上 下
68 / 73
第一部 悪役令嬢未満、お兄様と結婚します!

ヴォルフラムの提案 1

しおりを挟む
 劇場に戻って来たお兄様とアレクサンダー様からの詰問を受けたわたしだったが、「なんか天井から床板が降って来たんです!」という言葉でなんとか逃げ回ることに成功した。
 お兄様の方はまだ怪しんでいる様子だったけど、ひとまず追及は諦めてくれたようだ。

 そして翌日の日曜日。
 わたしはハイライドに「散歩に連れて行け」と言われたので、彼を肩に乗せて学園の庭園を歩いている。
 鳥かごの扉はずっと開けたままだし、自由に遊びに行けばいいのに、ハイライドは一人で出かけてまた捕まえられたら危険だと警戒して、一人ではあまり外に出たがらない。

 ……気分は犬のお散歩ですよ。鳥のお散歩なんて聞いたこともないけどね。

 おかげで、ヴィルマには変な目で見られてしまった。

 ……いや、あれは変な目じゃないわね。思いっきり馬鹿にした目だったわ。

 というか、ハイライドは妖精の世界に帰らないのだろうか。いったいいつまで家出王子を続けるつもりだろう。
 ちょっぴり、クッキーで餌付けしてしまった感も否めないが、ハイライドも攻略対象の一人であるため、悪役令嬢のわたしが必要以上に関わり続けるのは危険な気がする。
 このあたりで、人間の世界に飽きて帰ってくれると嬉しいのだけれど。

 ……もちろん、せっかく友達みたいになれたハイライドがいなくなるのは、寂しくもあるんだけどね。

 五月も終わりにさしかかり、日中の気温はぐーっと上がった。
 ゲーム「ブルーメ」は日本人が作ったゲームのためか、この世界の季節感は日本によく似ている。一年も十二か月だし、春夏秋冬があるのだ。

 学園の庭園をぐるっと回って、わたしは噴水の近くのベンチに腰を下ろす。
 持って来ていたハイライド用のクッキーを取り出すと、彼はわたしの手のひらの上に座ってクッキーを食べはじめた。

 ハイライドは、本当にクッキーが大好きだ。
 ほかのものも食べるのだが、彼曰く「三食クッキーでいい」というくらいクッキーがお気に入りらしい。

 噴水のそばだからだろうか、さわさわと吹き抜けていく風は少しひんやりとしていて気持ちがいい。
 ぼーっと噴水を眺めながらハイライドがクッキーを食べるのを待っていると、学園の方から、何やら険しい表情をしたヴォルフラムが歩いてくるのが見えた。腕に複数の本を抱えているので、学園の図書室にでも行ってきたのだろうか。

 ……でも、なんでそんなに機嫌が悪そうなのかしら?

 ほしい本が誰かに借りられていたとかだろうか。
 正直、機嫌が悪そうな攻略対象には関わり合いになりたくないが、わたしがいる場所はおそらく彼の動線上にありそうだ。まっすぐこっちに向かって歩いてくるから。
 ハイライドがクッキーを食べている以上、わたしは立ち上がって逃げることもできない。

 ……うん、極力目を合わさないようにしよう。

 と、わたしはヴォルフラムから視線をそらしたのだけれど、どういうわけか、わたしを嫌っているはずの彼の方からわたしに話しかけてきた。

「……君は、カナリアにクッキーを与えるのか」

 どうやら、ハイライドがクッキーを食べているのが気になったらしい。

 ……お言葉ですけどね、彼は実はカナリアではなくて妖精なんですよ! だから、クッキーも食べるんです!

 なぁんて反論できるはずもなく、わたしは適当に笑って誤魔化す。

「この子はクッキーが好きなんですの。ほ、ほほほ……」
「好き嫌いの問題ではない。飼い主は、ペットの健康に気を配るべきだと思うがな」

 いつもわたしのことなんて眼中にないくせに、今日はやけに食って掛かって来るわね。
 わたしだってねえ、ただのカナリアにクッキーを与えたりしませんとも! ハイライドだからあげているんですぅ!

 ムッとしたわたしだったが、どうやら「ペット」呼ばわりされたハイライドの方が腹が立ったらしい。
 わたしの手のひらの上でクッキーに夢中になっていたハイライドが、ひらりと飛び上がってヴォルフラムの頭に飛び乗る。
 そして、小さな手でヴォルフラムの蜂蜜色の髪を引っ張りだした。

「い、いて! 痛い‼ 何なんだこいつ! どうして俺の頭をつつく!」

 なるほどー、ハイライドの姿がカナリアにしか見えない人には、あれはつつかれていることになるのねえ。

 ……ちょっと面白いしいい気味だから眺めていよ~っと。

 ぷくくくく、と笑っていると、キッとヴォルフラムに睨まれてしまった。

「これは君の鳥だろう! 何とかしろ! 飼い主が飼い主なら、ペットもペットだな!」

 あー、だから、ペット呼ばわりはダメだと思いますよ。ほら、ハイライドがもっと怒っちゃったじゃないですか。

「なんなんだ、この失礼な男は! 俺様は光の妖精の国の王子だぞ‼ 頭が高い‼」

 などと言って、今度は地団太をはじめている。
 ハイライドの声はヴォルフラムには聞こえないから、カナリアがさえずっているように聞こえるだろう。
 囀りながらげしげしされて、ヴォルフラムが顔を真っ赤に染めて怒り出した。

「ええい! 離れろ‼」

 ヴォルフラムに手でぱたぱたされて、ハイライドが不満そうな顔でわたしのそばまで戻って来る。

「マリア、あれは知り合いか? 失礼にもほどがあるぞ! この俺様をペット呼ばわりしやがった!」

 ……あー、うん、気持ちはわかるけど、まあ、ただのカナリアに見える人にはペット以外には見えないでしょうねえ。

 もちろん口に出して言うとハイライドが怒るので、わたしはまあまあと彼をなだめる。
 ハイライドは不貞腐れた顔で、わたしの手のひらの上で食べかけのクッキーを食べはじめた。

「おい、君」

 ……あら、まだいたのね。

 ハイライドを見つめていると、ヴォルフラムに話しかけられてわたしは顔を上げる。
 ヴォルフラムはわたしのことが嫌いなはずなのに、今日はどうしてわたしに話しかけるのかしら? いつぞやのように、靴箱の前でヴォルフラムの進行の邪魔をしているわけでもないでしょう?

「君に、少し訊きたいことがある」

 ものすごい不機嫌顔でそんなことを言われてもねえ。
 だけど、これまでのお高く留まった悪役令嬢候補マリア・アラトルソワから脱却を試みているわたしとしては、ヴォルフラムを邪険に扱うわけにもいかない。

「何かしら?」
「……隣に座ってもいいか?」
「ええ」

 あら珍しい。
 話しかけるだけじゃなくて、隣に座ると言い出しましたよ。
 これは明日は雨かしらね~と思いつつ頷くと、ヴォルフラムがわたしの隣に腰を下ろす。
 ハイライドが嫌そうな顔をしたが、カナリアが顔を上げたようにしか見えないのだろう、ヴォルフラムが気にする様子はない。

「訊きたいことって、何かしら?」

 ヴォルフラムは抱えていた本を脇に置くと、真剣な顔でわたしを見つめて、こう言った。

「君は昨日、王立劇場で俺に似た男と話していただろう。そのときのことを教えてくれ」

 わたしは、ひゅっと息を呑んだ。



しおりを挟む
感想 36

あなたにおすすめの小説

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。 その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。 何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。 “傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。 背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。 7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。 長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。 守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。 この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。 ※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。 (C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

気配消し令嬢の失敗

かな
恋愛
ユリアは公爵家の次女として生まれ、獣人国に攫われた長女エーリアの代わりに第1王子の婚約者候補の筆頭にされてしまう。王妃なんて面倒臭いと思ったユリアは、自分自身に認識阻害と気配消しの魔法を掛け、居るかいないかわからないと言われるほどの地味な令嬢を装った。 15才になり学園に入学すると、編入してきた男爵令嬢が第1王子と有力貴族令息を複数侍らかせることとなり、ユリア以外の婚約者候補と男爵令嬢の揉める事が日常茶飯事に。ユリアは遠くからボーッとそれを眺めながら〘 いつになったら婚約者候補から外してくれるのかな? 〙と思っていた。そんなユリアが失敗する話。 ※王子は曾祖母コンです。 ※ユリアは悪役令嬢ではありません。 ※タグを少し修正しました。 初めての投稿なのでゆる〜く読んでください。ご都合主義はご愛嬌ということで見逃してください( *・ω・)*_ _))ペコリン

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので

モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。 貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。 ──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。 ……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!? 公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。 (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

……モブ令嬢なのでお気になさらず

monaca
恋愛
……。 ……えっ、わたくし? ただのモブ令嬢です。

職業『お飾りの妻』は自由に過ごしたい

LinK.
恋愛
勝手に決められた婚約者との初めての顔合わせ。 相手に契約だと言われ、もう後がないサマンサは愛のない形だけの契約結婚に同意した。 何事にも従順に従って生きてきたサマンサ。 相手の求める通りに動く彼女は、都合のいいお飾りの妻だった。 契約中は立派な妻を演じましょう。必要ない時は自由に過ごしても良いですよね?

傷付いた騎士なんて要らないと妹は言った~残念ながら、変わってしまった関係は元には戻りません~

キョウキョウ
恋愛
ディアヌ・モリエールの妹であるエレーヌ・モリエールは、とてもワガママな性格だった。 両親もエレーヌの意見や行動を第一に優先して、姉であるディアヌのことは雑に扱った。 ある日、エレーヌの婚約者だったジョセフ・ラングロワという騎士が仕事中に大怪我を負った。 全身を包帯で巻き、1人では歩けないほどの重症だという。 エレーヌは婚約者であるジョセフのことを少しも心配せず、要らなくなったと姉のディアヌに看病を押し付けた。 ついでに、婚約関係まで押し付けようと両親に頼み込む。 こうして、出会うことになったディアヌとジョセフの物語。

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

処理中です...