白狼 白起伝

松井暁彦

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反撃

 十

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 処断は苛烈を極めた。武王の実母である恵文后。そして、叛乱を手引き、協力したとされる諸公子、大臣が悉く連座された。数えれば切りがないほど首が刎ねられ、首が咸陽の市場に晒された。

 咸陽を背に三十人ばかりに減った力士達は、嗚咽を漏らし泣き啜る。乾いた冬の風が、灰色の砂を運ぶ。世界は灰色だった。空も昏い。いや、己の気持ちが世界を侘しい色に見せているのかもしれない。

「王妃様」
 魏冄は下馬し、ただ粛々と眼の前のー。かつての主君の后に頭を垂れることしかできない。

「面を上げなさい。魏冄」
 優しい声だった。面を上げると、質素な衣に身を包んだ、元王妃の姿がある。

「申し訳御座いません、王妃様―。私は大王様が身罷みまかられた折、亡き主に貴方様を御守りすると誓いました。ですがー」
 言葉が詰まり、意に反して涙がこもごもと流れ出す。

「良いのです、魏冄。貴方は充分に忠義を尽くしてくれました」
 后は細く笑む。今や后の供廻りは五十ばかりの壮丁そうてい。数頭の牛馬。そして、一輌の四頭立ての馬車が確認できるだけである。魏冄は心の底から己を恥じた。この程度の用意が、今の自分にできる工面であった。

「しかしー」

「貴方は私を災禍から救ってくれたではありませんか。貴方が居なければ、いらぬ嫌疑をかけられ首が晒されていました。それほどに、今の太后様は苛烈なものをお持ちです」
 すっと指で、涙で濡れる顎先に后は触れた。

「私と先王との間に子は成せませんでしたが、それでも私は勇敢な先王を心からお慕い申し上げていました」
 堪えきれず、任鄙と烏獲が大声で泣いた。

「先王は貴方達を愛していました。まるで本当の兄弟のように。そしてー」
 后の眸が雫で濡れていた。

「貴方―」
 光る眸が隣で直立する白起を視た。白起は静かに、后を見つめ返す。

「白起。先王より名を賜りし者」
 白起を見つめ、微笑んだ顔は母親が子を慈しむような母性に満ちている。

「魏冄の剣となりなさい。先王亡き今、彼が貴方の進むべき道のしるべとなりましょう」
 后を一心に仰ぎ見る、白起の横顔からは彼が何を感じ、何を想うのかはかることはできない。それでも、白起は后を正面から捉えていた。

「さようなら」
 涙を拭った后は、毅然としていた。誇り高く、正に武断の王の妻そのものであった。
 后は一度深く咸陽に頭を下げ、踵を返した。后―。今や魏の公女に戻った、彼女が粛々と故郷の魏へ向かって歩んで行った。

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