白狼 白起伝

松井暁彦

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王星

 十二

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 目が覚めると、暮靄ぼあい拡がる紫色の空が飛び込んできた。

「目が覚めたか」
 記憶の淵を叩く声。馴染みはないが、不思議と覚えはあった。

「あんたは?」
 口は枯渇していた。絞り出したが、声にはならなかった。視界も霞んだままで、傍らで座り込む男の輪郭だけが分かる。仰臥ぎょうがする魏翦の腹に、固いものが置かれる。触れた感触で水を入れた革袋だと分かる。

「み、水」
 慌てて上半身を起こし、水を飲んだ。口腔内にえた味が広がる。
 水が四肢と意識の隅々にまで行き渡る。全身は絶えず激痛が走っているが、意識の明瞭化に合わせて、視界も澄明になっていく。
 
 驚くほど髪の白い男がいた。また髪だけではなく、睫毛も蓄えた無精髭も雪のように白い。醜いとは思わなかった。男の相貌が端麗なのもあるが、何より男の放つ気配が澄み切っていた。

「あんたは?」

「白起」
 灰色の双眸が、魏翦を見つめた。眸の奥に無限の虚無が広がっている。

「何者だ?」。

「答えろ。お前の母親は何処にいる」
 質問に答えず、白起と名乗った男は居丈高に行った。

「母上!」
 弾かれるように、魏翦は立ち上がる。

「待て」
 白起が告げる、近くに繋げている馬を顎で指した。馬の脚許には、匪賊達の屍が累々と転がっている。

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