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事件⑤

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昔から、心のウチを気づかれないように、必死だった。

昔から、周りの人の顔色を伺っているような、子どもだった。


白くて細い、朔良の腕を引き櫂は、薄暗くてボロボロの倉庫のような場所へと入った。明らかに怪しげなこの場所に、無言で朔良はついてくる。聞こえる足音、吐く息を櫂は、背中に感じた。


この場所は、嫌いな場所。

嫌いだけどなぜか、落ち着く場所。
暗くて、少しだけ汚くて。
でも誰にも見つからないこの場所がかつて、居場所だった。


倉庫の中の、一角。
小さな窓辺、そこだけ、塵や埃の積もり方が違う、人気のないこの場所に誰かが時々いた痕跡。

そこに、櫂は躊躇わずに座った。

「ここ……俺がよくいた場所」
「……うん……」

朔良は険しい顔をして、小さく頷いて、ただ、櫂を見つめた。

「朔、ココ、来て」

砂埃を払うように櫂は、隣をポンポンと叩いた。
促されるまま朔良は、櫂の隣に座った。

「ココな、暗くて、誰も来んのよ。で、ここからな、ちょっとだけ見えるんだよ、夜景」

窓辺から見えるのは、遠くに見える、横浜の夜景。
ビルの隙間に小さく、小さくそれは見えていた。
櫂の肩にもたれかかるように体重を預け朔良は、窓を覗き込んだ。

「ちっさ」
「だろ? すげぇ小さく見えんの、あれをな、ずっと見よったん」
「うん……」
「俺な、親、おらんねん」
「親……?」
「妹しか、おらんねん、家族……」

遠くの夜景を見て、櫂はゆっくりと、静かに話した。







子どもの頃から、『ひと』が怖かった。
小さい頃から、信じられる『ひと』が、いなかった。

自分と、2歳年下の、妹。
妹は昔から身体が弱かった。
いつも咳をしていて、いつも苦しそうで。
それでも病院に行くことはなく、その妹の苦しそうな呼吸を聞いていること、それが、恐怖だった。

夜、妹が寝た後に訪れる静寂が、好きだった。

ひとりの時間。
だれの視線も感じない。
ひとり、しずかに、夜の空を見る。

いつの間にか眠ってしまい、次に眩しさを感じる時、また、長い1日が始まった、と心が沈む毎日だった。


話しかけても、大した返事のない両親。
どんなに熱が出ても、苦しくても、なにも変わらない態度。

普通でいたかった。
普通の家族に、憧れた。
普通でいたくて、外では、笑った。
笑って、普通にして、そして静かに、泣いた。

10歳になった頃、母親が消えた。
そしてすぐ、父親が手を挙げ、妹が、大きな怪我をした。

泣いて走って家を出て、それから父親はどこかに、連れて行かれた。


そして自分たちは、少しだけ施設に入って、親戚中を、転々とした。


必死だった。
そこにいる人たちに、普通に接してもらうために。
ちゃんと、話をしてもらうために。

いつも笑って、そして、心のウチを見せないように。

いつも、いつも。
必死だった。







「それって……」
「ネグレクトってやつ? 最近よ。自分がそーゆーの受けとったって、やっと認識した」
「今……父親は……?」
「知らん……親戚で知っとる人はいるらしいけど」
「そっか……」
「親戚はな、優しかってん。ただな、やっぱりいろいろ事情があるから、長く世話になれんこともあって」
「うん……」
「大阪の親戚んところが1番長かったで、関西弁混じるんよ。でも、次の親戚のところで嫌がられたらいかんと思って、必死で隠してん」


櫂の手に、朔良はそっと手を重ねた。
大きくて、長い指。
そしてそれは、冷たくて、小さく震える。

「仕事はじめて、今は妹と住んどる。妹、普通に働けん。結構でかい病気もして……多分、あんまり長くない」
「え……?」
「医者から言われとる。もう治療はできひんて」
「そう……なんだ……」
「なんでこんなときに家におったんやろ……入院しとる時も多いねんで? なんでや……」

櫂の声が、少しずつ上ずる。
その顔を朔良は、見ることができなくて、じっと櫂の震える指先を、見つめた。

「ちゃんと……最期までちゃんと……お兄ちゃんでいたかったなぁ……」

震える声に、朔良はたまらず櫂を抱きしめた。

自分より大きな身体。
投げ出した長い手足。

それが、小さく震えていて、そしてとても、小さく見えた。

ずっとふたり、支え合ってきたのだろう。
やっとふたり、だれにも気を使わずに、生活できるようになったのだろう。

櫂の妹……彼女の運命や、彼女の歩んできた道を、自分は知らない。

それでもきっと、その運命を受け止めながら櫂は、彼女のそばで、お兄ちゃんとしての姿を見せて。


それが、一瞬で崩れ去った時、彼は、どんな気持ちでいたのだろう。

どんな気持ちで、笑っていたのだろう。

それでも笑わなければと。
それでも笑えるほどの、彼の過去と、彼の心。



櫂の笑顔の奥に隠れていた寂しげな表情。
その意味が、わかった気がした。


腕の中で櫂は、静かに泣いた。
声を出さずに、静かに、涙を流した。


それでもいいと思った。

櫂が笑わずに。
心のウチを見せてくれたこと。

それだけで、十分だった。



「俺もさ、嫌なことがあると、あの夜景見てた」
「そうなん……」
「俺は、あの近くの海を見ててさ、真っ暗の海に落ちそうになるんだよ。でもあの夜景見てるとなんか、落ち着く」
「うん……同じやん。あの夜景見てさ、なんか……いろんなこと思っとった」 
「うん……」

同じ夜景を見て、心を落ち着けて。
同じ夜景を見て、先の見えない、未来を想う。

その未来に待つのは、光か、闇か。

わずかな光を信じて、また眩しいほどの光を浴びる。それがたとえ、希望の光ではなくても、必ず訪れる朝の光。

求めたのは、夜の闇に浮かぶ、光だった。


櫂、隠さなくていいよ
俺は拒否しないから
関西弁でいいし、泣いても怒ってもいい


そんなことを、隣で話した。
そんなことしか、言えなかった。


「朔は優しいな……」

すっかり涙の引いた櫂の隣で、遠くに光る、イロトリドリの光を見る。

都心の夜景とも、有名などこかのようなオレンジの夜景とも、少し違う。
ココの夜景は、オレンジや黄色、緑、赤。
いろんな色が、光る。

「だって放っとけねぇよ……」
「エロカップルやからな」
「そうそう、エロい同級生な」
「おらんくなったら、あかんからな」

決して、視線は合わさない。
遠くの光が映る瞳は、なにを見ているのか。


「だって櫂が好きだから」

そんな言葉をぐっと飲み込み、朔良は小さく笑った。
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