上 下
5 / 15

5

しおりを挟む
 中将ちゅうじょうが小野へ到着したのは夕暮れ時だった。

 結局、降っていた雪は途切れることなく、中将が庵室に訪れたときには、庭一面深い白に覆われていた。

 恬子やすこはすぐに火桶ひおけという火桶すべてにすみを入れ、冷えた体を温めてもらうために湯殿を用意し、できるだけ暖かそうな着替えを準備してとせわしない。

「宮様のお手を煩わせてしまい、申し訳ございません」

 小野に移り住んでから、恬子は慣れないながらも庵室のことを細々とこなしてきた。中将はもちろんそれを知っているし、彼が訪れたときには恬子が世話を焼いていたが、彼は毎回そう言って申し訳なさそうな顔をする。

 年を経ても、中将は雅な人だった。

 五十も半ばをすぎ、そのくしには白いものが混じっているが、年齢を感じさせない雰囲気は相変わらずだ。

 昔と変わらず、典雅に咲き誇る桜のようで、はらりはらりと宙を舞う、儚い桜吹雪のようでもある。その、ともすれば矛盾する魅力が、なぜか彼にかかると調和されて、絶妙な均衡を保ちながら存在するのだから不思議だった。

「お気になさることはございませんわ」

 中将の前に堂々と顔をさらして、恬子は着替えを手に「さあ」と彼を湯殿へ追いやった。

「ゆっくり温まってください。着替えはおいておきます」

 微笑んで告げると、彼は何か言いたそうに眉を下げる。

 おおかた、内親王ないしんのう女房にょうぼうのするようなことを自ら行っているのが痛々しい――、と言いたいのだろう。何度か言われたこともあるので、恬子は肩をすくめて見せた。

「好きでやっているのだから、いいのです」

 それは本心だった。

 恬子が小野に移り住むと決めたとき、右近うこんをはじめ、恬子に長く仕えていた者たちは、こぞってついて行くと申し出た。それをやんわりと、しかし頑として断ったのは恬子自身だ。静かに瞑想の日々を送る兄の邪魔をしたくないという理由もあるが、何より、恬子は誰にも邪魔をされず一人になりたかった。

 あのころ、恬子はすべてのことに疲れていたのだ。そっとしておいてほしかった。煩雑な都から離れて、心静かに自分を見つめなおしたかったのだ。

 中将は「仕方ありませんね」というように苦笑を浮かべると、おとなしく湯殿へと消える。

 恬子はそれを見届けて、中将が湯を使っている間、彼のために食事の用意をしはじめたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

源氏物語異聞~或いは頭中将の優雅な日常

朱童章絵
歴史・時代
桐壺帝の御代。左大臣の嫡男として生まれ、恵まれた人生を謳歌する、若き日の頭中将こと藤原喬顕は、宴の松原で起こった猟奇殺人事件への関与を疑われる。自らの名誉の回復をかけて、調査に乗り出した頭中将が出会ったのは、一人の少年だった――。 あらゆる才能に恵まれながら、『源氏物語』の作中人物として、この世に生み出された瞬間から「永遠のナンバー2」を宿命づけられた男の、世に知られざる冒険譚。 ※この作品は、小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。 ※第10回歴史・時代小説大賞で奨励賞をいただきました☆ ※源氏物語に詳しくなくても大丈夫!

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜

佐倉 蘭
歴史・時代
★第9回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 「近頃、吉原にて次々と遊女の美髪を根元より切りたる『髪切り』現れり。狐か……はたまた、物の怪〈もののけ〉或いは、妖〈あやかし〉の仕業か——」 江戸の人々が行き交う天下の往来で、声高らかに触れ回る讀賣(瓦版)を、平生は鳶の火消しでありながら岡っ引きだった亡き祖父に憧れて、奉行所の「手先」の修行もしている与太は、我慢ならぬ顔で見ていた。 「是っ非とも、おいらがそいつの正体暴いてよ——お縄にしてやるぜ」 ※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」に関連したお話でネタバレを含みます。

腑抜けは要らない ~異国の美女と恋に落ち、腑抜けた皇子との縁を断ち切ることに成功した媛は、別の皇子と幸せを掴む~

夏笆(なつは)
歴史・時代
 |今皇《いますめらぎ》の皇子である若竹と婚姻の約束をしていた|白朝《しろあさ》は、難破船に乗っていた異国の美女、|美鈴《みれい》に心奪われた挙句、白朝の父が白朝の為に建てた|花館《はなやかた》を勝手に美鈴に授けた若竹に見切りを付けるべく、父への直談判に臨む。  思いがけず、父だけでなく国の主要人物が揃う場で訴えることになり、青くなるも、白朝は無事、若竹との破談を勝ち取った。  しかしそこで言い渡されたのは、もうひとりの皇子である|石工《いしく》との婚姻。  石工に余り好かれていない自覚のある白朝は、その嫌がる顔を想像して慄くも、意外や意外、石工は白朝との縁談をすんなりと受け入れる。  その後も順調に石工との仲を育む白朝だが、若竹や美鈴に絡まれ、窃盗されと迷惑を被りながらも幸せになって行く。

ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す

矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。 はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき…… メイドと主の織りなす官能の世界です。

勝負如此ニ御座候(しょうぶかくのごとくにござそうろう)

奇水
歴史・時代
元禄の頃の尾張、柳生家の次代当主である柳生厳延(としのぶ)は、正月の稽古始に登城した折り、見るからに只者ではない老人とすれ違う。いかにも剣の達人らしき様子に、丸に三つ柏の家紋を入れた裃……そして以前にも一度この老人を見たことがあったことを思い出し、厳延は追いかけて話を聞く。 その老人こそは嶋清秀。剣聖・一刀斎の薫陶を受け、新陰流きっての名人、柳生如雲斎にも認められながら、かつてただ一度の敗北で全てを失ったのだと自らを語った。 〝宮本武蔵がなごやへ来りしを召され、於御前兵法つかひ仕合せし時、相手すつと立合と、武蔵くみたる二刀のまゝ、大の切先を相手の鼻のさきへつけて、一間のうちを一ぺんまわしあるきて、勝負如此ニ御座候と申上し〟 伝説に語られる勝負に、しかし名を遺すことなく歴史の闇へと消えた剣士の、無念と悔悟の物語。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

忘八侍そばかす半兵衛

北部九州在住
歴史・時代
 時は四代将軍家綱の末期。  下馬将軍こと大老酒井忠清の専横は留まる事を知らず、これを苦々しく思う反酒井の幕閣は若年寄堀田正俊を中心に集まり、その暗闘は江戸城だけでなく、吉原や江戸の街を騒がさせていた。  そんな時代、一人の浪人が時代の荒波から浮かぶ。彼の名前は雑賀半兵衛。  生まれも筋も怪しく刀も下手なこの浪人、そばかす顔の昼行燈を気取っていたが、夜の顔は仕掛人。それもこの江戸でのご法度な鉄砲を用いた仕掛人である。  彼の仕事は奉行どころか幕府の耳に届き、十手持ちは血眼になって探す彼はもちろん幕閣の操り人形だった。  そんな折、酒井と堀田の対立は将軍家綱の病状悪化で決定的になる。  江戸城・大奥・江戸・吉原を舞台に伊賀忍者や甲賀忍者や柳生、さらに多くの人たちの思いをのせて今、半兵衛の火縄銃が火を噴く。

処理中です...