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求婚者は猫かぶり

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 生きるのに飽いた私は、そろそろ死んでみることにした。

 私は長く生きすぎたのだ。

 私を産んだ母は、私が三十三のときに死に、父は木炭で描かれた肖像画の中でしか知らない。生きているのかどうかも教えてもらえなかったが――、たとえ私が肖像画をはじめて見たときに生きていたとしても、さすがにもう死んでいるだろう。

 兄弟たちは幼くして次々と亡くなり、二十二で結婚した妻も三十年前に他界した。

 私と妻の間に子はいなかったし、母も孤児院育ちだったそうで、親の顔も知らないという。そのため、もはや私の周りに私の家族と呼べるものはいなかったし、友人と呼べるものもいないため、私が突然消えたとしても、気に留めるものはいないはずだ。

 このまま生き続けるにも、この世界は退屈で、私の興味を満たしてくれるものは存在しない。

 この世界にとって私は異物そのもので、その異物を優しく包み込んでくれるほど世界は優しくないだろう。

 そのため私は世界に順応すべく自身を偽って生きてきたが、愛する妻もいない今、それをする必要はどこにもない。

 そう――、つまるところ、私はそろそろこの世界から解放されたいのだ。

 年老いたふりをするのもなかなか骨が折れるし、誰よりも頭脳明晰で身体能力に優れているというのに、馬鹿で愚鈍なふりを続けるのは嫌気がさしている。

 私は全財産をはたいて郊外の古いが大きな家を買い、その地下に大きな棺桶を用意した。

 門には鍵をかけ、地下室への入口は誰にも気づかれないように細工をすることも忘れない。

 この邸の周りは山に囲まれていて、一番近所の家に行くにも馬車で小一時間以上かかる。長らく無人であったこの邸を私が買い取っていることも、ましてや私がここでひっそりと死をむかえようとしていることも、このあたりの町に住む人間は誰も知らないだろう。

 ひっそりと静かに死を迎えるつもりの私には、うってつけの場所であった。

 しかし――

 さあ、死ぬぞと決意を固めたはいいが、ここで私は少しだけ惜しくなった。

 生きることへの執着ではない。

 私の、「私たる存在」への執着だ。

 誰にも――妻にさえも言えずに、隠して生きてきた私の長き人生の秘密。その秘密を私の胸に秘めたまま、この世界から消えてもいいものか。

 私は少し考えて、「私」のことを手記に残すことにした。

 三日三晩かけて、私の「秘密」を書き記すと、私はそれを胸に抱えて棺桶に入った。

 いつか――何十年、何百年後に、誰かがこの蓋を開けたときに、その者が目にするであろう「私」の秘密。誰とも知らない彼が驚く顔を想像して、私は少しだけ楽しくなった。

 さあ、これで何も思い残すことはない。

 私は静かな気持ちで薄暗い地下室の天井を見つめたあと、この世界にさよならを告げる。


 
 ギィ―……、と、鈍い軋み音を立てて、棺桶の蓋が閉まった――
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