国殤(こくしょう)
目前まで迫る秦の天下統一。
秦王政は最大の難敵である強国楚の侵攻を開始する。
楚征伐の指揮を任されたのは若き勇猛な将軍李信。
疾風の如く楚の城郭を次々に降していく李信だったが、彼の前に楚最強の将軍項燕が立ちはだかる。
項燕の出現によって狂い始める秦王政の計画。項燕に対抗するために、秦王政は隠棲した王翦の元へと向かう。
今、項燕と王翦の国の存亡をかけた戦いが幕を開ける。
秦王政は最大の難敵である強国楚の侵攻を開始する。
楚征伐の指揮を任されたのは若き勇猛な将軍李信。
疾風の如く楚の城郭を次々に降していく李信だったが、彼の前に楚最強の将軍項燕が立ちはだかる。
項燕の出現によって狂い始める秦王政の計画。項燕に対抗するために、秦王政は隠棲した王翦の元へと向かう。
今、項燕と王翦の国の存亡をかけた戦いが幕を開ける。
目次
感想
あなたにおすすめの小説
羽黒山、開山
鈴木 了馬
歴史・時代
日本の古代史は改竄された。
いや、正史「日本書紀」は、史実を覆い隠すために作られたと言ってもいい。
ただ、そもそも「歴史」というものは、そのようにしてできるものかもしれないのだが。
ーー崇峻天皇は暗殺された。
ーー崇峻崩御に伴う「殯」の儀式を行わず、死後すぐに赤坂天王山古墳に埋葬された。
正史、日本書紀はそのように書く。
しかし、それが真実である可能性は、10パーセントもあろうか。
むしろ、「殯」がなかったのだから、天皇ではなかった。
すなわち、即位すらしていなかった、と考えるほうが自然ではないのか。
その議論で、鍵となるのは泊瀬部皇子=崇峻天皇の「生年」であろう。
他方、崇峻天皇の第一皇子、蜂子皇子はどうだ。
崇峻天皇の崩御後、皇子は都を逃れ、出羽に赴いた、という伝説が残り、その後1400年、その蜂子皇子が開祖とされる羽黒信仰は脈々と続いてきた。
日本書紀にこそ書かれてはいないが、蜂子皇子伝説が史実である可能性は決して低くないだろう。
そして、蜂子皇子の母である、小手姫の伝説はどうか。
なぜ、587年に福島県の女神山で亡くなったという伝説が残るのか。
日本書紀が、崇峻天皇の崩御年とする、592年よりも、5年も前である。
謎は深まるばかりである。
読み解いても、日本の古代史は、決して真実を教えてはくれない。
数々の記録、伝承の断片をつなぎ、蜂子皇子にまつわる逸話に、一つの流れを持たせるために、筆者はこの物語を編んだ。
なお、この作品で、出羽三部作は完結する。
三国志「魏延」伝
久保カズヤ
歴史・時代
裏切者「魏延」
三国志演技において彼はそう呼ばれる。
しかし、正史三国志を記した陳寿は彼をこう評した。
「魏延の真意を察するに、北の魏へ向かわず、南へ帰ったのは、単に楊儀を除こうとしただけである。謀反を起こそうとしたものではない」と。
劉備に抜擢され、その武勇を愛された魏延の真意とは。それを書き記した短編です。
狩野岑信 元禄二刀流絵巻
仁獅寺永雪
歴史・時代
狩野岑信は、江戸中期の幕府御用絵師である。竹川町狩野家の次男に生まれながら、特に分家を許された上、父や兄を差し置いて江戸画壇の頂点となる狩野派総上席の地位を与えられた。さらに、狩野派最初の奥絵師ともなった。
特筆すべき代表作もないことから、従来、時の将軍に気に入られて出世しただけの男と見られてきた。
しかし、彼は、主君が将軍になったその年に死んでいるのである。これはどういうことなのか。
彼の特異な点は、「松本友盛」という主君から賜った別名(むしろ本名)があったことだ。この名前で、土圭之間詰め番士という武官職をも務めていた。
舞台は、赤穂事件のあった元禄時代、生類憐れみの令に支配された江戸の町。主人公は、様々な歴史上の事件や人物とも関りながら成長して行く。
これは、絵師と武士、二つの名前と二つの役職を持ち、張り巡らされた陰謀から主君を守り、遂に六代将軍に押し上げた謎の男・狩野岑信の一生を読み解く物語である。
投稿二作目、最後までお楽しみいただければ幸いです。
河越夜戦 〜相模の獅子・北条新九郎氏康は、今川・武田連合軍と関東諸侯同盟軍八万に、いかに立ち向かったのか〜
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
今は昔、戦国の世の物語――
父・北条氏綱の死により、北条家の家督を継いだ北条新九郎氏康は、かつてない危機に直面していた。
領国の南、駿河・河東(駿河東部地方)では海道一の弓取り・今川義元と、甲斐の虎・武田晴信の連合軍が侵略を開始し、領国の北、武蔵・河越城は関東管領・山内上杉憲政と、扇谷上杉朝定の「両上杉」の率いる八万の関東諸侯同盟軍に包囲されていた。
関東管領の山内上杉と、扇谷上杉という関東の足利幕府の名門の「双つの杉」を倒す夢を祖父の代から受け継いだ、相模の獅子・北条新九郎氏康の奮戦がはじまる。
楽毅 大鵬伝
松井暁彦
歴史・時代
舞台は中国戦国時代の最中。
誰よりも高い志を抱き、民衆を愛し、泰平の世の為、戦い続けた男がいる。
名は楽毅《がくき》。
祖国である、中山国を少年時代に、趙によって奪われ、
在野の士となった彼は、燕の昭王《しょうおう》と出逢い、武才を開花させる。
山東の強国、斉を圧倒的な軍略で滅亡寸前まで追い込み、
六か国合従軍の総帥として、斉を攻める楽毅。
そして、母国を守ろうと奔走する、田単《でんたん》の二人の視点から描いた英雄譚。
複雑な群像劇、中国戦国史が好きな方はぜひ!
イラスト提供 祥子様
習作 恨み屋蒔田雨露亮
井田いづ
歴史・時代
「その恨み、この爺に売れ」
江戸の町には、晴らせぬ恨みを募らせる人の目の前に現れる老人がいる。名を、蒔田雨露亮(まきた・うろすけ)──人の恨みを我がものとし、夜な夜な見も知らぬ人の仇を討つ『恨み屋』である。今宵もまた、新たな恨みを晴らしに老人は動く。
目には目を、歯には歯を、悪人には悪人を。
(不定期更新です。諸々の表現等の練習用。全体的にあまり温かくも明るくもスッキリな話でもないので、お気をつけください……)
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
九州のイチモツ 立花宗茂
三井 寿
歴史・時代
豊臣秀吉が愛し、徳川家康が怖れた猛将“立花宗茂”。
義父“立花道雪”、父“高橋紹運”の凄まじい合戦と最期を目の当たりにし、男としての仁義を貫いた”立花宗茂“と“誾千代姫”との哀しい別れの物語です。
下剋上の戦国時代、九州では“大友・龍造寺・島津”三つ巴の戦いが続いている。
大友家を支えるのが、足が不自由にもかかわらず、輿に乗って戦い、37戦常勝無敗を誇った“九州一の勇将”立花道雪と高橋紹運である。立花道雪は1人娘の誾千代姫に家督を譲るが、勢力争いで凋落する大友宗麟を支える為に高橋紹運の跡継ぎ統虎(立花宗茂)を婿に迎えた。
女城主として育てられた誾千代姫と統虎は激しく反目しあうが、父立花道雪の死で2人は強く結ばれた。
だが、立花道雪の死を好機と捉えた島津家は、九州制覇を目指して出陣する。大友宗麟は豊臣秀吉に出陣を願ったが、島津軍は5万の大軍で筑前へ向かった。
その島津軍5万に挑んだのが、高橋紹運率いる岩屋城736名である。岩屋城に籠る高橋軍は14日間も島津軍を翻弄し、最期は全員が壮絶な討ち死にを遂げた。命を賭けた時間稼ぎにより、秀吉軍は筑前に到着し、立花宗茂と立花城を救った。
島津軍は撤退したが、立花宗茂は5万の島津軍を追撃し、筑前国領主としての意地を果たした。豊臣秀吉は立花宗茂の武勇を讃え、“九州之一物”と呼び、多くの大名の前で激賞した。その後、豊臣秀吉は九州征伐・天下統一へと突き進んでいく。
その後の朝鮮征伐、関ヶ原の合戦で“立花宗茂”は己の仁義と意地の為に戦うこととなる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる