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猫王妃と離婚危機
もう一つの理由 4
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案の定というかなんというか、ステファヌたちがフィリエル人形を見舞ったその日に、ステファヌからリオンと話がしたいという申し出が入った。
(ああ、頭が痛い)
理由をつけて断りたいところだが、義兄で隣国の王太子の申し出を断るための言い訳なんて思いつかなかった。それこそよほどの大事件でも起きない限り不可能だ。
さすがにステファヌから申し込まれた面会に猫を連れて行くこともできないので、心配そうな声で「にゃー」と鳴くフィリエルの頭を撫でて「心配するな」と返しておく。
本当は自分が一番不安だったが、ここは腹をくくるしかない。
仕事を片付け、夕方、面会の場所として指定した城のサロンへ向かう。
ルシールとイザリアを外して、二人だけで話がしたいと言われた時点で、リオンにとってはいい話ではないことはわかりきっていた。
サロンに入ると、ソファに座ってお茶を飲んでいたステファヌが立ち上がる。
「すみません、お待たせしましたか?」
「いえ、こちらが早く着きすぎてしまっただけですから」
にこりと微笑むステファヌに、おかしいところはない――、と思いたい。思いたいが、リオンも国王なのでわかる。ステファヌもまた、表情を取り繕うことに慣れた人間だ。
リオンが席に着くと、新しいお茶と茶菓子が運ばれてくる。
「今日は猫は一緒ではないんですね」
一瞬、嫌味かと思ったが、下手に反応すると相手の思うつぼだ。
リオンも顔に笑みを張り付けて「ええ」と小さく頷いておく。
頻繁に会うわけでもなく、それほど話したこともないステファヌが、リオンは少し苦手だ。
リオンは人間全般苦手だが、それを除いても、ステファヌは苦手な部類だった。
理由はよくわからない。だが、ステファヌに笑顔を向けられるたびに、リオンは責められているような不思議な気持ちになるのだ。
ステファヌが居住まいをただしたので、リオンも自然と背筋を伸ばす。
フィリエルによく似た綺麗な紫色の瞳が、まっすぐこちらに向けられていた。
「回りくどいのはあまり得意ではありませんので、単刀直入に申します。イザリアを側妃として娶っていただきたい。そのうえで、フィリエルをロマリエ国に一時帰国させてください」
てっきり先ほどのフィリエル人形のことで突っ込まれるかと思っていたリオンは、突然の要求に目を丸くした。
「それはいささか……、唐突すぎるのでは?」
「唐突なのは重々承知しております。ですが、フィリエルにそれとなく伝えていたのですけど一向に返事がありませんでしたので、私の方から直接お頼みすることにした次第です」
「それは、ロマリエ国王陛下の……」
「そうです。父、ロマリエ国王陛下の言葉だと思っていただいて構いません」
リオンの口の中がカラカラに乾いていく。
ふんわりと、フィリエルを通して打診してくるのならばこちらも断り方があった。
しかし、王太子が、王の名代として持ち掛けてくるのであれば話が変わってくる。
「……なぜ」
乾いた口から出たのは、かすれた声だった。
「姉が嫁いでいる国に、妹もとなれば……少々、気まずいのでは?」
我ながら、馬鹿げたことを言ったと思う。
姉が嫁いだ国に妹も嫁がせるのは、それほどおかしなことでもない。
一夫多妻制の国に姉妹一緒に嫁がせたという例は他国でもまれに聞くことではあるし、コルティア国にも、過去にそう言った例がないわけではなかった。
ただ、一夫多妻制と言いながら、何十人もの妃を娶る風習が廃れ、側妃の娶っても一人か二人がせいぜいになったこの時代に、姉妹で嫁ぐとなると、やはり気まずさの方が勝ると思う。
(それ以前に、俺が嫌だ)
何か断る理由はないか、とリオンは頭をフル回転させる。
「イザリアはいいと言っています」
「それは……、つまり、世継ぎの問題ですか?」
前々から、フィリエルは手紙で母親から「早く子を生め」とせっつかれていた。子ができないならイザリアを、と書かれていたのをリオンも読んだから知っている。
ステファヌは数秒黙って、はあ、と息を吐いた。
「そうです、と言いたいところですが、正直私や両親にとって、そんなことは本当はどうだっていいのですよ」
「どうでもいいとは、どういう意味ですか?」
「そのままの意味です。フィリエルが世継ぎを産むか産まないかは、結果の話で、どうでもいい。世継ぎが生まれるに越したことはないと思いますし、国母であればフィリエルの立場も安泰だ。ですが、本当に、私たちからすればどうだっていいんです。私たちの心配はただ一つ。……不躾なことを聞くようですが、リオン陛下、あなたは、フィリエルを……、私の妹を、どう思っているんですか?」
「どう、とは?」
「愛しているか否かと聞いているんです」
リオンは目を見開いた。
(俺が、フィリエルを愛しているか……?)
想定外のことを訊かれて、リオンは反応できなかった。
何も返せずに黙っていると、ステファヌがまたため息をついた。
「昨日、陛下とフィリエルがダンスを踊っているのを見た時、私は少しホッとしました。私の心配は杞憂だったかもしれないと思ったからです。でもさっき、フィリエルの見舞いに行った際……、杞憂ではなかったのだと思いなおしました。あなたにはフィリエルを気遣うそぶりも、なにもない」
(そ、それは……)
リオンは冷や汗をかいた。
ステファヌがあったのは人形で、リオンは人形が余計なことを言わないようにハラハラしていただけで――、そして相手が人形だから気遣う必要なんてどこにもなくて、とにかく人形だから仕方がないのだと、心の中で意味不明な言い訳をだらだらと繰り返すけれど、到底口にできるはずもない。
「フィリエルが嫁いでおよそ六年。この間、あなたがフィリエルをどう扱っていたか、私たちが知らないとでも思っていましたか?」
す、とステファヌの顔から笑顔が消えた。
「あなたはうまく隠していたようだ。フィリエルも、手紙にはあなたとの関係は良好だと書いていた。けれどもそれで騙されるほど、うちの王家は、家族は馬鹿ではないんですよ。情報くらいいくらでも仕入れられます。あなたはフィリエルが嫁いでから一度もあの子を顧みなかった。妻として扱わなかった。私たちがどんな気持ちだったか、わかっていますか?」
リオンは何も返せなかった。
言い訳すら思いつかない。ステファヌの言う通りだったからだ。
黙ったままのリオンに、ステファヌは何を思ったのだろうか。
声が、一段と低くなった。
「政略結婚だ。愛だ恋だなどと、本来は言う必要はないし、私だって口を出したくない。私も妻とは政略結婚ですからね。でも、拒絶するのは話が違う」
その通りだと、思った。
母が嫌いだった。父が嫌いだった。人と関わるのが嫌いだった。
けれども、フィリエルに対する態度は、父が母にしてきた態度と、何が違うのだろうかと気づいてしまった。
リオンは父のように愛人を抱えたりはしていない。けれども、放置したのは一緒だ。たとえそれが、宰相のありもしない話に踊らされていたからとはいえ、向き合おうとしなかった責任はリオンにある。
今はそんなつもりはないという言い訳なんて、通用しない。
現にフィリエルは猫のままだ。人に戻らないのは、もしかしたら、リオンをまだ許せていないからかもしれない。
「隠したって仕方がありません。正直に話しますと、フィリエルに縁談が来ています」
「な――」
「非常識でしょう? わかっています。嫁いだ姫に縁談を持ってくるなんて頭がおかしいとしか思えない。でもね……、正直言って、このままあなたの側に置いておくくらいなら、あなたと離縁させてその相手に嫁がせた方がましだと、私も父も母も、思っています。少なくともあちらはフィリエルを愛していますからね。嫁いでしまってもなお、忘れられないくらいに強く」
「フィリエルは知っているんですか?」
「知りませんよ。そんなこと手紙に書けるはずがないでしょう。それにたぶん、フィリエルは相手の気持ちも知らないでしょうからね」
ステファヌはティーカップに手を伸ばした。
気分を落ち着かせるのが目的のように、ゆっくりと紅茶を飲み干す。
「相手が誰かは明かせませんが、付き合いのある国の王子です。フィリエルが社交デビューしてから何度か会ったことがあります。フィリエルとあなたが結婚する前、あなたを含めていくつかの縁談が来ていましたが、そのときにも名乗りを上げていました」
「なぜ、その時にその王子を選ばなかったんですか?」
「そうですね。国としては、はっきり言えばあなたでもその王子でもどっちでもよかった。ですので、フィリエルの気持ちを優先することにしただけです」
(気持ち?)
フィリエルは、その王子の国よりもコルティア国に嫁ぎたがったということだろうか。
(まあ、隣、だからな。家族と近い方がいいだろうが……)
しかし当時の王は愛人を大勢抱えていたリオンの父だ。嫁ぎ先としては、そんな国の王子よりはもう一方の方がよかったのではないだろうか。
フィリエルはどうして、コルティア国を――リオンを、選んだのだろう。
考え込んでいると、「わからないんですか?」とステファヌにあきれ顔をされた。
「妹はあなたを好いていた。だから最終的にコルティア国に嫁がせることにしたんです」
(好いていた……? いや、だがフィリエルには国に想い人が……いや違う。あれは宰相が勝手に言っていたことでフィリエルも否定した。じゃあ……)
じんわりと、顔が熱くなった。
好かれていたと聞いて、こんな時なのに、こんな話をされている最中なのに、嬉しいと思ってしまう自分がいる。
「ですが結果はこの通り。正直、フィリエルの気持ちを優先せず、妹を愛してくれる相手を選べばよかったと後悔しています。そして今からでも遅くありません。フィリエルがどうでもいいのなら、あの子を返してください」
ステファヌの言葉で、リオンは急激に現実に戻された。
リオンが何かを言いかける前に、ステファヌがかぶせるように続ける。
「さすがにイザリアを嫁がせて、フィリエルとすぐに離縁とはいかないでしょう。ですので、イザリアに子ができるまでは待つつもりですし、先方も待つと言ってくれています。イザリアに子ができるまで、フィリエルはロマリエ国で面倒を見ます」
「馬鹿を言わないでください! だいたいそれだと、イザリアが……」
「可哀想、ですか? それをあなたが言いますか?」
(……確かにな)
フィリエルを放置し続けたリオンには、言う資格はないかもしれない。
「イザリアは納得しています。イザリアはあなたに恋愛感情はないけれど、顔は好みらしいですよ。そして国母として、ゆくゆくは王妃として敬われるのなら、それでいいとも言っています。むしろ国内の誰かに嫁ぐより気が楽だからそうしてほしいとも。あの子はあれで、案外割り切った性格をしているので」
フィリエルをただ奪い返して他国に嫁がせるとなると、ロマリエ国とコルティア国の間に亀裂が入る。ゆえに、フィリエルを離縁させるなら、代わりに誰かを嫁がせた方が国としてはいいだろう。
フィリエルをこれほど案じているステファヌだ。イザリアの気持ちを無視して進めるとも思えないので、イザリアは本当に納得し、それを望んでいるのかもしれない。
(だが、いくら何でも――)
フィリエルをないがしろにし続けたリオンなら頷くと思っているのか、それともないがしろにし続けたのだから責任を感じて受け入れろと言いたいのか。
「…………フィリエルは、それを、望みません。望まないと、思います」
何とか返答しながら、心の中で、本当にそうだろうかと自問した。
フィリエルは、こんな最低な男の側にいるより、彼女を愛してくれる男を選ぶのではないかと、不安になった。
フィリエルが嫁いでなお想い続けていた相手の男の気持ちは強いだろう。
一生、フィリエルを愛し大切にすると思う。
人をやめることを選択させてしまったリオンよりもよっぽど、フィリエルを幸せにできるはずだ。
(フィリエルが知ったら、どうするんだろう……)
心が押しつぶされそうなほどに不安になる。
「今日すぐに結論を出してほしいとは言いません。ですが、私が滞在している間に答えを頂けると助かります」
今日を入れて四日の間に、答えを出せと。
こんな重要な問題に、たった四日で。
視線を落としたまま動けなくなったリオンに、ステファヌはもう一度同じことを問うた。
「リオン陛下。あなたはフィリエルを、愛していますか?」
リオンは、答えられなかった。
(ああ、頭が痛い)
理由をつけて断りたいところだが、義兄で隣国の王太子の申し出を断るための言い訳なんて思いつかなかった。それこそよほどの大事件でも起きない限り不可能だ。
さすがにステファヌから申し込まれた面会に猫を連れて行くこともできないので、心配そうな声で「にゃー」と鳴くフィリエルの頭を撫でて「心配するな」と返しておく。
本当は自分が一番不安だったが、ここは腹をくくるしかない。
仕事を片付け、夕方、面会の場所として指定した城のサロンへ向かう。
ルシールとイザリアを外して、二人だけで話がしたいと言われた時点で、リオンにとってはいい話ではないことはわかりきっていた。
サロンに入ると、ソファに座ってお茶を飲んでいたステファヌが立ち上がる。
「すみません、お待たせしましたか?」
「いえ、こちらが早く着きすぎてしまっただけですから」
にこりと微笑むステファヌに、おかしいところはない――、と思いたい。思いたいが、リオンも国王なのでわかる。ステファヌもまた、表情を取り繕うことに慣れた人間だ。
リオンが席に着くと、新しいお茶と茶菓子が運ばれてくる。
「今日は猫は一緒ではないんですね」
一瞬、嫌味かと思ったが、下手に反応すると相手の思うつぼだ。
リオンも顔に笑みを張り付けて「ええ」と小さく頷いておく。
頻繁に会うわけでもなく、それほど話したこともないステファヌが、リオンは少し苦手だ。
リオンは人間全般苦手だが、それを除いても、ステファヌは苦手な部類だった。
理由はよくわからない。だが、ステファヌに笑顔を向けられるたびに、リオンは責められているような不思議な気持ちになるのだ。
ステファヌが居住まいをただしたので、リオンも自然と背筋を伸ばす。
フィリエルによく似た綺麗な紫色の瞳が、まっすぐこちらに向けられていた。
「回りくどいのはあまり得意ではありませんので、単刀直入に申します。イザリアを側妃として娶っていただきたい。そのうえで、フィリエルをロマリエ国に一時帰国させてください」
てっきり先ほどのフィリエル人形のことで突っ込まれるかと思っていたリオンは、突然の要求に目を丸くした。
「それはいささか……、唐突すぎるのでは?」
「唐突なのは重々承知しております。ですが、フィリエルにそれとなく伝えていたのですけど一向に返事がありませんでしたので、私の方から直接お頼みすることにした次第です」
「それは、ロマリエ国王陛下の……」
「そうです。父、ロマリエ国王陛下の言葉だと思っていただいて構いません」
リオンの口の中がカラカラに乾いていく。
ふんわりと、フィリエルを通して打診してくるのならばこちらも断り方があった。
しかし、王太子が、王の名代として持ち掛けてくるのであれば話が変わってくる。
「……なぜ」
乾いた口から出たのは、かすれた声だった。
「姉が嫁いでいる国に、妹もとなれば……少々、気まずいのでは?」
我ながら、馬鹿げたことを言ったと思う。
姉が嫁いだ国に妹も嫁がせるのは、それほどおかしなことでもない。
一夫多妻制の国に姉妹一緒に嫁がせたという例は他国でもまれに聞くことではあるし、コルティア国にも、過去にそう言った例がないわけではなかった。
ただ、一夫多妻制と言いながら、何十人もの妃を娶る風習が廃れ、側妃の娶っても一人か二人がせいぜいになったこの時代に、姉妹で嫁ぐとなると、やはり気まずさの方が勝ると思う。
(それ以前に、俺が嫌だ)
何か断る理由はないか、とリオンは頭をフル回転させる。
「イザリアはいいと言っています」
「それは……、つまり、世継ぎの問題ですか?」
前々から、フィリエルは手紙で母親から「早く子を生め」とせっつかれていた。子ができないならイザリアを、と書かれていたのをリオンも読んだから知っている。
ステファヌは数秒黙って、はあ、と息を吐いた。
「そうです、と言いたいところですが、正直私や両親にとって、そんなことは本当はどうだっていいのですよ」
「どうでもいいとは、どういう意味ですか?」
「そのままの意味です。フィリエルが世継ぎを産むか産まないかは、結果の話で、どうでもいい。世継ぎが生まれるに越したことはないと思いますし、国母であればフィリエルの立場も安泰だ。ですが、本当に、私たちからすればどうだっていいんです。私たちの心配はただ一つ。……不躾なことを聞くようですが、リオン陛下、あなたは、フィリエルを……、私の妹を、どう思っているんですか?」
「どう、とは?」
「愛しているか否かと聞いているんです」
リオンは目を見開いた。
(俺が、フィリエルを愛しているか……?)
想定外のことを訊かれて、リオンは反応できなかった。
何も返せずに黙っていると、ステファヌがまたため息をついた。
「昨日、陛下とフィリエルがダンスを踊っているのを見た時、私は少しホッとしました。私の心配は杞憂だったかもしれないと思ったからです。でもさっき、フィリエルの見舞いに行った際……、杞憂ではなかったのだと思いなおしました。あなたにはフィリエルを気遣うそぶりも、なにもない」
(そ、それは……)
リオンは冷や汗をかいた。
ステファヌがあったのは人形で、リオンは人形が余計なことを言わないようにハラハラしていただけで――、そして相手が人形だから気遣う必要なんてどこにもなくて、とにかく人形だから仕方がないのだと、心の中で意味不明な言い訳をだらだらと繰り返すけれど、到底口にできるはずもない。
「フィリエルが嫁いでおよそ六年。この間、あなたがフィリエルをどう扱っていたか、私たちが知らないとでも思っていましたか?」
す、とステファヌの顔から笑顔が消えた。
「あなたはうまく隠していたようだ。フィリエルも、手紙にはあなたとの関係は良好だと書いていた。けれどもそれで騙されるほど、うちの王家は、家族は馬鹿ではないんですよ。情報くらいいくらでも仕入れられます。あなたはフィリエルが嫁いでから一度もあの子を顧みなかった。妻として扱わなかった。私たちがどんな気持ちだったか、わかっていますか?」
リオンは何も返せなかった。
言い訳すら思いつかない。ステファヌの言う通りだったからだ。
黙ったままのリオンに、ステファヌは何を思ったのだろうか。
声が、一段と低くなった。
「政略結婚だ。愛だ恋だなどと、本来は言う必要はないし、私だって口を出したくない。私も妻とは政略結婚ですからね。でも、拒絶するのは話が違う」
その通りだと、思った。
母が嫌いだった。父が嫌いだった。人と関わるのが嫌いだった。
けれども、フィリエルに対する態度は、父が母にしてきた態度と、何が違うのだろうかと気づいてしまった。
リオンは父のように愛人を抱えたりはしていない。けれども、放置したのは一緒だ。たとえそれが、宰相のありもしない話に踊らされていたからとはいえ、向き合おうとしなかった責任はリオンにある。
今はそんなつもりはないという言い訳なんて、通用しない。
現にフィリエルは猫のままだ。人に戻らないのは、もしかしたら、リオンをまだ許せていないからかもしれない。
「隠したって仕方がありません。正直に話しますと、フィリエルに縁談が来ています」
「な――」
「非常識でしょう? わかっています。嫁いだ姫に縁談を持ってくるなんて頭がおかしいとしか思えない。でもね……、正直言って、このままあなたの側に置いておくくらいなら、あなたと離縁させてその相手に嫁がせた方がましだと、私も父も母も、思っています。少なくともあちらはフィリエルを愛していますからね。嫁いでしまってもなお、忘れられないくらいに強く」
「フィリエルは知っているんですか?」
「知りませんよ。そんなこと手紙に書けるはずがないでしょう。それにたぶん、フィリエルは相手の気持ちも知らないでしょうからね」
ステファヌはティーカップに手を伸ばした。
気分を落ち着かせるのが目的のように、ゆっくりと紅茶を飲み干す。
「相手が誰かは明かせませんが、付き合いのある国の王子です。フィリエルが社交デビューしてから何度か会ったことがあります。フィリエルとあなたが結婚する前、あなたを含めていくつかの縁談が来ていましたが、そのときにも名乗りを上げていました」
「なぜ、その時にその王子を選ばなかったんですか?」
「そうですね。国としては、はっきり言えばあなたでもその王子でもどっちでもよかった。ですので、フィリエルの気持ちを優先することにしただけです」
(気持ち?)
フィリエルは、その王子の国よりもコルティア国に嫁ぎたがったということだろうか。
(まあ、隣、だからな。家族と近い方がいいだろうが……)
しかし当時の王は愛人を大勢抱えていたリオンの父だ。嫁ぎ先としては、そんな国の王子よりはもう一方の方がよかったのではないだろうか。
フィリエルはどうして、コルティア国を――リオンを、選んだのだろう。
考え込んでいると、「わからないんですか?」とステファヌにあきれ顔をされた。
「妹はあなたを好いていた。だから最終的にコルティア国に嫁がせることにしたんです」
(好いていた……? いや、だがフィリエルには国に想い人が……いや違う。あれは宰相が勝手に言っていたことでフィリエルも否定した。じゃあ……)
じんわりと、顔が熱くなった。
好かれていたと聞いて、こんな時なのに、こんな話をされている最中なのに、嬉しいと思ってしまう自分がいる。
「ですが結果はこの通り。正直、フィリエルの気持ちを優先せず、妹を愛してくれる相手を選べばよかったと後悔しています。そして今からでも遅くありません。フィリエルがどうでもいいのなら、あの子を返してください」
ステファヌの言葉で、リオンは急激に現実に戻された。
リオンが何かを言いかける前に、ステファヌがかぶせるように続ける。
「さすがにイザリアを嫁がせて、フィリエルとすぐに離縁とはいかないでしょう。ですので、イザリアに子ができるまでは待つつもりですし、先方も待つと言ってくれています。イザリアに子ができるまで、フィリエルはロマリエ国で面倒を見ます」
「馬鹿を言わないでください! だいたいそれだと、イザリアが……」
「可哀想、ですか? それをあなたが言いますか?」
(……確かにな)
フィリエルを放置し続けたリオンには、言う資格はないかもしれない。
「イザリアは納得しています。イザリアはあなたに恋愛感情はないけれど、顔は好みらしいですよ。そして国母として、ゆくゆくは王妃として敬われるのなら、それでいいとも言っています。むしろ国内の誰かに嫁ぐより気が楽だからそうしてほしいとも。あの子はあれで、案外割り切った性格をしているので」
フィリエルをただ奪い返して他国に嫁がせるとなると、ロマリエ国とコルティア国の間に亀裂が入る。ゆえに、フィリエルを離縁させるなら、代わりに誰かを嫁がせた方が国としてはいいだろう。
フィリエルをこれほど案じているステファヌだ。イザリアの気持ちを無視して進めるとも思えないので、イザリアは本当に納得し、それを望んでいるのかもしれない。
(だが、いくら何でも――)
フィリエルをないがしろにし続けたリオンなら頷くと思っているのか、それともないがしろにし続けたのだから責任を感じて受け入れろと言いたいのか。
「…………フィリエルは、それを、望みません。望まないと、思います」
何とか返答しながら、心の中で、本当にそうだろうかと自問した。
フィリエルは、こんな最低な男の側にいるより、彼女を愛してくれる男を選ぶのではないかと、不安になった。
フィリエルが嫁いでなお想い続けていた相手の男の気持ちは強いだろう。
一生、フィリエルを愛し大切にすると思う。
人をやめることを選択させてしまったリオンよりもよっぽど、フィリエルを幸せにできるはずだ。
(フィリエルが知ったら、どうするんだろう……)
心が押しつぶされそうなほどに不安になる。
「今日すぐに結論を出してほしいとは言いません。ですが、私が滞在している間に答えを頂けると助かります」
今日を入れて四日の間に、答えを出せと。
こんな重要な問題に、たった四日で。
視線を落としたまま動けなくなったリオンに、ステファヌはもう一度同じことを問うた。
「リオン陛下。あなたはフィリエルを、愛していますか?」
リオンは、答えられなかった。
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