325 / 336
終 白の章
十
しおりを挟む
景色が変わり始めた。踏みしめる磽确たる大地。極目、波状を成す沙漠が拡がっている。といっても、未だに土漠の雰囲気も孕んでいる。所々に地面から突き出す、鋭利な岩も見える。
だが、確実に風の気配は変わった。風は微かに熱気を孕み、さらりと乾いている。此処より東の風は、湿り気を孕んでいて、王翦の肌に合わなかったので、今は爽快な気分であった。
陰密を発って一月ほど。ひたすらに西へ馬を駆けさせた。道中、何度か人に出くわしたが、集落は見当たらなかった。既に六百里は距離を稼いでいる。食糧などは自身で狩りを行い、日持ちするように、肉を燻製にして蓄えているので、餓えることはない。
馬が疲れを見せ始めたので、王翦は馬を降り、曳くことにした。なだらかな九十九折りの轍。呂不韋のような、広域で商売をしている商人が礫だらけの道に痕を付けたのかもしれない。
九十九折りの斜面を超えると、其処には沙漠が拡がっているはずである。頂上を境に視界は断たれている。突然、向こう側からがたがたと不規則な音が聞こえてくる。眼を眇めると、陽炎の中から、荷馬車が二台やって来るのが見えた。
(商人か)
王翦は警戒しながらも、脇へと避ける。先頭の荷馬車が不意に停まった。
「おい。あんた。ここら辺のもんじゃないな」
まるで警戒心のない声で、馭車を務める、丸々と肥った男が声を掛けてきた。
「まぁ、はい」
恰幅を窺うに、それなりに裕福な商人らしい。
「何処へ行こうとしてるんだい?」
「取り敢えず西へ」
要領を得ない、曖昧模糊として返答に、男が怪訝な表情を浮かべる。
「あんた。この辺りの土地勘はないんだろ?」
「はい」
「なら悪いことは言わねぇ。あてもなく西へ行くのはやめときな」
「何故です?」
「西へ行けば、人狩りが出るからだよ。奴等は野蛮な騎馬民族でな。古くから西域に盤踞している厄介な連中なのさ」
「でも」
王翦は明らかに装備が整っているとはいえない、侘しい荷台の荷馬車を交互に見遣った。護衛の傭兵を雇っている風でもない。目視できるのは、馬車の馭車を務める男二人のみ。
「俺達は安全な道を知っているからな。二人で事足りるのさ」
ははと男は破顔した。
「集落を探しています」
「集落?」
「別に西に固執はしません。秦の支配が届かない、安全な集落を探しています」
「ふむ。兄ちゃん。何か訳ありだな」
男が値踏みするように、旅装の王翦を下から上へと視線を送る。
「いいさ。着いてきな」
「えっ?」
「此処から北東に集落がある。俺達は其処で採れる特産品を買い付けに行かなくちゃならねぇ。どうせ道すがらだ。気に入るかどうか分からねぇが、案内してやるよ」
いいだろ?と大きな声で、男は仲間に問うた。寡黙な男らしく、彼は頷いただけだった。
「さぁ、行こうか。兄ちゃん。旅は道連れというだろ」
逡巡したものの、ただ歩を進めているだけで、実際あてもない。
それに、彼等は悪い人達ではなさそうだった。
「宜しくお願いします」
と頭を下げて、王翦は彼等と共に北東にあるという集落へと向かった。
だが、確実に風の気配は変わった。風は微かに熱気を孕み、さらりと乾いている。此処より東の風は、湿り気を孕んでいて、王翦の肌に合わなかったので、今は爽快な気分であった。
陰密を発って一月ほど。ひたすらに西へ馬を駆けさせた。道中、何度か人に出くわしたが、集落は見当たらなかった。既に六百里は距離を稼いでいる。食糧などは自身で狩りを行い、日持ちするように、肉を燻製にして蓄えているので、餓えることはない。
馬が疲れを見せ始めたので、王翦は馬を降り、曳くことにした。なだらかな九十九折りの轍。呂不韋のような、広域で商売をしている商人が礫だらけの道に痕を付けたのかもしれない。
九十九折りの斜面を超えると、其処には沙漠が拡がっているはずである。頂上を境に視界は断たれている。突然、向こう側からがたがたと不規則な音が聞こえてくる。眼を眇めると、陽炎の中から、荷馬車が二台やって来るのが見えた。
(商人か)
王翦は警戒しながらも、脇へと避ける。先頭の荷馬車が不意に停まった。
「おい。あんた。ここら辺のもんじゃないな」
まるで警戒心のない声で、馭車を務める、丸々と肥った男が声を掛けてきた。
「まぁ、はい」
恰幅を窺うに、それなりに裕福な商人らしい。
「何処へ行こうとしてるんだい?」
「取り敢えず西へ」
要領を得ない、曖昧模糊として返答に、男が怪訝な表情を浮かべる。
「あんた。この辺りの土地勘はないんだろ?」
「はい」
「なら悪いことは言わねぇ。あてもなく西へ行くのはやめときな」
「何故です?」
「西へ行けば、人狩りが出るからだよ。奴等は野蛮な騎馬民族でな。古くから西域に盤踞している厄介な連中なのさ」
「でも」
王翦は明らかに装備が整っているとはいえない、侘しい荷台の荷馬車を交互に見遣った。護衛の傭兵を雇っている風でもない。目視できるのは、馬車の馭車を務める男二人のみ。
「俺達は安全な道を知っているからな。二人で事足りるのさ」
ははと男は破顔した。
「集落を探しています」
「集落?」
「別に西に固執はしません。秦の支配が届かない、安全な集落を探しています」
「ふむ。兄ちゃん。何か訳ありだな」
男が値踏みするように、旅装の王翦を下から上へと視線を送る。
「いいさ。着いてきな」
「えっ?」
「此処から北東に集落がある。俺達は其処で採れる特産品を買い付けに行かなくちゃならねぇ。どうせ道すがらだ。気に入るかどうか分からねぇが、案内してやるよ」
いいだろ?と大きな声で、男は仲間に問うた。寡黙な男らしく、彼は頷いただけだった。
「さぁ、行こうか。兄ちゃん。旅は道連れというだろ」
逡巡したものの、ただ歩を進めているだけで、実際あてもない。
それに、彼等は悪い人達ではなさそうだった。
「宜しくお願いします」
と頭を下げて、王翦は彼等と共に北東にあるという集落へと向かった。
0
お気に入りに追加
15
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる