304 / 336
終 黒の章
十一
しおりを挟む
白起の姿を見た刹那、雷に打たれたような衝撃が走った。血に塗れてはいるが、彼の容貌は人を魅了する美しさがあった天から見放され、醜悪な姿に変えられた、己と対局にある男。天の寵愛を一心に受けている。感じる。天の気配を。
「煽情的な香りがする」
「男色か貴様。気色の悪い奴だ。やり口が卑しいのも理解できる」
「その卑しいやり口には、嵌められたのは、何処のどいつかな」
范雎は細い人差し指を頤に突き立てる。爪が刃物のように鋭く、肉を抉る。
「魏冄の最期も愚かであったぞ。老い耄れが剣を執り、何百という兵士に立ち向かったのだ。まぁ、結果奴は矢の雨の前に、無残にも屍を野に晒した」
白起の眼が剥いた。
「貴様!!!」
四肢を動かすが、虚しく鎖が音を立てるだけである。
「おう。これは驚いた。何十万という人間を無感動に殺してきた、男がたった一人の男の死を嘆き怒るのか」
「貴様の狙いは何だ?」
「決まっている。何の為に、王の外戚と魏冄を排斥したと思っている」
「王の権威か」
范雎が裂けんばかりの笑みを浮かべた。
「明察」
「では、何故俺を生け捕りにする?王の権威が望みなら、さっさと俺を殺してしまえばいい。さすれば、内実、国内に貴様の敵はいなくなる」
「残念ながら、もう一つ私は渇望しているものがある」
范雎は天井を仰ぎ、如何にも芝居がかった様子で嘆息した。
「私は天への復讐を誓っているのだよ」
「天への復讐だと?」
怪訝な表情で返す白起に対して、范雎は嬉々としていた。
「そうだ。秦の宰相となる前に、私は天から酷い仕打ちを受けた。言葉にするも、憚れるような屈辱だった。だが、瀕死の私を名も知らぬ男が助けてくれた。私は宰相となって、あの時、私を逃がしてくれた男を見つけ出し、金千溢を送り恩に報いた。しかし、恩に報いるだけでは道理が違う。道理とは常に平等でなくてはならん。この世は不平等なもので満たされているではないか。だから、私は誓った。讎も讎を以って、報いるべきであると」
范雎の顔が恍惚とものへと変わっていく。
「そこで私は考えた。屈辱と痛みを私に与えた、全能なる天に復讐するにはどうすれば良いか。まずは王を凌ぐ、権力を得て、何れは天の代理人でもある、天子を弑逆し、私が世を治めることだ。そして、次に」
妖しい光を宿す、范雎の双眸が白起を捉える。
「天の寵愛を受けた者を悉く嬲り殺しにすることだ」
かつて勤王の心に溢れていた好青年は、今や底無しの狂気によって風狂へと転化していた。
「貴様は、天の寵愛を受けている。私は貴様の才能を。恵まれた容貌を。得た地位と名誉を憎む」
「狂っているな。お前」
「ああ。何とでも言え。私には分かるのさ。お前が纏う、天の臭気を。臭い。臭いぞ」
寄声が上がる。
拳が無防備な肚をめがけて、振り下ろされる。幾度も。幾度も。
「煽情的な香りがする」
「男色か貴様。気色の悪い奴だ。やり口が卑しいのも理解できる」
「その卑しいやり口には、嵌められたのは、何処のどいつかな」
范雎は細い人差し指を頤に突き立てる。爪が刃物のように鋭く、肉を抉る。
「魏冄の最期も愚かであったぞ。老い耄れが剣を執り、何百という兵士に立ち向かったのだ。まぁ、結果奴は矢の雨の前に、無残にも屍を野に晒した」
白起の眼が剥いた。
「貴様!!!」
四肢を動かすが、虚しく鎖が音を立てるだけである。
「おう。これは驚いた。何十万という人間を無感動に殺してきた、男がたった一人の男の死を嘆き怒るのか」
「貴様の狙いは何だ?」
「決まっている。何の為に、王の外戚と魏冄を排斥したと思っている」
「王の権威か」
范雎が裂けんばかりの笑みを浮かべた。
「明察」
「では、何故俺を生け捕りにする?王の権威が望みなら、さっさと俺を殺してしまえばいい。さすれば、内実、国内に貴様の敵はいなくなる」
「残念ながら、もう一つ私は渇望しているものがある」
范雎は天井を仰ぎ、如何にも芝居がかった様子で嘆息した。
「私は天への復讐を誓っているのだよ」
「天への復讐だと?」
怪訝な表情で返す白起に対して、范雎は嬉々としていた。
「そうだ。秦の宰相となる前に、私は天から酷い仕打ちを受けた。言葉にするも、憚れるような屈辱だった。だが、瀕死の私を名も知らぬ男が助けてくれた。私は宰相となって、あの時、私を逃がしてくれた男を見つけ出し、金千溢を送り恩に報いた。しかし、恩に報いるだけでは道理が違う。道理とは常に平等でなくてはならん。この世は不平等なもので満たされているではないか。だから、私は誓った。讎も讎を以って、報いるべきであると」
范雎の顔が恍惚とものへと変わっていく。
「そこで私は考えた。屈辱と痛みを私に与えた、全能なる天に復讐するにはどうすれば良いか。まずは王を凌ぐ、権力を得て、何れは天の代理人でもある、天子を弑逆し、私が世を治めることだ。そして、次に」
妖しい光を宿す、范雎の双眸が白起を捉える。
「天の寵愛を受けた者を悉く嬲り殺しにすることだ」
かつて勤王の心に溢れていた好青年は、今や底無しの狂気によって風狂へと転化していた。
「貴様は、天の寵愛を受けている。私は貴様の才能を。恵まれた容貌を。得た地位と名誉を憎む」
「狂っているな。お前」
「ああ。何とでも言え。私には分かるのさ。お前が纏う、天の臭気を。臭い。臭いぞ」
寄声が上がる。
拳が無防備な肚をめがけて、振り下ろされる。幾度も。幾度も。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
KAKIDAMISHI -The Ultimate Karate Battle-
ジェド
歴史・時代
1894年、東洋の島国・琉球王国が沖縄県となった明治時代――
後の世で「空手」や「琉球古武術」と呼ばれることとなる武術は、琉球語で「ティー(手)」と呼ばれていた。
ティーの修業者たちにとって腕試しの場となるのは、自由組手形式の野試合「カキダミシ(掛け試し)」。
誇り高き武人たちは、時代に翻弄されながらも戦い続ける。
拳と思いが交錯する空手アクション歴史小説、ここに誕生!
・検索キーワード
空手道、琉球空手、沖縄空手、琉球古武道、剛柔流、上地流、小林流、少林寺流、少林流、松林流、和道流、松濤館流、糸東流、東恩流、劉衛流、極真会館、大山道場、芦原会館、正道会館、白蓮会館、国際FSA拳真館、大道塾空道
強いられる賭け~脇坂安治軍記~
恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。
こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。
しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。
蘭癖高家
八島唯
歴史・時代
一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。
遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。
時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。
大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを――
※挿絵はAI作成です。
富嶽を駆けよ
有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★
https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200
天保三年。
尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。
嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。
許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。
しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。
逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。
江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。
大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜
雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。
そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。
これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。
主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美
※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。
※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。
※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる