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婚約式

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 婚約式は、セザーヌ国の形式で行うことになっている。

 婚約式で利用する聖堂は、天使が描かれたステンドグラスが美しいところで、王侯貴族の結婚式などでよく利用される。王家所有の聖堂なので、利用には常に王家の許可が必要で、なかなか一般公開はされないが、婚約式の今日は、聖堂内には入れないものの、敷地内は一般市民でも訪れることができるように配慮されていた。

 聖堂の外には、セザーヌ国の第二王女と、グロディール国の世継ぎの王子との婚約式を見ようと、一般市民も数多く集まっているようだと、遥香は控室に訪れた姉のコレットに教えられた。

「お父様ったら、よっぽどリリーとクロード王子の婚約式を見せびらかしたいのね」

 王族の結婚式のときでも、一般市民に聖堂の敷地内の立ち入りを許可することは少ないのに、とコレットがあきれた表情を浮かべた。

 遥香は真っ白なドレスを着て、控室の椅子に座っていた。青色の花で髪を飾り、ダイヤモンドのイヤリングとネックレス、シルバーの靴には花模様の繊細な刺繍が施されている。

「きれいよ、リリー」

 コレットが自分のことのように嬉しそうに言ってくれる。

 口紅が取れるので、準備を終えた遥香はもう飲み物を飲むことができないが、侍女のアンヌがコレットのために紅茶を煎れて差し出した。

 コレットはティーカップに口をつけながら、しみじみと、

「本当は、不安そうな顔をしていたらどうしようかと思って見に来たの。でも、大丈夫そうね。おめでとう、リリー」

「お姉様……」

 今日は結婚式ではなく婚約式なので、式を終えてもまだセザーヌ国から離れることはないのだが、感慨のようなものが押し寄せてきて、遥香の目が潤んでくる。

「あら、リリー、泣いてはダメよ!」

「そうですよリリー様。お化粧が落ちてしまいます!」

 コレットとアンヌに慌てたように言われて、遥香は涙がこぼれる寸前で何とか耐えた。

「今日はあなたのお母様――ヴァージニア様もいらっしゃるのでしょう? 笑っていないと心配をかけてしまうわよ?」

 そうなのだ。遥香の母であり国王の側室であるヴァージニアは、もともと体が丈夫でないことから、今は実家である伯爵家ですごしている。最近は体調もいいらしく、今日は愛娘の婚約式のために祖父ともども駆けつけてくれることになっていた。先に国王に挨拶をしてから控室に来てくれることになっている。

「さっきお父様のそばでお見かけしたから、もうじきいらっしゃるんじゃないかしら?」

「そうなの? じゃあ笑っていなくちゃね。お母様にお会いするのは久しぶりだわ」

 年に一、二度は伯爵家に顔を出すことはあるけれど、王女である遥香が、いくら実の母と祖父とは言え、外戚の家に入り浸ると嫌な噂が立つ。それがわかっているから、母や祖父からは、あまりこちらに来てはいけないと釘を刺されていて、なかなか会えていなかった。

 遥香が嬉しそうな顔をするのを見て、コレットは顔を曇らせた。

「……ごめんなさいね。ヴァージニア様が城を離れて実家で療養することになったのは、わたしの母のせいよね……」

「お姉様、そんなことはないわ!」

「いいえ、あるのよ。本当に、申し訳なくて……」

 コレットはティーカップをおくと、はあ、と息を吐きだした。

 コレットの母である正妃は気が強いことで有名で、遥香も幼いことはチクチクと厭味を言われたことがある。今はほとんどを実家の公爵家ですごしていて、国王と王妃の不仲説も巷で噂されているそうだが、詳しいことは知らない。知っていることと言えば、コレットが実の母である正妃を苦手として、距離をおいていることくらいだった。

 遥香は硬い表情になってしまった姉を何とか笑顔に戻そうと、口を開きかけた。だが、そのとき、ちょうど部屋の扉が叩かれて、母であるヴァージニアと父である国王、そして祖父の伯爵が入ってきた。

「あら、リリー、とってもかわいいわ! わたしの妖精さん!」

 ヴァージニアはコレットに挨拶をすると、小走りで娘に駆け寄って、ドレスを崩さないよう、軽めに抱きしめた。

 ヴァージニアは小柄な女性で、なおかつ、とてもおっとりしている。娘のおっとりとした性格は間違いなく母譲りだろう。ふわふわと波打つ黒髪は背中に流れ、百合の花をかたどった髪飾りを刺していた。

「ジニー、君はさっき、私には『老けちゃったのねぇ』と言ったのに、その差は何だ!」

 後ろで母を愛称で呼びながら、国王が拗ねたように言うと、ヴァージニアは頬に手を当ててコロコロと笑った。

「あらだって、リリーはまだ十八歳だもの。老けたりしないわ」

 変なことを言うのね、と言うヴァージニアに、コレットが吹き出した。

「お父様の負けね」

「あんまりだ……」

 うなだれる父を見て、遥香は少し可哀そうになった。

 ヴァージニアは昔からこんな調子で、おっとりしながらも、父をあっさりやり込める。本人にはそんなつもりはないそうなのだが、少しずれたことを言う母に、父は子供のように拗ねるのだ。しばらく離れて生活している二人だが、あまり変わっていないようで安心した。

「おじいさまも、来てくださってありがとうございます」

 国王の背後で穏やかに微笑んでいた祖父を見上げると、彼は目尻に皺を寄せて、一つ頷いた。

「当り前だ。つい最近まで三歩歩いては転んでいた小さかったリリーが、もう婚約するのには驚いたがね。少し淋しいが、おめでとう」

「私は少しではなくとっても淋しい」

「……お父様、何を言っているの?」

 婚約を決めたのは父だろうと、コレットがあきれ顔をしたが、国王は娘二人を見て、真剣な顔をした。

「リリーが婚約して淋しいから、ジニーに城に戻ってこいと言っているのに、最近体調もいいくせに、うんと言わないのだ。お前たちからも何とか言ってくれ」

 ここに来る前にそんな話をしていたのか。

 遥香がヴァージニアを見上げると、彼女はアンヌの煎れた紅茶に口をつけながら答えた。

「お父様ももうお年だし、わたしもすぐに寝込んでしまうし、今のままの方がいいかと思って」

「私はいやだ」

「お父様、子供みたいなことを言うのはよくないわよ」

 コレットがたしなめるが、家族の前では国王の威厳なんて知ったことかと言わんばかりに、父はヴァージニアの手を握りしめた。

「リリーもじきに嫁ぐし、コレットもアリスも遅かれ早かれ嫁いでしまうだろう。そうなっては、取り残された私が淋しいじゃないか」

「お父様、お兄様たちを忘れていません?」

 遥香が突っ込んだが、国王はあっさり答える。

「あいつらは可愛げがないからどうでもいい」

 ヴァージニアは「あらあら困ったわねぇ」と言いながら、ちっとも困った顔はせず、にこにこと微笑んだ。

「そうねぇ、リリーがグロディール国に嫁いでしまうまでの間だったら、お城に戻ろうかしらね」

 父は娘が嫁いでしまったあとが淋しいと言っているのだが、少しずれている母には通じていないらしい。しかし、短い間でも城に戻ってくることを了承したヴァージニアに、父はパッと顔を輝かせた。

「本当だな!?」

 娘たちをそっちのけで、ヴァージニアを口説くのに忙しい国王に、コレットが苦笑を浮かべて遥香の耳元でつぶやいた。

「相変わらず、あの二人は仲がいいわね」

 しみじみとしたそのつぶやきに、遥香はコレットと同じように苦笑いを浮かべながらも、もし可能ならば、クロードとも、父と母のように仲のいい夫婦になれればいいなと思った。
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