白狼 白起伝

松井暁彦

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澱み

 十四

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 芒卯は猜疑心さいぎしんの強そうな団栗眼を光らせ、横柄な態度で胡床に腰を落ち着かせると、ぎろりと賈偃を睨んだ。

「わしの元に趙将の廉頗と秦の本軍が開戦したとの報告が入った。して、白起は討ち取れたのか?」
 賈偃は傲岸不遜なこの男が嫌いだった。埋伏の件も、あくまで手を回しているのは賈偃と廉頗である 芒卯は魏の総大将であるが戦は素人に近い。というのも、彼は政事で辣腕らつわんを振るう型の人間だ。魏は近年将校が不足している。経験豊かな将校が悉く白起に討ち取られているからである。故に戦においては無能とも断言できる、芒卯が総大将として据えられている。

「白起の首を奪ったという報せは、残念ながらまだ耳に入ってきていない」
 芒卯は憚らず、舌を鳴らした。湧き上がる憤怒を抑え込む。

「存外遣えぬ男だな、廉頗は。で、どうするのだ?白起率いる秦軍を相手にするなど、わしは願い下げだ」

「致し方ない。明日、犠牲を覚悟で雪崩れ込むしかあるまい」

「兵の犠牲など知ったことか。奴等の替えなど幾らでも利く。最初からそうすれば良かったんだ」
 芒卯は兵を駒としか思っていない。机上の空論を並べる、文官を絵に書いたような男だった。

「ささっと華陽を陥とし、都に戻りたいものだ。わしには都の雅な空気が合う。戦場の血腥い臭気にはどうも耐えられん」
 ふんっと生粋の軍人である賈偃に侮りの眼を向けると、芒卯は蓄えた腹の脂肪を揺らし幕舎から去った。
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