白狼 白起伝

松井暁彦

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白という少年

 八

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「伝承では韓の冥山めいざんで鍛え上げられた剣らしい。名剣大阿たいあと比肩しても劣らない業物さ。抜いてみな」
 嬴蕩が語る土地の名も剣の名も分からない。それでも、竹簡の山に埋もれさせるように、雑な扱いして良い代物ではないことくらいは分かる。
 
 柄を握りしめ、躊躇を見せる白に嬴蕩は顎をしゃくって促した。鞘から抜き放った瞬間、鼓膜が震えた。咄嗟に「生きている」という言葉が出た。

「ああ。そうだ。良い剣ってのは、魂が宿っている。そして、魂を宿した剣は持主を選ぶ」
 刃には寸毫すんごうの穢れもない。何百―。何千―。何万―。幾星霜の中、人を斬り続けてきた剣とは思えないほどの美しさを保っている。眼には見えないが、それでも分かる。鈍銀の刃に渦巻く気魄が。之が剣の魂なのか。

 そして、剣は躰の一部のようによく馴染んだ。不思議だった。白はまだ十二歳。骨格は未だ成長の途上。躰は決して大きい方ではない。むしろ、同じ年頃の少年達と比べると物足りないくらいだ。単純な力には自信はない。だから、己が振るう剣は刃が短く、軽量なものを選んでいた。使い慣れた剣に比べると、握る剣には遥かに重厚感がある。刃も長い。だが、剣そのものは鴻毛こうもうのように軽い。

「剣はお前を持主に選んだようだな」
 太く笑んだ嬴蕩の表情には、悪意のようなものは感じない。それでも、勘繰らずにはおれない。剣を鞘に収める。

「何故、俺のこの剣を?」
 白の猜疑心を煙に巻くように、嬴蕩はわざとらしく首を竦めた。

「先払いだよ。お前の命のな」

「意味が分からない」
「それと気まぐれだ。俺が持っているより。お前が持つのが相応しいと思った。それだけだ」
 胸中の靄が渦巻く。これほどまでに、掴み処のない男を白は知らなかった。義渠は力に固執する、単純な大人達が大半を占めていた。
 
 しかし、この男はー。明快闊達めいかいかったつそうであって、実の所内に混沌としたものを抱えている気がする。到底、己には測り知れない巨大な何かがこの男の内には潜んでいる。これを興味というのだろうか。白は己の僅かな、心境の変化に戸惑った。


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