩踏みしめる。
 陽光の祝福を浴びながら踏み出したこの一歩は、道を決めた私達にとっての、最初の一歩でもあった。
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