白狼 白起伝

廉頗

十二

　日中。白起は兵を動かさなかった。廉頗に代わって、派遣されるほどの男である。将としての力量が曖昧模糊としている以上、安易に手は出せない。

　蒼の暮靄ぼあいが西の空に迫る頃、明朝、放った狗が帰陣した。

「報告申し上げます」
　狗は淡々と述べる。
　
　まずは趙括。
　
　彼は趙の名将馬服君ばふくくん趙奢ちょうしゃの子であり、生まれはこの上なく名門といえる。
趙括も父親と同様に、馬服君を襲封しゅうほうしたが、白起も覚えのない通り戦の経験は浅く、到底四十万を越える大軍勢の将となり得る器ではない。

では、何故―。若く経験の浅い趙括が、趙軍の総大将として、邯鄲からわざわざ派遣されたのか。それは、廉頗の処遇と連なる。秦国内の何者かが千金を撒き、邯鄲で飛言飛語を流したのである。

「秦が憎み恐れているのは、名将趙奢の血を引く趙括である。廉頗は短絡的な男で、何ともくみやすい。遠からず降伏の意を示すことだろう」と。
　
　廉頗は趙王と不仲にあったようだ。此度の戦でも、一見消極的ともとれる籠城策を趙王は嫌っていたという。千金を撒き奸計かんけいを弄した、秦の何者かは、白起以上に趙の情勢に知悉していたということになる。

魏冄が白起の後押しにと、奸計を弄したのであろうか。いや。違う気がする。この策には何処か、魏冄らしくない、昏いものを感じる。

白起は背に薄ら寒いものを感じた。