白狼 白起伝

松井暁彦

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合従軍戦

 十七

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 廉頗。楽毅。二人は同時に馬ごと飛びのいた。本能が訴える。死への境界線。今や三隊の動きは静止していた。

「おい。何だよこれ」
 廉頗は力なく笑った。

 白起の双眸が、しろがねに輝き、滔天とうてんの勢いで気魄が横溢している。戦場の喧騒が遠いものとなっていく。まるで、白起のいる空間だけが、戦場から切り離されているような、静寂に包まれている。
 
 白起の銀の眼が、廉頗と楽毅を捉えた。寸毫すんごうの邪意もない。まるで神のような、完成された存在。美しいとさえ思った。人間離れした美しさだ。誰をも魅了し、そして何者も受け付けない。全能を体現している。

「なぁ、楽毅よ」
 隣に馬を並べる、友に言う。楽毅の呼吸は荒い。横目で見遣ると、彼は滝のような汗を流していた。

「白起が二人に見える」
 ぼそりと告げる、楽毅の声は震えている。廉頗は苦笑した。

「ああ。俺もさ」
 幻なのか。白起の姿が二つに重なって見えた。不意に白起が、部下から一振りの剣を受け取った。
 煌めく二振りの剣。単純な話だ。白起は二人に対応する為に、二振りの剣を執った。
 たったそれだけのことのはずだ。だが、二人の眼には、白起が二人存在するように見えている。

「勝てると思うか」
 廉頗は肚の底から、湧き上がってくる恐怖を抑え、自嘲気味に笑った。

「俺達二人ならば、不可能はない」
 楽毅は汗を拭い、蒼き眼を白起に向けた。 ぎりりと彼は強く、愛槍を手挟む。

「ああ。そうだな」
 恐怖が消えていく。
 そうだ。確かに白起は異次元の存在かもしれない。それでも傍らに並ぶ、友とならば、如何な敵であろうとも敗けることなどありえない。

「うぉおおおおおおおおお」
 廉頗は己を鼓舞するように雄叫びを上げた。

「行くぞ。廉頗」

「おう」

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