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黒い水晶と空間の亀裂

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 サランシェス国、ラマリエル公爵家の邸――

 居間の窓のカーテンの隙間から、広い庭の先にある門扉を見ていたシンシアは、忌々しそうに舌打ちした。

 門扉の前には複数の兵士の姿がある。――見張られているのだ。

 ラマリエル公爵家は今、査問会にかけられている。その間公爵家の人間が逃げ出さないように、こうして昼夜問わず見張りをつけられているのだ。

 名門公爵家として何不自由なく過ごしてきたシンシアにとっても、父や母にとってもそれは屈辱的で――、昼間だというのに邸のすべてのカーテンを閉ざしているのも、そのためである。

(これも全部、お姉様のせいよ――)

 山奥に捨てて野垂れ死んでいるはずの姉。骨と皮だけのような、みすぼらしく、半分とはいえとても自分と血がつながっているとは思えない、貧相な姉。

 七か月と半月前、ようやく目の前から消えてくれたのに――、いまだにシンシアを不快な気持ちにさせるなんて。

 シンシアはもともと姉が嫌いだった。

 自分よりも劣って、両親からも愛されず、汚らしい使用人のお古を着て屋根裏に住んでいる姉は――なぜか、この国で国王の次に権力を持っている麗しい第一王子クライヴの婚約者だった。

 婚約は、姉が生まれてすぐになされたらしい。

 シンシアの母は、姉の生母が他界したあとでこの公爵家に嫁いだ後妻だそうだが、生まれた順番で自分が姉よりも冷遇されるのは我慢ならなかった。

 どんなにお金持ちで権力のある男性と結婚したとしても、次期国王の妃、つまり王妃になる姉には、一生劣る――。そんなの、シンシアには耐えられない。

 自分は姉よりも優れている。姉よりも幸せになる権利があり、姉よりも身分の高い男に嫁ぐべきだ。

 シンシアは何度も両親に言った。姉ではなく自分を王子の婚約者にしてほしいと。しかし父は、これはすでに決められたことだから自分にはどうすることもないとしか言わなかった。王子自身の言葉であれば、あるいは――とも。

 だからシンシアはクライヴの気持ちを自分に向かせることにした。

 幸いなことに、クライヴ王子は姉に興味がない。大切にしているそぶりも見せなかった。奪い取るのは簡単に見えたし――、実際、簡単だった。

 シンシアはラマリエル公爵家の娘だ。生まれた身分から言えば姉と対等。そして、みすぼらしい姉とは違い美しいと評判の娘だ。二人を天秤にかけてどちらを選ぶのかは、考えなくともわかる。

 クライヴは打算的な男だ。シンシアがお慕いしていますと告げれば、あっさりシンシアを選ぶことを選択した。姉と比べられるのは不満だったが、簡単なことだ、比べてどちらを伴侶にした方が得か――、そういうことである。

 こうして姉を第一王子の婚約者の座から蹴落として、家からも追い出して山奥へ捨てたというのに――、邪魔者はいなくなり、これで一生楽しく暮らせると思ったのに、ひと月半前、あの男があらわれた。

 美しい男だった。

 それと同時に、少し触れただけで心臓まで凍りつきそうな、冷ややかな男だった。

 クライヴが次期国王となるために行われた祝福の儀式に突然現れた男――月の神は、あろうことかクライヴを祝福をしないと言った。そしてシンシアに向かって「性根の腐った薄汚い」女だと言ったのだ。

 こんな屈辱的なことは今までで一度もない。

 怒りで頭がおかしくなりそうだった。

 そんなシンシアに彼は山奥に捨てて忘れたはずのあの名前を言ったのだ。「エレノア」と。

 どうしてここでまた姉の名前が出てくる?

 捨てたはずの薄汚い女の名前が、美しい月の神の口から。

 エレノアを蔑んで捨てたから、クライヴは祝福されない? 自分は薄汚い女? 

 あの貧弱な女に、どれほどの価値があるというのだ!

(許せない許せない許せない――)

 幸せになれるはずだったのに。この国で一番幸せな女になれるはずだったのに!

 またしても邪魔をしたのは、忌々しい「エレノア」。

 シンシアはほんの少しあいていたカーテンの隙間をぴったりと閉じると、足音高く二階の自室へとあがっていく。

 婚約者であるシンシアのラマリエル公爵家が査問会にかけられているのに、クライヴは助けるそぶりも見せない。手紙一つよこさない。

 このままだったら圧倒的に不利だ。爵位が剥奪されるのは目に見えていて――、シンシアとクライヴの婚約が破棄されるのも時間の問題。

 これもすべて、エレノアのせいだ。

 シンシアは自室に入ると、ソファのクッションを掴んで、思い切り引き裂いた。

 羽毛が部屋中に飛び散るが、かまうことなく引き裂いたクッションを壁に投げつける。

 このままではシンシアの気持ちがおさまらない。

 エレノアの遺体を見つけて踏みつけて蹴飛ばしてやりたかったのに、姉が捨てられた山奥をどれほど捜索させてもそれらしい遺体は出てこなかった。

 狼に食べられたのだろうと父は言ったが、シンシアはそんな言葉では気がすまない。

 遺体を踏みつけて骨を砕いて、火をつけて燃やした後にドブに捨ててやるのだ。いや、そこまでしても溜飲は下がらないだろう。

 いっそ、死後の世界から引きずり戻して、さんざんに甚振り倒してできることならこの手でもう一度殺してやりたい。

 それほどまでに、シンシアはエレノアが憎かった。

「ああっ、忌々しい!」

 シンシアは床に転がったクッションを踏みつける。――その時だった。



 ――久々に、小気味のいいほどの呪いの感情だ。



 シンシアの背筋にぞくりと怖気が走った。

「だれ!?」

 どこかに誰かが潜んでいるのかと部屋中を探し回ったが、それらしい何かはない。

 しかし、シンシアの耳には、ねばつくような笑い声が響いていた。

 声はだんだんと大きくなり、シンシアは頭を押さえてその場に膝をつく。



 ――娘。そなたの願い、叶えてやってもよいぞ。



 頭が割れそうな痛みに耐えながらシンシアが顔をあげた先で、真っ黒い服を身にまとった男が、ニィと笑っていた。
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