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道⑤

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「朔……朔?」
「珍しいなぁ、朔良がこんなんなるの」
「前にこうなったのは、櫂が居なくなったときやったなぁ……」
「え、そうなん?」

テーブルに突っ伏して眠る朔良を覗き込み、櫂が驚いたように聞いた。

「そやで、朔ちゃん、ずーっと無理しよった。初めて、櫂のこと話した日やったんよな」
「そう、櫂のこと忘れらんねぇって、あれもう何年前?」
「わかんねぇ、あそっからだいぶ探したんだよ、櫂のこと」
「お前、携帯番号も変えんだもん」
「え?……あぁ、携帯なくしてさぁ、それで変えたわそーいえば」
「はぁ!? そんな理由!?」

笑い声を背に、櫂は朔良の隣に座る。
朔良と同じように顔を突っ伏して、そしてその顔を見つめた。

久しぶりに、近くで見たこの寝顔。
一度だけ、朝まで寄り添って眠ったことがあった。朔良の小さなカラダに体重を預けて、髪を撫でられる手が心地良くて、そのまま眠った。

たった一度だけの出来事だったのかと、思わず頬が緩んだ。

小さく開いた無防備な唇は、柔らかい。
高い鼻と瞑った瞳を隠すように影を作る睫毛が、長い前髪から覗く。
それをそっとかき分けて、見えたその顔は、相変わらず、綺麗な寝顔。

知っている。
全部、知っている。

綺麗な首筋にほくろがあることも、そこから伸びる腕は細いが筋肉質であることも、肩が柔らかいのか、よく動く肩甲骨がやたらエロいことも。

触れたい衝動を、グッと堪える。

「どーする? 事務所泊まってええで?」
「櫂の家でもいいけどね」
「んー……なんか家は連れ込むみたいやない?」
「んなことないでしょ……」
「気にしすぎだよ櫂」
「つぅか俺が抑えらんなくなりそう……」
「抑えなくてええんちゃうの?」
「いやだって……作品作るならちょっとさ……」
「真面目やなぁー」
「KANちゃん、どエロい作品できるよきっと」
「期待しとくわ」

そんな会話に櫂は頬を緩ませ、もう一度朔良に声をかけた。





「朔……朔……」

遠くに声が聞こえる。
その向こうに、弦や凌空の笑い声が聞こえる。
心地よい声に包まれて、ゆらゆら揺れる視界に櫂の顔が見えた気がした。

起きた時目の前に櫂の顔があって、驚いたのは何年前のことだっただろう。

「あんなことやこんなことした仲やろー?」とか言って、櫂が絡みついてきて、そのまま眠ってしまって朝が来た。

朝。
起きた時に目の前に櫂がいたら、こんな気持ちになるのか。

ふわふわとした気持ちの中でそんなことを考えて、そしてまた、櫂の顔が、消えた。

耳だけが起きているような、不思議な感覚。

「櫂、おんぶしてやれよ」
「え、こっから? 無理やろ」
「いやいや、朔ちゃん軽いだろ」
「え、知っとんの?」
「知らんわ! ほんと櫂はヤキモチ妬きだなぁ」

そんな会話の後、ふわりとカラダが浮かび上がった。

「朔、帰ろ」

そんな声が聞こえて、柔らかい髪が鼻に当たり、くすぐったい。鼻に甘い香りがして、すぅーっとそれを、吸い込んだ。

「ちょっと朔! そこはあかんこしょばいっ!」

そんな声が、すぐ耳元から聞こえる。

ほとんど夢の中で、それでもハッキリと思った。


もう、十分だ。
この温もりと、この声を、守りたい。
この心地よさの中に、いたい。

ファンに、出来る限りの恩返しがしたい。
そこは、譲れない。

それだけ。
それが叶ったなら。
もう、引退しよう。


素直に湧き上がる気持ちに、凌空のスッキリとしたあの顔が浮かぶ。

そして真っ直ぐ前を見た、櫂の、あの顔が浮かんだ。


ファンへの恩返し。

朔良として、最後にちゃんと作品を残すこと。
後輩たちに、持てる技を伝えて。
そして、ファンが別れを悲しんだ、この人たちの姿を残す。

朔良として、できること。

それを、ファンが望んでいるかわからないけれど、それを、待っている人がいるのかわからないけれど、何よりも今、自分がそうしたいと思った。

空気が変わって、柔らかい空気が、朔良を包み込んだ。

「じゃ、気をつけてな」と、弦の声が聞こえ、リズム良くカラダが揺れる。 

「俺んちでいいんかなぁ~……事務所行くかぁ?」

独り言のような櫂の声が、頭に心地よく響く。

「朔~……もうすぐ桜が咲くで……」
「うん……」
「俺らが出会ったんも、このくらいの季節やったなぁ……」
「うん……」
「朔と会えんくなってから、桜見ると何とも言えん気持ちんなってさ、苦しくなって……頑張らな頑張らなって思ってた気持ちに甘えが出るってゆうかさ……あんま見ぃひんようにしとった……」
「……」
「今年は、一緒に見れるんかなぁ……」
「……見ようよ……」
「……え、起きとるん?」
「……寝とる……」
「なんで関西弁やねん、起きとるやんか」

ふふふと笑いが、こみ上げる。
少しずつ戻る頭の中の回路と、柔らかな風と、櫂の香り。

素直な気持ちが、溢れ出る。

「早くあったかくならんかなぁ」
「……夏は嫌い……」
「夏になったらさ、海行こうや」
「焼けるし……」
「ええやん、たまには焼いたれ」
「そうかぁ……もう気にしなくていいのか……」
「え? いやちょっとは気にした方がええんやろうけど。朔、色白やしすぐ赤くなりそう……KANちゃんに怒られんで」

桜の季節に出会い、夏の落ちる太陽の下で、恋に落ちた。
太陽が落ちて訪れるのは、黒い世界。
暗くて、黒くて、引き摺り込まれそうな闇。

うっすらと目を開けて、そこにあるのも、闇。

救いを求めた光が見えないときには、月を見て。
光り輝く、星を見て。
月も、星も見えないときには、その闇に怯え震えた夜もあった。

今、そんな夜が訪れても、大丈夫だと思った。
櫂がいれば。
そして、凌空や弦やKANがいて、あの場所がある。

それを、ただ、ただこれからも、大切にしたい。

「櫂ぃ……俺、引退するわ……」
「は?」
「モデル、辞めるわぁ……」
「え? はぁ⁉︎  ……えぇ⁉︎」
「ふふ……櫂がいて、よかった……」
「いやいや、はぁ⁉︎」

櫂らしい、反応に、くすりと笑う。


自然に思えた。
朔良としての、引き際と、朔良としての生き方。


櫂がいてくれるから。
凌空と弦が、変わらずいてくれるから。

朔良を、引退できる。


「櫂、無理にやらなくていいよ」
「ん?」
「櫂朔……復活なんて、普通じゃない……」
「あぁ……」
「ただ……最後に、ファンに返したいんだ」
「うん……わかるよ……」

引退すること。
櫂といること。
ファンに返すこと。

全てそれは、独立した話で、関係しているわけではない。どれかひとつなくなっても、選択は変わらない。

そして、どうしても失くしたくないものは、ただ、ひとつ。


「櫂ぃ……ずっとココにいてな……」
「なに急に、話見えんわー」
「いいじゃん……俺はずっとココにいるって決めた」
「勝手に決めんなやおんぶは嫌やで?」
「いやいや、おんぶって……やっぱおもしろいなぁ櫂」
「つぅか完全に起きとるやん歩けやー!」
「嫌だ。今日はココがいい」

ぎゅぅっと力強く、櫂の背中にしがみつき、そしてまた、櫂の甘い甘い香りを、すぅーっと吸い込んだ。
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