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花嫁修行は大変です

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「エレノア様!?」

 リーファが慌ててエレノアに駆け寄った。

 エレノアは頭からイチゴジャムまみれになって、尻餅をついたまま茫然としている。

 おでこがジリジリと痛いが、ぶつかったカモミールの姫の方は小さいのに平気らしく、後ろから聞こえてきたしわがれた声に慌てて起き上がると、わたわたと逃げ出そうとする。

 だが、

「待たんか―――!」

 逃げようとしたカモミールの体に、どこからともなく飛び出してきた縄がまるで蛇のように絡みついて、ぐるぐる巻きに縛り上げてしまった。

「まったく、これだから若い娘は、辛抱がたらん!」

 憤然と奥から現れたのは、白髪をきっちりと結い上げて、黒地に白い花模様の異国情緒漂う服を身に着け、真っ赤な帯を締めた一人の妖精だ。手には自分の背丈よりも長い杖を持っている。

 この人がばあやだろうか。顔はシワだらけのお婆さんだが、眼光はまだまだ鋭く、ピンと背筋も伸びて矍鑠かくしゃくとしている。

 縄を巻き付けられたカモミールの姫は、まるで芋虫のように体をバタバタさせていたが、やがて疲れたのかぐったりとなった。

「だ、大丈夫……?」

 エレノアが心配になって声をかければ、顔だけ上げたカモミールが、呆れたような顔をした。

「あんたのほうこそ大丈夫なの? ジャムだらけじゃないの」

 エレノアが茫然としていた間に、顔にかかったジャムはリーファがせっせとハンカチでふき取ってくれたが、頭はしっかりとジャムが髪に絡みついているので洗わないことには取れないだろう。

「うん……。ジャムを差し入れに来たんだけど、わたしにかかっちゃったから渡せなくなっちゃった。ごめんね……」

「そういうことを言っているんじゃないわ」

「あ、でもスコーンはリーファが持ってるから無事だと思う」

 スコーンだけでもリーファに渡しておいてよかったとエレノアは思ったが、カモミールの姫はますますあきれたような顔をした。

「リーファか、ひさしいのぅ」

「ご無沙汰していますわ、ばあやさん」

 リーファが優雅に一礼してばあやと挨拶を交わす。

 エレノアもゆっくりと起き上がって、ぺこりと頭を下げた。その拍子に頭の上のジャムの塊が、べしょりと床に落ちる。

 エレノアは申し訳なくなって眉を下げた。

「はじめまして、ばあやさん。エレノアです。あの……、ごめんなさい、床を汚してしまいました」

「なあに、掃除すればきれいになる。そもそもこやつが飛び出していったのが悪いんじゃ。そんなことより、お前さんは早く風呂に入った方がいいのう。奥に風呂があるから、使うとよかろう」

 ジャムだらけで回廊を歩いて部屋に戻るわけにもいかず、エレノアはばあやの申し出をありがたく受けることにした。

 リーファに手伝ってもらって風呂に入ると、ばあやが用意してくれた異国風の服を身にまとう。数枚の薄い布を重ねて身に着け、帯を結んで着るらしい。帯はリーファが締めてくれた。

 着替えて戻ると、床はすっかりきれいになっていた。聞けば、逃げようとした罰としてカモミールが掃除させられたらしい。

 縄はほどいてもらったようだが、大きな椅子にちょこんと座ったカモミールは、明らかに不貞腐れていた。

 ばあやは彼女の前の椅子に座って、のんびりと茶を飲んでいた。

「おお、その薄い色がよく似合うのぅ」

 薄い若草色と白の服を、薄ピンクの帯で締めている。ばあやは満足そうにエレノアの全身を見たあとで、茶でも飲んでいきなさいと椅子をすすめてくれた。

 エレノアは最初の怒号が聞こえたときはどんなに怖い妖精かと思ったが、目尻に皺を寄せて微笑むばあやは優しそうだ。

 勧められるままにティーカップを手に取ったエレノアは、カモミールがこちらへにじっとりとした視線を注いでいることに気がついた。

「ど、どうしたの……?」

「なんであんたはそんなに好待遇を受けてんのよ」

「何を言うか、お前さんはここに花嫁修業を受けに来たんじゃろうが」

 ばあやがぴしゃりといえば、カモミールはぷうっと頬を膨らませる。すると、すかさず杖がぴしゃりとカモミールの肩を叩いた。

「品がない!」

「いたっ! なにすんのよクソババア!」

「口の利き方!」

「痛いってばっ」

 カモミールが逃げようとすると、再びどこからともなく縄が飛んできて、彼女の体を縛り上げた。

 カモミールが悲鳴を上げて叫んでいるが、ばあやは知らん顔で茶をすする。

「まったく、久々のじゃじゃ馬娘じゃ。しごきがいがあるのぅ」

「この鬼ババ!」

「だまらっしゃい!」

 今度は、芋虫のように暴れているカモミールのおしりを杖の先が叩く。

(ひええええっ)

 優しそうだと思ったばあやの容赦のなさに、エレノアは内心で震えあがった。

 すると、カモミールはエレノアを見て、まるで八つ当たりのようにわめいた。

「花嫁修業なら、そこにも必要なのがいるじゃないの! そこの頼りなさそうなのは、サーシャ様の奥方よ!」

「なんと」

 ばあやの視線がこちらへ向いて、エレノアが目を丸くする。

 にんまりとばあやの目が三日月のように細くなるのを見て、エレノアは嫌な予感を覚えたのだった。
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