上 下
85 / 129
黒い水晶と空間の亀裂

3

しおりを挟む
 朝降り出してきた雪は、昼前には吹雪と呼んでもおかしくないほどの強さになった。

 横殴りの風と共に吹きつけてくる雪を受けながら、サーシャロッドたちは青の洞窟の魔女に訊いた情報を頼りに雪山の奥へと進んでいく。

 妖精と人間の混血とはいえ、さすが雪の妖精の女王の血を引くだけある。カイルは雪の中も涼しい顔で歩みを進めていたが、先のその父親が音を上げた。

「ストップー。さすがに無理です。ちょっと休憩させてください」

 人間にはこの吹雪の中は相当つらいようで、ポールが肩で息をしながらそう言ったのも無理はない。

 雪原を抜けて、針葉樹の森に入ったところでサーシャロッドたちは足を止めると、休憩をとることにした。

 サーシャロッドとカイルは平気だが、さすがにポールが凍死してはまずいので火を起こすことにする。涼しい顔であっという間に、針葉樹を切り倒して薪にして火をつけてしまったサーシャロッドとカイルに、ポールはしみじみと言った。

「神様と妖精って、すごいですねぇ」

 道具もなしに木を切り倒して薪にしたカイルと、それに一瞬で火をつけたサーシャロッド。すごいすごいと頷いていれば、カイルがあきれたような顔をした。

「僕にはあの母上と結婚した父上の方がよほどすごいと思いますけどね」

「え、どうして?」

「母上みたいな人を妻にする勇気は、僕にはありません」

「ええ? カーミラ、すっごく可愛いのに」

 カーミラ、と雪の女王を呼んだポールに、カイルははあとため息をつく。

 半分人間の混血であるカイルはともかく、妖精たちは普段名前で呼び合うことはない。妖精の名前は特別なのだ。力あるものに名前を知られれば、使役され、下手をすれば命を落とす。だから妖精たちは基本名乗らないし、名前で呼び合わない。彼らの名前を知っているものはごくごく限られるし、呼ぶことを許す相手はもっと少ない。

 父は結婚した時に母に名前を教えられたそうだ。だがその名前を呼べるのは、雪の女王の城では父だけ。息子であるカイルにすら、呼ぶのを許されていない名前だった。

 ポールはそんな息子がかわいそうなのか、たまにこうして母の名を告げる。呼ぶことを許されていなくてもカイルが母の名を知っているのは、父がたまに会話に乗せるからだ。それを聞かれても問題ない人の前でないと、呼ばないが。

「母上が可愛いという父上が理解できません」

「可愛いじゃないか。普段ツンツンしてるのに、たまに甘えてくるのがたまらないよ」

「……はあ」

 カイルは火の中に薪を一本放って、嘆息した。

 サーシャロッドはそんな親子の会話を笑って聞いていたが、ふと顔をあげた。

「……今、何か聞こえなかったか?」

「僕にも聞こえました」

 カイルが手に持っていたもう一本の薪も火の中に放り込み、立ち上がる。

「父上。ちょっとここで火の番をしていてください」

 カイルがそのまま森の奥へと向かおうとすると、サーシャロッドがそれを押しとどめた。

「私が行く。カイル、お前はここでポールといろ。万が一、黒だるまの残りがいたとして、ポール一人だと心もとない」

 あんまりな言いようだったが、実際、頭を使うことは得意だが武術はさっぱりなポールは、黙ってうんうんと頷いた。

 カイルは情けない父親にあきれながらも、サーシャロッドに従う。

 そしてサーシャロッドは、何かが聞こえてきた森の奥へと足を向けた。





 しばらく歩くと、「何か」はまた聞こえてきた。

「……声、か?」

 吹雪の音にかき消されてはっきりとは聞こえないが、それら誰かの声のようだった。

 声は進むにつれてだんだんと大きくなり、それが叫び声だと気がつくとサーシャロッドは駆け出した。

 ――助けてくれ、と聞こえたからだ。

 やがて、サーシャロッドの目の前に切り立った断崖が姿を現した。

「……黒だるま」

 サーシャロッドの眉間に皺が寄る。

 そこには黒い雪だるまの妖精たちが十数匹、断崖に向かって半円を書くように集まっていた。その奥に、雪に半分埋もれたような人影を見つけて、サーシャロッドは考える前に手を振った。

 パキン――、と乾いた音を立てて、黒い雪だるまの妖精たちが足元から凍りついていく。青水晶はポールが持っているので、サーシャロッドはとりあえず黒い雪だるまの妖精たちを氷漬けにして動きを封じ込めると、その人影に走り寄った。

「おい――」

 助け起こして、サーシャロッドはハッとした。男だ。しかも、サーシャロッドが知らない人間。

「ばかな……」

 この世界にいる人間は、サーシャロッドが連れてきた人間ばかりだ。サーシャロッドが知らない人間がいるはずがないのである。

 サーシャロッドは茫然としたが、男の口から小さなうめき声が聞こえて我に返った。男の意識は朦朧としていて、このままでは危険だろう。

 サーシャロッドは男を抱え上げ、何気なく崖肌へと視線を向け――息を呑む。

 断崖には、まるで墨を塗ったかのような黒い亀裂が入っていた。

「……こんなものが」

 サーシャロッドは男を抱えたまま亀裂に近づく。まだ小さいが、これは空間と空間をつなぐ亀裂だった。男はこれに吸い込まれてやってきたと考えていいだろう。

 そして、亀裂の周りには、ポールが青の洞窟で見つけたのと同じ黒い水晶があった。

 サーシャロッドは小さく舌打ちすると、亀裂の上に手をかざした。亀裂は、まるで傷が塞がるかのように消えて、何もない崖肌に戻る。サーシャロッドは黒い水晶を一瞥して、ポールを呼ぶために、男を抱えたまま来た道を引き返した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

氷の貴婦人

恋愛
ソフィは幸せな結婚を目の前に控えていた。弾んでいた心を打ち砕かれたのは、結婚相手のアトレーと姉がベッドに居る姿を見た時だった。 呆然としたまま結婚式の日を迎え、その日から彼女の心は壊れていく。 感情が麻痺してしまい、すべてがかすみ越しの出来事に思える。そして、あんなに好きだったアトレーを見ると吐き気をもよおすようになった。 毒の強めなお話で、大人向けテイストです。

異世界バーテンダー。冒険者が副業で、バーテンダーが本業ですので、お間違いなく。

Gai
ファンタジー
不慮の事故によって亡くなった酒樹 錬。享年二十二歳。 酒を呑めるようになった二十歳の頃からバーでアルバイトを始め、そのまま就職が決定していた。 しかし不慮の事故によって亡くなった錬は……不思議なことに、目が覚めると異世界と呼ばれる世界に転生していた。 誰が錬にもう一度人生を与えたのかは分からない。 だが、その誰かは錬の人生を知っていたのか、錬……改め、アストに特別な力を二つ与えた。 「いらっしゃいませ。こちらが当店のメニューになります」 その後成長したアストは朝から夕方までは冒険者として活動し、夜は屋台バーテンダーとして……巡り合うお客様たちに最高の一杯を届けるため、今日もカクテルを作る。 ---------------------- この作品を読んで、カクテルに興味を持っていただけると、作者としては幸いです。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

クラス転移したからクラスの奴に復讐します

wrath
ファンタジー
俺こと灞熾蘑 煌羈はクラスでいじめられていた。 ある日、突然クラスが光輝き俺のいる3年1組は異世界へと召喚されることになった。 だが、俺はそこへ転移する前に神様にお呼ばれし……。 クラスの奴らよりも強くなった俺はクラスの奴らに復讐します。 まだまだ未熟者なので誤字脱字が多いと思いますが長〜い目で見守ってください。 閑話の時系列がおかしいんじゃない?やこの漢字間違ってるよね?など、ところどころにおかしい点がありましたら気軽にコメントで教えてください。 追伸、 雫ストーリーを別で作りました。雫が亡くなる瞬間の心情や死んだ後の天国でのお話を書いてます。 気になった方は是非読んでみてください。

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです

燃費が悪いと神殿から厄介払いされた聖女ですが、公爵様に拾われて幸せです(ごはん的に!)

狭山ひびき@バカふり160万部突破
恋愛
 わたし、スカーレットは燃費が悪い神殿暮らしの聖女である。  ご飯は人の何倍も食べるし、なんなら食後二時間もすれば空腹で我慢できなくなって、おやつももりもり食べる。というか、食べないと倒れるので食べざるを得ない。  この調子で人の何倍ももりもり食べ続けたわたしはついに、神殿から「お前がいたら神殿の食糧庫が空になるから出て行け」と追い出されてしまった。  もともと孤児であるわたしは、神殿を追い出されると行くところがない。  聖女仲間が選別にくれたお菓子を食べながら、何とか近くの町を目指して歩いていたわたしはついに行き倒れてしまったのだが、捨てる神あれば拾う神あり。わたしを拾ってご飯を与えてくださった神様のような公爵様がいた!  神殿暮らしで常識知らずの、しかも超燃費の悪いわたしを見捨てられなかった、二十一歳の若き公爵様リヒャルト・ヴァイアーライヒ様(しかも王弟殿下)は、当面の間わたしの面倒を見てくださるという。  三食もりもりのご飯におやつに…とすっかり胃袋を掴まれてしまったわたしは、なんとかしてリヒャルト様のお家の子にしてもらおうと画策する。  しかもリヒャルト様の考察では、わたしのこの燃費の悪さには理由がありそうだとのこと。  ふむふむふむ、もぐもぐもぐ……まあ理由はどうでもいいや。  とにかくわたしは、この素敵な(ごはん的に!)環境を手放したくないから、なにが何でもリヒャルト様に使える子認定してもらって、養女にしてもらいたい。願いはただそれだけなのだから!  そんなある日、リヒャルト様の元に王太子殿下の婚約者だという女性がやってくる。  え? わたしが王太子殿下の新しい婚約候補⁉  ないないない!あり得ませんから――!  どうやらわたしの、「リヒャルト様のおうちの子にしてほしい」と言う願望が、おかしな方向へ転がっていますよ⁉  わたしはただ、リヒャルト様の側で、美味しいご飯をお腹いっぱい食べたいだけなんですからねー!    

一家の恥と言われた令嬢ですが、嫁ぎ先で本領を発揮させていただきます

風見ゆうみ
恋愛
ベイディ公爵家の次女である私、リルーリアは貴族の血を引いているのであれば使えて当たり前だと言われる魔法が使えず、両親だけでなく、姉や兄からも嫌われておりました。 婚約者であるバフュー・エッフエム公爵令息も私を馬鹿にしている一人でした。 お姉様の婚約披露パーティーで、お姉様は現在の婚約者との婚約破棄を発表しただけでなく、バフュー様と婚約すると言い出し、なんと二人の間に出来た子供がいると言うのです。 責任を取るからとバフュー様から婚約破棄された私は「初夜を迎えることができない」という条件で有名な、訳アリの第三王子殿下、ルーラス・アメル様の元に嫁ぐことになります。 実は数万人に一人、存在するかしないかと言われている魔法を使える私ですが、ルーラス様の訳ありには、その魔法がとても効果的で!? そして、その魔法が使える私を手放したことがわかった家族やバフュー様は、私とコンタクトを取りたがるようになり、ルーラス様に想いを寄せている義姉は……。 ※レジーナブックス様より書籍発売予定です! ※本編完結しました。番外編や補足話を連載していきます。のんびり更新です。 ※作者独自の異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。

悪役令嬢の兄です、ヒロインはそちらです!こっちに来ないで下さい

たなぱ
BL
生前、社畜だったおれの部屋に入り浸り、男のおれに乙女ゲームの素晴らしさを延々と語り、仮眠をしたいおれに見せ続けてきた妹がいた 人間、毎日毎日見せられたら嫌でも内容もキャラクターも覚えるんだよ そう、例えば…今、おれの目の前にいる赤い髪の美少女…この子がこのゲームの悪役令嬢となる存在…その幼少期の姿だ そしておれは…文字としてチラッと出た悪役令嬢の行いの果に一家諸共断罪された兄 ナレーションに 『悪役令嬢の兄もまた死に絶えました』 その一言で説明を片付けられ、それしか登場しない存在…そんな悪役令嬢の兄に転生してしまったのだ 社畜に優しくない転生先でおれはどう生きていくのだろう 腹黒?攻略対象×悪役令嬢の兄 暫くはほのぼのします 最終的には固定カプになります

処理中です...