上 下
1 / 145

プロローグ

しおりを挟む
 遥香はるかは毎夜、不思議な夢を見る。

 はじまりは、いつだったかわからない。

 わかっているのは、毎夜見る夢の世界が、いつも同じということだけだ。

 夢の中で遥香はどこか異国のお城に住まうお姫様で、綺麗なドレスを着て、毎日優雅にのんびりと暮らしていた――


     ☆   ☆   ☆


「リリー様」

 呼ばれて、遥香は顔を上げた。

 夢の中で遥香は「リリー」と呼ばれていた。

 遥香は、お城の自室で午後のティータイムを楽しんでいた。

 部屋の中は広く、天蓋てんがいつきのベッドや、皮張りのソファ、本棚やテーブルなどの家具は、一目見ただけでも高級そうなものばかり揃っている。

 遥香は今、スカイブルーのドレスを身に着けていた。髪は一つにまとめられ、真珠しんじゅのバレッタでとめられている。

 自分のことを不細工ぶさいくとは言わないが、特別可愛い顔立ちでもない遥香は、豪華に着飾っているのが少し恥ずかしくなるのだが、夢の中の「リリー」にはどうやらそれが日常で、さほど抵抗感はないらしい。

 いつも当然のように侍女が着飾らせるのを、華美かびすぎなければと言いつつ受け入れていた。

 夢の中で遥香は、この世界の国王の二番目の娘らしい。つまり、王女様だ。母親は正妃ではなく側室らしいのだが、だからといって父親である国王は、娘に差別はしないようだ。夢の中の「リリー」はいつも姉であるコレットと同じように贅沢な暮らしをしていた。

「どうかしたの?」

 夢の中の遥香は、自分を呼んだ侍女におっとりと訊ね返した。

 侍女は部屋の入口の扉にちらりと一瞥いちべつを投げてから、「コレット様がいらしています」と告げた。

 二つ年上の姉が部屋に来ることは珍しい。

 不仲ではないのだが、遥香とは違い派手好きの彼女は、いつもいろいろな遊びに興じていて、城にいないことが多いのだ。

 昨日見た夢の中でも、伯爵家でもよおされた仮面舞踏会かめんぶとうかいに出席していたはずだ。遥香も誘われたのだが、どうやら夢の中のリリーは、現実の世界の遥香と同じで、そう言った派手な遊びは好きではないらしく、丁重に断りを入れていた。

 コレットはくるくると波打つ金色の巻き髪を一つに束ねて、乗馬服を着ていた。

「リリー、一緒に乗馬はどう? たまには体を動かさないとだめよ」

 コレットは遥香の隣に腰を下ろすと、すらりとした足を高く組んだ。

 夢の中の遥香はどうやら体を動かすことは好きではないらしい。いつも部屋で読書をするか#刺繍#__ししゅう__#をしているので、姉であるコレットは心配らしかった。

 遥香は困ったように眉尻を下げた。

「お姉さま、わたしは、乗馬はちょっと……」

「あなた、まだ馬の上が怖いの?」

「ええ。だって、おっこちそうなんだもの」

 遥香が言うと、コレットが肩をすくめた。

「もう。しょうがないわね」

 誘いに来たわりにコレットはあっさり引き下がった。どうやら本題はほかにあったらしい。コレットは侍女に紅茶を煎れるよう頼んで、組んだ足の上に頬杖をついた。

「ねえ? 婚約、いやなら断ってもいいのよ?」

 遥香は目を丸くして、それから小さく苦笑した。

 そう、遥香は先月――夢の中での話がだが――、隣国の王子と婚約したのだ。だが、それは書面上だけのことで、相手の顔はわからない。本当は顔合わせを行うはずだったのだが、相手方の都合で顔合わせは先送りになったのだ。

 姉であるコレットは、遥香がこの婚約に乗り気でないことに気がついていた。

 しかし、国同士の約束であり、外交的な理由があるこの婚約に、遥香は何も言えず、周りが勝手に進めるのを、ただ黙って見ていたのだ。

「お姉さま、仕方のないことだから……」

 遥香のこの婚約は、国同士の同盟のために取り交わされた約束だった。数年前まで隣国とは国境付近で小競り合いが続いていたが、何度も繰り返された話し合いの末、ようやく落ち着いたのだ。その時取り交わした約束の中に、王女の一人を嫁がせるというものがあったのである。

「本当は、あなたのはずじゃなかったじゃないの」

 コレットはあからさまに顔をしかめて見せた。

 そうなのだ。この国の王女はコレットと遥香のほかにもう一人いる。遥香のすぐ一つ下に、遥香の母親とは別の側室が産んだ第三王女がいるのだ。

 本当は、この第三王女が嫁ぐ話だったのである。

土壇場どたんばになって、あの子が隣国に嫁ぎたくないと我儘わがままを言ったから、急にあなたの名前があがったんじゃないの」

「お姉さま、仕方がないわ。だってアリスには好きな人ができちゃったんだもの」

「アリスが言うことだもの、その好きな人のことだって、本当かどうか怪しいものだわ」

「お姉さま……」

「だってそうでしょう? ずいぶん急だったじゃないの」

 コレットはぷりぷり怒りながら、茶請ちゃうけのクッキーを口に入れた。

「お姉さま、怒ってくれてありがとう。でもわたしは別にいいのよ。ただ、急に相手が変更になった王子様の方がかわいそうだわ。だって、わたしはアリスみたいに美人でもないし、何か取り柄があるわけでもないもの」

 そう、アリスは国でも評判の美人だった。セザーヌ国の美姫びきうたわれるほどである。コレットも華やかな顔立ちの美人で、正直、遥香は三姉妹の中で一番平凡な顔立ちをしていた。

 コレットは両腕を伸ばし、遥香を抱きしめた。

「何を言ってるの! あなたはこんなに優しい子じゃないの。それに、肌だってとてもきめ細やかで真っ白で、すぐにニキビができちゃうわたしには羨ましくって仕方がないのよ」

「ふふ、ありがとう」

「あら、冗談だって思ってるでしょ? 本当よ?」

 コレットにぎゅうっと抱きしめられて、遥香はくすくすと笑った。

 確かに、遥香は急に婚約の話が自分に回ってきて、とても不安だった。それは、十人並みの自分の容姿を見た隣国の王子が、きっと落胆らくたんするだろうからだ。

 王女に生まれたからには、政略結婚せいりゃくけっこんは当たり前だと思って生きてきた。国のために有益になる相手に嫁がされるのは覚悟の上だった。そこに愛がなくたって仕方がない。不安なのは、相手をがっかりさせないかどうかだけなのだ。

 遥香はコレットの腕の中で、まだ見たことのない王子様を思い描いた。

 うわさに聞く話だと、ずいぶん華やかな顔立ちをしている人らしい。

(わたしの顔を見て、怒り出さないといいけど……)

 遥香はこっそりと、ため息をついたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?

雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。 最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。 ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。 もう限界です。 探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。

愛されない花嫁は初夜を一人で過ごす

リオール
恋愛
「俺はお前を妻と思わないし愛する事もない」  夫となったバジルはそう言って部屋を出て行った。妻となったアルビナは、初夜を一人で過ごすこととなる。  後に夫から聞かされた衝撃の事実。  アルビナは夫への復讐に、静かに心を燃やすのだった。 ※シリアスです。 ※ざまあが行き過ぎ・過剰だといったご意見を頂戴しております。年齢制限は設定しておりませんが、お読みになる場合は自己責任でお願い致します。

今さら後悔しても知りません 婚約者は浮気相手に夢中なようなので消えてさしあげます

神崎 ルナ
恋愛
旧題:長年の婚約者は政略結婚の私より、恋愛結婚をしたい相手がいるようなので、消えてあげようと思います。 【奨励賞頂きましたっ( ゚Д゚) ありがとうございます(人''▽`)】 コッペリア・マドルーク公爵令嬢は、王太子アレンの婚約者として良好な関係を維持してきたと思っていた。  だが、ある時アレンとマリアの会話を聞いてしまう。 「あんな堅苦しい女性は苦手だ。もし許されるのであれば、君を王太子妃にしたかった」  マリア・ダグラス男爵令嬢は下級貴族であり、王太子と婚約などできるはずもない。 (そう。そんなに彼女が良かったの)  長年に渡る王太子妃教育を耐えてきた彼女がそう決意を固めるのも早かった。  何故なら、彼らは将来自分達の子を王に据え、更にはコッペリアに公務を押し付け、自分達だけ遊び惚けていようとしているようだったから。 (私は都合のいい道具なの?)  絶望したコッペリアは毒薬を入手しようと、お忍びでとある店を探す。  侍女達が話していたのはここだろうか?  店に入ると老婆が迎えてくれ、コッペリアに何が入用か、と尋ねてきた。  コッペリアが正直に全て話すと、 「今のあんたにぴったりの物がある」  渡されたのは、小瓶に入った液状の薬。 「体を休める薬だよ。ん? 毒じゃないのかって? まあ、似たようなものだね。これを飲んだらあんたは眠る。ただし」  そこで老婆は言葉を切った。 「目覚めるには条件がある。それを満たすのは並大抵のことじゃ出来ないよ。下手をすれば永遠に眠ることになる。それでもいいのかい?」  コッペリアは深く頷いた。  薬を飲んだコッペリアは眠りについた。  そして――。  アレン王子と向かい合うコッペリア(?)がいた。 「は? 書類の整理を手伝え? お断り致しますわ」 ※お読み頂きありがとうございます(人''▽`) hotランキング、全ての小説、恋愛小説ランキングにて1位をいただきました( ゚Д゚)  (2023.2.3)  ありがとうございますっm(__)m ジャンピング土下座×1000000 ※お読みくださり有難うございました(人''▽`) 完結しました(^▽^)

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

処理中です...