白狼 白起伝

松井暁彦

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終 白の章

 八

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「このぉぉぉ」
 切歯扼腕せっしやくわんする。最早、ぐうの音も出ない。范雎は醜い顔を歪めて、大童おおわらわで支度をする。

「宰相。何処へ?」

「決まっているわ!王の元だ!」

「何だと!?白起が軍を率いて、咸陽に!?」
 報せを受けた、秦王は瞠目どうもくする。

「重ねて申し上げます。直ぐに兵を搔き集め、咸陽の守りを強固にせねばなりませぬ」
 白起が率いていようと、敵はたかが一万である。長大な咸陽を陥落させるなど、現実的に不可能であり、焦らず守りさえ固めておけば、

 一万の騎馬隊など容易く立ち枯れる。敵が攻めあぐね、疲弊した頃に、咸陽に配された城兵を繰り出せば、白起軍を殲滅することは難しくない。そもそも、趙に多くの兵を派遣しているといっても、咸陽の城兵には常備三万は配されているのだ。
 
 兵法の常で、城攻めには敵の二倍、三倍の兵力は必要になる。それに、咸陽は都市である。宮廷の倉を拓けば、市井の民を二年は養える。考えを改めることによって、范雎はしだいに冷静さを取り戻してきた。

(白起は馬鹿なのか。たったの一万で咸陽を責めるなど)
 だが、不意に疑念が浮かび上がる。
 
 兵法に造詣ぞうけいの深い白起が、果たして下策中の下策ともいえる、寡兵による城攻めなど敢行するであろうか。時期を狙った挙兵をとって見ても、白起は狡猾に策を組み立てている。

(有り得ない。狙いは咸陽を包囲することではないのでは)
 思考の渦から、意識は現実に戻る。
 
 秦王と視線が合う。彼は子鼠のように、玉座の上で身を竦めていた。その姿を見て、総身に戦慄が走った。

(そんなー)

「大王様」
 瞬間。秦王の眼が狂ったように剥いた。

「白起を咸陽に決して近づけるな!元はといえば、貴様が白起を逃がしてしまったのが事の発端であろう!范雎、貴様自身が軍を率いて討って出よ!孤の都に、白起を近づけることを断じて禁ずる!」
 そう喚き立てると、秦王は朝議の間から、そそくさと退出して行った。

(白起はこうなることを読んでいたのだ。奴は秦王の臆病な性格を幼少の頃より知悉している。自らが咸陽に近付けば、攻城戦にならぬと読んでいたからこそ、軍を敢えて咸陽へと向けたのだ)
 端倪たんげいすべからざる。彼の器量は、遥かに己を超えている。沸々と湧き上がる怒り。そして、彼への執着心が一層強くなっていく。

(良いだろう。それでこそ天の寵を受けた男だ。この私が受けて立ってやるぞ。白起)

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