96 / 129
泉の妖精の異変
3
しおりを挟む
大きな貝殻のようなベッドに、白くふわふわと波打つ髪を広げて、カモミールの姫は眠っていた。
ぷっくりとした唇、幼子のようにやわらかい頬、白い肌に、長いまつ毛。
ベッドの淵に腰かけて、彼の指先はゆっくりとカモミールの姫に触れる。
泉の妖精たちが強引に連れてきてから、彼女はずっと眠っていた。
「可愛い……、私の眠り姫」
彼はうっとりとつぶやく。
青灰色の髪に、同色の瞳。すっきりとした輪郭。目元は少し垂れ目気味で、印象は甘く優しい。だが、その瞳に宿るのは、仄暗い光だ。
左の頬には、墨で描かれたように黒い模様。それは曼珠沙華のような形をしていた。
「やっと手に入れた」
うっそりと笑う。
彼は愛おしそうにカモミールの姫の頬を撫でてから、その唇に触れるか触れないかというほどの軽いキスを落とす。
「早く目を覚まして。私がここでずっと――、愛してあげるから」
カモミールの野原に行くと、待っていたとばかりに妖精たちが集まってきた。
「さーしゃさま――!」
「さーしゃろっどさまぁ―――!」
「ひめさまが―――!」
妖精たちは今にも泣きだしそうな顔でサーシャロッドとエレノアを取り囲む。
カモミールの姫の両親は、目の前で娘が攫われてショックで寝込んでしまったらしい。
「サーシャロッド様」
「ああ、翁も呼ばれていたのか」
妖精たちをかき分けるようにして、ふわふわの白いひげを蓄えた妖精の翁が姿を見せた。真っ白い眉を下げて、疲れたような顔をしている。
「妖精のことでお手を煩わせて申し訳ございませぬ。奥方様もわざわざ起こしいただきありがとうございますじゃ」
「いや、かまわん。それで、どうなっている?」
「それが、わしにもよく……。先ほどから女王に話しかけてみてはいるのじゃが、まったく反応がありませんのじゃ」
「反応がない?」
翁は頷いて、小さな翁の身長の半分ほどの大きさの巻貝を取り出した。泉の女王は普段湖の底の城で暮らしているので、連絡の手段としてこうした魔法のかかっている道具を使うことが多い。翁は、その貝に向かって「女王やー」と話しかけるが、しばらく待っても何の反応もなかった。
「妙だな」
泉の女王は生真面目な性格だ。こちらからの呼びかけを無視したことはない。
エレノアも、一度だけ会ったことがある泉の妖精の女王を思い出した。濃い青色の波打つ髪をした、腰から下が魚の尾ひれのような姿の、可愛らしい妖精だった。とても優しそうな顔で、実際にエレノアに対しても優しく親切だった。
エレノアは心配になって湖に視線を向ける。
カモミールの姫も心配だが、連絡が取れないという泉の女王も心配だ。
(突然、どうしたのかな……。――あれ?)
エレノアはつないでいたサーシャロッドの手を放して、湖に近寄った。湖の中央のあたりが小さく泡立っているように見える。
「こら、離れるんじゃない。約束しただろう」
サーシャロッドの腕がエレノアの腰に巻きつき、言いつけを守れない子供を叱るような口調でたしなめる。
「ごめんなさい。でも、サーシャ様、あれ……」
エレノアが指さす方を見たサーシャロッドは、微かに眉間に皺を寄せた。
翁もそちらに目を向けて、ふさふさの眉毛に半分隠れている目を見開く。
「水が……」
それはあっという間の出来事だった。
小さくぷくぷくと泡立っていた湖の水が、中央から外に向けて、波紋を広げるかのように黒く染まり、エレノアは小さく悲鳴を上げる。
「く、黒くなった……」
サーシャロッドは近くにいたカモミールの妖精を捕まえ、こう命じた。
「急ぎ、雪の妖精の女王のところから、ポールを連れてきてくれ」
青水晶を持ってくるように――、サーシャロッドのその言葉を聞いて、エレノアは、ついひと月前の黒い雪だるまのことを思い出した。
ぷっくりとした唇、幼子のようにやわらかい頬、白い肌に、長いまつ毛。
ベッドの淵に腰かけて、彼の指先はゆっくりとカモミールの姫に触れる。
泉の妖精たちが強引に連れてきてから、彼女はずっと眠っていた。
「可愛い……、私の眠り姫」
彼はうっとりとつぶやく。
青灰色の髪に、同色の瞳。すっきりとした輪郭。目元は少し垂れ目気味で、印象は甘く優しい。だが、その瞳に宿るのは、仄暗い光だ。
左の頬には、墨で描かれたように黒い模様。それは曼珠沙華のような形をしていた。
「やっと手に入れた」
うっそりと笑う。
彼は愛おしそうにカモミールの姫の頬を撫でてから、その唇に触れるか触れないかというほどの軽いキスを落とす。
「早く目を覚まして。私がここでずっと――、愛してあげるから」
カモミールの野原に行くと、待っていたとばかりに妖精たちが集まってきた。
「さーしゃさま――!」
「さーしゃろっどさまぁ―――!」
「ひめさまが―――!」
妖精たちは今にも泣きだしそうな顔でサーシャロッドとエレノアを取り囲む。
カモミールの姫の両親は、目の前で娘が攫われてショックで寝込んでしまったらしい。
「サーシャロッド様」
「ああ、翁も呼ばれていたのか」
妖精たちをかき分けるようにして、ふわふわの白いひげを蓄えた妖精の翁が姿を見せた。真っ白い眉を下げて、疲れたような顔をしている。
「妖精のことでお手を煩わせて申し訳ございませぬ。奥方様もわざわざ起こしいただきありがとうございますじゃ」
「いや、かまわん。それで、どうなっている?」
「それが、わしにもよく……。先ほどから女王に話しかけてみてはいるのじゃが、まったく反応がありませんのじゃ」
「反応がない?」
翁は頷いて、小さな翁の身長の半分ほどの大きさの巻貝を取り出した。泉の女王は普段湖の底の城で暮らしているので、連絡の手段としてこうした魔法のかかっている道具を使うことが多い。翁は、その貝に向かって「女王やー」と話しかけるが、しばらく待っても何の反応もなかった。
「妙だな」
泉の女王は生真面目な性格だ。こちらからの呼びかけを無視したことはない。
エレノアも、一度だけ会ったことがある泉の妖精の女王を思い出した。濃い青色の波打つ髪をした、腰から下が魚の尾ひれのような姿の、可愛らしい妖精だった。とても優しそうな顔で、実際にエレノアに対しても優しく親切だった。
エレノアは心配になって湖に視線を向ける。
カモミールの姫も心配だが、連絡が取れないという泉の女王も心配だ。
(突然、どうしたのかな……。――あれ?)
エレノアはつないでいたサーシャロッドの手を放して、湖に近寄った。湖の中央のあたりが小さく泡立っているように見える。
「こら、離れるんじゃない。約束しただろう」
サーシャロッドの腕がエレノアの腰に巻きつき、言いつけを守れない子供を叱るような口調でたしなめる。
「ごめんなさい。でも、サーシャ様、あれ……」
エレノアが指さす方を見たサーシャロッドは、微かに眉間に皺を寄せた。
翁もそちらに目を向けて、ふさふさの眉毛に半分隠れている目を見開く。
「水が……」
それはあっという間の出来事だった。
小さくぷくぷくと泡立っていた湖の水が、中央から外に向けて、波紋を広げるかのように黒く染まり、エレノアは小さく悲鳴を上げる。
「く、黒くなった……」
サーシャロッドは近くにいたカモミールの妖精を捕まえ、こう命じた。
「急ぎ、雪の妖精の女王のところから、ポールを連れてきてくれ」
青水晶を持ってくるように――、サーシャロッドのその言葉を聞いて、エレノアは、ついひと月前の黒い雪だるまのことを思い出した。
0
お気に入りに追加
3,442
あなたにおすすめの小説
【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
記憶喪失になったら、義兄に溺愛されました。
せいめ
恋愛
婚約者の不貞現場を見た私は、ショックを受けて前世の記憶を思い出す。
そうだ!私は日本のアラサー社畜だった。
前世の記憶が戻って思うのは、こんな婚約者要らないよね!浮気症は治らないだろうし、家族ともそこまで仲良くないから、こんな家にいる必要もないよね。
そうだ!家を出よう。
しかし、二階から逃げようとした私は失敗し、バルコニーから落ちてしまう。
目覚めた私は、今世の記憶がない!あれ?何を悩んでいたんだっけ?何かしようとしていた?
豪華な部屋に沢山のメイド達。そして、カッコいいお兄様。
金持ちの家に生まれて、美少女だなんてラッキー!ふふっ!今世では楽しい人生を送るぞー!
しかし。…婚約者がいたの?しかも、全く愛されてなくて、相手にもされてなかったの?
えっ?私が記憶喪失になった理由?お兄様教えてー!
ご都合主義です。内容も緩いです。
誤字脱字お許しください。
義兄の話が多いです。
閑話も多いです。
王命なんて・・・・くそくらえですわ
朝山みどり
恋愛
ティーナは王宮薬師の下っ端だ。地下にある自室でポーションを作っている。自分ではそれなりの腕だと思っているが、助手もつけてもらえず一人で働いていた。
そんなティーナが王命で公爵と結婚することになった。驚くティーナに王太子は公爵がひとめぼれからだと言った。
ティーナだって女の子。その言葉が嬉しいし、婚姻届にサインするとき会った公爵はとても素敵だった。
だが、それからすぐに公爵は仕事だとかで一度も会いに来ない。
そのうえ、ティーナの給料の大半が公爵家に渡される事になった。ティーナにはいるのは端数の部分だ。
お貴族様っていうのはほんとに民から金とるしか考えてないねとティーナは諦めて休みの日も働いて食いつないだ。
だが、ある日ティーナがプッツンとなる出来事が起きた。
働いたって取り上げられるなら、働くもんかと仕事をやめて国一番の歓楽街のある町に向かう事にした。
「わたしは都会が似合う女だからね」
やがて愛しいティーナに会えると戻ってきたジルフォードは愕然とする。
そしてすぐに追いかけたいけどそれも出来ずに・・・・
【完結】わたしはお飾りの妻らしい。 〜16歳で継母になりました〜
たろ
恋愛
結婚して半年。
わたしはこの家には必要がない。
政略結婚。
愛は何処にもない。
要らないわたしを家から追い出したくて無理矢理結婚させたお義母様。
お義母様のご機嫌を悪くさせたくなくて、わたしを嫁に出したお父様。
とりあえず「嫁」という立場が欲しかった旦那様。
そうしてわたしは旦那様の「嫁」になった。
旦那様には愛する人がいる。
わたしはお飾りの妻。
せっかくのんびり暮らすのだから、好きなことだけさせてもらいますね。
【完結】悪役令嬢は折られたフラグに気が付かない【全23話+おまけ2話】
早奈恵
恋愛
エドウィン王子から婚約破棄されて、修道院でいじめ抜かれて死んでしまう予知夢を見た公爵令嬢アデリアーナは、男爵令嬢のパナピーアに誘惑されてしまうはずの攻略対象者との出会いを邪魔して、予知夢を回避できるのか試そうとする。
婚約破棄への道を自分で潰すつもりなのに、現実は何だか予知夢の内容とどんどんかけ離れて、知らないうちに話が進んでいき……。
宰相インテリ子息、騎士団長の脳筋子息、実家を継ぐために養子になったわんこ系義弟、そして婚約者の王太子エドウィンが頑張る話。
*リハビリに短編を書く予定が中編くらいになってしまいましたが、すでにラストまで書き終えている完結確約作品です。全23話+おまけ2話、よろしくお願いします。
*短い期間ですがHOTランキング1位に到達した作品です。
婚約者を妹に譲ったら、婚約者の兄に溺愛された
みみぢあん
恋愛
結婚式がまじかに迫ったジュリーは、幼馴染の婚約者ジョナサンと妹が裏庭で抱き合う姿を目撃する。 それがきっかけで婚約は解消され、妹と元婚約者が結婚することとなった。 落ち込むジュリーのもとへ元婚約者の兄、ファゼリー伯爵エドガーが謝罪をしに訪れた。 もう1人の幼馴染と再会し、ジュリーは子供の頃の初恋を思い出す。
大人になった2人は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる