白狼 白起伝

松井暁彦

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王星

 十八

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「俺はお前の父を王にする」
 静まり返る幕舎内。それも一瞬。次の瞬間、驚愕の声が幕舎内に轟いた。

「ちょっと待って下さい!正気ですか!?」
 表情一つ動かない魏翦に打って変わって、向かい合う二人は大口を開け、双の眼を剥いている。

「天下を保持する力は嬴秦えいしんにはない。天下を統べた所で、それを抑える力を持つ者が王とならなくてはない。本来、その役目を担うべき周宗室は斜陽にあり機能していない。諸国の王も同様だ。どいつもこいつも自分の私腹を肥やすことしか頭にない。望みの規模が矮小なのさ。小器に天下を統べることは叶わず、また保持することも叶わない。現今、本当の意味で天下へ眼を向けているのは、魏冄と俺だけだ。だが、あくまで魏冄は嬴秦を支える柱としての姿勢を崩そうとしない」

「俺の存在が父の考えを変えると?」
 魏翦は泰然としたまま問う。

「ああ。俺には理解できないが、親は子を自らの分身の如く思い定めるようだ。故に古代から世襲制が幾星霜と踏襲とうしゅうされている。あくまで己の無聊ぶりょうを慰める為の夢想に過ぎないが」

「では、総帥殿は父も過去の愚かな王達と同様に夢想を抱くとお考えですか?」

「別に貴様の親父を貶めている訳ではない。其れが人としての性なのだから仕方がない」

「総帥殿は俺に何を求めているのです?」

「お前は、頭は悪くないようだ。俺の考えなど当に理解しているはずだ」
 胡床に坐したまま憮然と告げる白起に、魏翦は唇を真一文字に結んで向き合う。

「父は長くないのでしょう。ならば、総帥殿は俺に王位を継がせようとする」

「明察だ」

「何故、父なのです?総帥殿は不敗の軍神と周辺諸国から懼れられているのでしょう?何も父を担ぎ、俺を擁さなくとも総帥殿が王位を簒奪為されば宜しいではありませんか」
 白起は哄笑した。彼の言が余りにも愉快だった。
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