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仮面舞踏会

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 ――どうして、キスなんてしたんだろう。

 怒ったクロードにキスをされてから、夢の中の遥香――リリーは、そればかりを考えていた。

 クロードのことがよくわからなかった。

 彼が何を考えているのか、まったく理解できない。

 遥香は政略結婚の相手で、その遥香がパッとしない女だから気に入らないのかと思っていた。それで意地悪ばかりを言うのだと。それなのに、もともとの予定のアリスの方がいいのだろうと言うと彼は怒った。

 よく、わからない。

 アリスの方がいいに決まっているのだ。

 好きな人がいると言うアリスには申し訳ないが、クロードがアリスを望むのなら、こっそり父王にそれを伝えてもよかったのに。

 政略結婚なのに、今更ぐずぐず言ったから怒ったのだろうか。

 でも、クロードも少し考えればわかるはずだ。政略結婚だからこそ、将来の王妃として不安しかない自分より、快活で社交性にたけているアリスの方が圧倒的に王妃として求められる能力を持っていることを。

 その証拠に、クロードの意地悪は遥香に対してだけだ。

 アリスと話しているところを見かけたことがあるが、彼はいつもにこやかに、紳士的に接していた。

 遥香だから、彼は意地悪をするのだ。気に入らないから。

 遥香はレースを編んでいた手を止めた。

 ため息をついて窓の外を見る。窓外は、雨が降っていた。

 雨が音を吸収するのか、雨の日の城は閑散としていて、とても静かに感じる。

 まるで時間が止まったみたいだ。

 小さな雨粒の音だけが、音楽のように聞こえてくる。

 遥香は手元に視線を戻すと、レース編みを再開した。もうすぐアリスの誕生日だから、プレゼント用にドレスの上にでも羽織れるショールを作っていた。

 アリスと仲良くないコレットが、侍女に適当に買ってこさせればいいと毒づいていたのを思い出して、小さく笑ってしまう。文句は言うくせに、一応と言いながらもプレゼントを用意するあたり、コレットの優しさを感じる。

 そうしてクロードのキスの一件を忘れるため、黙々とレース編みに集中していた遥香は、侍女が来客を告げる声に顔を上げた。

「クロード王子がいらしています」

 またか。

 遥香は頭が痛くなった。

 キス以来、遥香は気まずくて仕方がないというのに、クロードは何も思わないようで、相変わらず頻繁に部屋を訪れる。クロード王子にとって、キスは軽い行為なのかもしれない。悩んでいるのは遥香だけで、少しだけ悔しい。

 遥香はレース針をおきかけたが、クロードの冷ややかな視線や顔、意地悪な言葉の雨を思い出して、心の中が今日の空模様のようにどんよりしていくのを感じた。

「……気分がすぐれないの。クロード王子に、ごめんなさいと伝えてくれる?」

 侍女にそう告げると、本当に顔色を悪くしている遥香に、彼女たちは慌てたように頷いた。

「わかりました。姫様、レース編みはいつでもできますから、ご気分がすぐれないのなら横になっていてください!」

「ゆっくりしていれば大丈夫よ。それに、午後からお姉さまとお茶の約束があるから、寝てはいられないの」

「ご気分がすぐれないのでしたら、コレット様とのお約束も後日にしては……?」

「少し頭が痛いだけだから、しばらくしたら落ち着くと思うわ。ありがとう」

 遥香の頭痛の原因がクロードにあることを知らない侍女たちは、訝しげな表情を浮かべながらも首肯して、クロードに断りを入れてくれる。

 遥香はホッと息を吐きだすと、再びレース編みに集中した。

 できるだけ、クロードに会いたくない。

 彼がセザーヌ国に滞在している間、婚約者である遥香がクロードを無視できないのは知っていた。部屋に来た彼を追い返すのもよくないことだろう。

 けれど、少しだけ時間がほしかった。

 意地悪や先日のキス、そして、リリックが告げた、リリックが婚約者になっていたかもしれないという事実――短い間にいろいろなことがありすぎて、遥香の心の中はさざ波が立っているように落ち着かないのだ。

 少しだけでいい、心を落ち着ける時間がほしかった。

(わたし……、こんな気持ちでクロード王子と結婚して、大丈夫なのかしら)

 まだ、具体的な結婚の日取りまでは決まっていない。

 けれども、婚約したからには、婚約破棄などよほどのことがない限り、次は結婚という儀式が待っている。

 いっそ婚約破棄になってくれればどんなにかいいか……。

 遥香は雨足の強くなってきた窓外を見やり、もう一度ため息をこぼしたのだった。
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