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泉の妖精の異変

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 そんなある日のことだった。

 ばあや指導のもと、せっせと廊下の掃除をしていたエレノアは、遠くから聞こえてきた叫び声に顔をあげた。

「たいへんだぁ―――!」

 すごい勢いで、妖精たちがこちらへ向かって飛んでくる。

「あれはヤマユリの妖精たちじゃな」

 ばあやが遠くを見るように目を凝らして、一つ頷いた。

 ヤマユリの妖精――、それは月の宮殿の裏山にあるヤマユリの丘に暮らしている野原の妖精たちの呼び名だ。野原の妖精たちはあちこちの野山で暮らしているが、例えばこの月の宮殿の中庭で暮らす野原の妖精たちは「月の宮殿の妖精」、少し歩いた先にある泉の周りの、カモミールが咲き誇る野原で暮らす妖精たちは「カモミールの妖精」と呼ばれている。

「たいへんだよ―――!」

「さーしゃさまぁ―――!」

「かもみーるのおひめさまが―――!」

 ヤマユリの妖精たちは口々に叫びながら飛んでくる。

 エレノアは「カモミールのお姫様」という名前に驚いて、飛んできたヤマユリの妖精に話しかけた。

「カモミールのお姫様がどうかしたの?」

 カモミールの妖精姫は、数か月前にヤマユリの妖精の王子と結婚したばかり。今はヤマユリの妖精たちの暮らす丘で、王子と新婚生活を送っているはずだ。

 ヤマユリの妖精たちはエレノアの姿を見つけると、わーっと集まってきた。

「さーしゃさまの、おきさきさま!」

「えれのあ!」

「たいへんなの!」

「おひめさまが!」

「おうじが!」

「いずみのようせいたちがっ」

 一斉に話しかけられて、エレノアが何が何だかわからずにあわあわしていると、「かー!」とばあやが大声を張り上げた。

「やかましい! 一度に喋るでない!」

 ばあやの剣幕にヤマユリの妖精たちはぴたりと口を閉ざした。

 それからばあやが、その中の一人の妖精の背中を、手に持っていた杖でポンと叩くと、彼はおずおずと、しかし悲鳴のような声で言った。

「かもみーるのおひめさまが、さらわれたの!」




 カモミールの姫は、カモミールの妖精たちが暮らすカモミールの野原へ里帰りをしていたらしい。

 里帰りと言っても、ちょっと遊びに帰った程度らしく、三日もすれば帰るという話だったので、ヤマユリの王子は同行しなかったそうだ。

 しかし里帰りをした日の夜、カモミールの妖精たちが血相を変えてヤマユリの王子と訊ねてきた。曰く。

「ひめさまが、いずみのようせいたちにさらわれた!」

 とのこと。

 カモミールの野原は湖のほとりにある。その湖の中で暮らしているのが、泉の妖精たちだ。

 過去に一度、カモミールの姫は、結婚式の日に泉の妖精たちに攫われたことがある。だがその時は泉の妖精たちは友好的で、カモミールの姫を傷つけようとしたわけではなかった。

 しかし、今回の泉の妖精たちは様子がおかしかったらしい。

 湖のそばで花を積んでいたカモミールの妖精姫に突然襲いかかったかと思うと、そのまま湖の中に連れて行ってしまったそうなのだ。

 ヤマユリの王子は血相を変えて湖まで向かったが、野原の妖精が泉の妖精の手引きなしで水の中には入れない。

 どうすることもできずに、ヤマユリの王子は湖のほとりでカモミールの姫を返してくれと叫んだらしい。

 すると、そんなヤマユリの王子に突然泉の妖精が襲いかかり、王子は怪我をしてしまった。

 カモミールの姫は攫われたままだし、ヤマユリの王子は怪我で寝込んでしまったので、ヤマユリの妖精たちは慌ててサーシャロッドに助けを求めに来たそうだ。

「なんてことじゃ……」

 ばあやは難しい顔をして腕を組んだ。

「泉の妖精たちがそんな悪さをするとはどうにも思えん。少々暴走気質なところがあるのは認めるが、怪我をさすような乱暴なことはせんはずじゃぞ」

 それについてはエレノアも同感だった。

 泉の妖精の女王も、その王子のことも知っているが、彼らはとても優しかった。少なくとも、女王と王子がいる限り、ヤマユリの王子にけがをさせるような乱暴な展開にはならないはずだ。それに――、確かに泉の妖精の王子はカモミールの姫のに片思いをしていたようだが、カモミールの姫の結婚式のときに、きちんと諦めをつけたはずなのである――未練はあったとしても。

「確かに妙だな」

 背後から声がして驚いて振り返れば、サーシャロッドが難し顔で立っていた。

「サーシャ様! カモミールのお姫様が――」

「ああ、聞いた。私のところにはさきほどカモミールの妖精たちが来たからな」

 ヤマユリの妖精たちはサーシャロッドの姿を見つけると、わらわらと取り囲んだ。「さーしゃさま!」「さーしゃさま!」と口々に騒がれて、サーシャロッドは微苦笑を浮かべる。

「わかっている。湖に行ってみるか」

 そのままサーシャロッドがヤマユリの妖精たちに手を引かれるようにして連れて行かれそうになったので、エレノアは慌てて彼の手を握った。

「サーシャ様! わたしも行きます!」

「お前は駄目だ。危ないだろう?」

「でも、カモミールのお姫様が心配ですっ」

 カモミールの妖精姫はエレノアの友達だ。エレノアが食い下がると、サーシャロッドがやれやれと肩を落とした。

「……仕方がないな。絶対に私のそばから離れるなよ?」

「はい!」

(カモミールのお姫様、無事でいて……)

 何だが、胸のあたりがざわざわして、エレノアはサーシャロッドの手をぎゅっと握りしめた。
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