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猫になった王妃と冷淡だった夫

消えた王妃の心 1

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 夜中に無断で部屋に侵入してきたブリエットを捕縛させたはいいものの、宰相が大勢の貴族を味方につけて嘆願してきたため、ブリエット本人への罰は半年間の自宅謹慎処分と、実に軽いものになってしまった。
 愛するリリに暴行を加えたブリエットへの軽すぎる罪に不満はあるが、ここで強引に重い刑罰を適用すれば周囲からの反感は必至だ。
 国王と言えど、自分一人の意見だけで貴族を処罰することはできないのである。実に忌々しい。

 ちなみに、食事に媚薬を混入させたメイドは解雇処分、兵士たちは降格処分に加えて一か月間の厳しい訓練が課せられた。
 宰相ボルデ公爵には娘の監督不行き届きという形で相応の罰金の支払いを命じ、今後リオンの結婚について余計な口出しをしないという約束をさせた。
 宰相が口出ししないだけで、リオンの後妻問題は今後付きまとうことになるが、何かと身内を勧める宰相を黙らせただけでも気分的には楽になる。

 リリを獣医に預け、リオンはその足で王妃フィリエルの部屋へ向かった。
 王妃の部屋は現在施錠されて誰もいない。

 鍵を開けさせて中に入ると、淡いピンクやグリーンで統一された記憶のままの王妃の部屋だった。
 華美な装飾はないが、明るい色でまとめているからだろう、柔らかく。それでいて華やかな印象の部屋である。
 用がなければ訪れない妻の部屋だが、ここに来るといつも憂いた表情を浮かべてソファに座っていた妻がいた。その妻がいない部屋は、なんだか少し寂しい感じがする。

 結婚して五年。
 夜を共にしないどころか、会いに来ようともしない夫に文句の一つも言わず、この部屋でただ静かに暮らしていたフィリエル。
 思い返してみると、フィリエルがリオンに意見を言ったのは、後にも先にも、彼女がいなくなるその日が最後だった。

 ――陛下……、そろそろ、世継ぎのことを、考えなくてはいけない気がします。

 リオンと視線をあわせるたびに青ざめ震えていたフィリエルは、この一言を言うのにどれほど勇気を振り絞ったのだろう。
 今更ながらに、もう少し向き合えばよかったのではないかと思えてきた。
 そうすれば彼女はいなくならなかったかもしれないし、リオンも後妻問題で頭を抱える羽目にはならなかったはずである。
 過去のことを悔いても仕方がないとはわかっているが、昨夜のことがあったからか、つい、あの時違う対応を取っていればよかったと思ってしまう。

 はあ、とため息をついて、リオンは窓際のライティングデスクへ向かった。
 ライティングデスクの上には、封が切られていない手紙が三通置いてある。そのどれもが、ロマリエ国の王妃が娘フィリエルに宛てた手紙だった。
 いつまでも手紙を放置しているわけにはいかない。
 いい加減中身を確認し、返事を書かなくてはならないのだ。

(王妃の筆跡に似た人間を探すか……)

 しかし、代筆させるにしても、内容を代筆者に任せることはできない。
 リオンが中身を確認し、当たり障りのない返信内容を考えなければならないのだ。

 リオンは椅子に腰かけると、一通目の手紙を手に取った。
 ペーパーナイフで封を切り、綺麗な透かしの入った薄いブルーの便箋を広げる。
 妻とはいえ他人に宛てられた手紙を読むのには罪悪感があったが、これも仕事の一つだと割り切るしかない。
 手紙の字は、綺麗だがどこか神経質そうに角ばっていた。


『フィリエル、お元気でしょうか。
 妊娠の兆候はありましたか?
 いつまでたっても懐妊の吉報が届かないため、母はとても心配しています。
 王妃の一番の仕事は世継ぎを生むこと。
 そしてできるだけ多くの子を生むことです。
 結婚して五年も経つのに妊娠しないということは、あなたは子ができにくい体質なのでしょう。
 侍医に診てもらいながら、早く子ができるように努力なさい。
 もしどうしても子ができないというのであれば、リオン陛下にイザリアを側妃として娶るよう、あなたが進言するように。
 あなたはロマリエ国とコルティア国の関係強化のために嫁いだのですから、その勤めを果たしなさい。
 早く母を安心させてください。
 それでは、よい知らせを待っています』


 手紙を読み終えたリオンは、絶句した。
 気になって残り二通の手紙の封も切ってみたが、どれも似たような内容だった。
 悪いと思いつつも鍵のかかった引き出しを開け、その中に収められていた手紙も確認する。
 その手紙のほとんどが王妃からで、どの手紙にも早く子を生めとせっつくことばかりが書かれていた。

 王妃以外からの手紙は、フィリエルの妹王女イザリアからと、国王、それから彼女の兄である王太子からのものだが、どれもひどいものだ。

 イザリアの手紙には自分が側妃として嫁いで代わりに義務を果たすから、自分を娶るようにリオンを説得しろと書いてあるし、王太子からは自分の子にフィリエルが生んだ娘を嫁がせる予定だからさっさと女の子を生めと書いてある。
 国王からの手紙には、子ができないのならばイザリアと交換するから帰って来いと書かれていた。

 手紙を読んでいるうちに吐き気がこみあげてきて、リオンは口元を手のひらで覆う。
 こんな手紙が、実に五年分。
 フィリエルはいったいどんな気持ちで手紙を読み、そして返信を書いていたのだろうか。

 手紙を片付けようとしたリオンは、ふと、引き出しの中に中途半端に文字が書かれた便箋を発見した。
 柔らかなクリームイエローの便箋だ。
 どうやらフィリエルが書きかけた手紙の返信らしい。
 返信内容を考える参考にするかと読み進めたリオンは、息を呑んで固まった。


『お母様へ。
 お元気ですか?
 フィリエルは元気です。
 なかなかご期待に沿うご報告ができなくて申し訳ございません。
 ですが、リオン陛下はとてもお優しく、毎日楽しく過ごしております。
 子は授かりものですので、いつとは言えませんが、きっとそのうちいいご報告ができると思いますので、もう少し気長に待っていただけると嬉しいです』


 手紙はそこで止まっていて、きっとこの後に続ける文面が思いつかなくなったのだろうと推測で来た。

(王妃は、これをどんな気持ちで書いたのだろうか……)

 リオンは、フィリエルが嫁いでから五年、一度も彼女に優しく接したことはない。
 楽しく過ごしているというが、フィリエルはほとんどを部屋の中ですごしていた。
 子供も、そもそも作るための行為をしていないのだからできるはずがない。

(愚痴の一つでも、言えばいいのに)

 子ができないのはリオンのせいだと書いてしまえばいいのに。
 もう嫌だ、国に帰りたいと泣きつけばいいのに。

(王妃が、私を嫌っていたことは知っている)

 結婚前に宰相から聞いたからだ。
 国同士の関係強化のための結婚だからフィリエルには断ることができなかったが、彼女にはロマリエ国に恋人がいたのだ、と。
 そのためリオンのことをひどく憎んでいる、と。
 国のために仕方なくリオンに嫁いで来たのだと聞かされ、まあ、そんなものだろうなと笑った。

 王族の義務。
 王子や王女に生まれれば、幼いころから口を酸っぱくして教えられる、忌々しい「義務」という二文字。

 国を背負って嫁いで来たフィリエルを、なんて憐れな女だろうかと思った。
 同情した。
 それと同時に、「国のため」という母の顔が、全然似てもいないフィリエルの顔に重なって見えて吐き気を覚えた。
 彼女の顔を見るたびに母の顔がちらつき、耐えられなかった。
 フィリエルも、嫌いな男に抱かれるのは苦痛だろう。
 幸いにしてリオンには弟がいる。リオンに子ができずとも、王家は存続できるのだ。
 ならば無理をして妃との間に子を作る必要はないと、リオンは放置することにした。

 妃が空席だと何かと面倒なので、とりあえずリオンの妃の椅子にさえ座っていてくれれば、あとはたいていのことは目をつむろうとも思った。
 ロマリエ国から恋人を呼び寄せたってかまわない。
 愛人との間に子を作られるのは困るが、それ以外は好きにすればいいだろうと、そう思った。

(そういえば彼女の口から直接、俺との結婚についてどう思っているのかを聞いたことはなかったな)

 聞いていれば、何かが変わっただろうか。
 お互いに譲歩できる部分を探って、歩み寄ろうとしていれば、フィリエルはいなくならなかっただろうか。

 名前だけの王妃を愛しているわけではない。
 というより、リオンはフィリエルのことを何も知らない。
 けれど、過去の行動の何か一つを変えてみれば、もしかしたらもっと違った関係性が構築できたのではなかろうか。
 五年間、母国の家族から送られてくる手紙に、フィリエルはどれほどプレッシャーを感じていただろう。

(彼女に悪いことをしたな……)

 愛想をつかすのも当然だ。
 逃げ出したくなるのも仕方がない。
 しかし、ロマリエ国の王女としてずっと箱入りで育った彼女が、城を出て一人で生きていけるとは思えなかった。

(探させるか……いや、しかし)

 王妃が消えたことは公にはされていない。
 王妃の捜索を開始すれば、どこかからフィリエルが消えたことが漏れてしまうかもしれなくて、ロマリエ国の国王夫妻の耳に入ってしまう可能性があった。
 それに、城から逃げ出したフィリエルは、もうリオンの顔など見たくないだろう。
 捜索させて、捕まえて、城に連れ戻したら――、フィリエルはせっかく手に入れた自由をまた奪われることになる。

(夫らしい夫ではなかったけれど、最後くらい、彼女の意思を尊重してやりたい)

 国王としては許されない考えだろう。
 だが「リオン」として、このまま見逃してやりたい。

「……返事は、また今度考えるか」

 どうしても手紙の返事を考える気分にはなれなくて、リオンは手紙を引き出しに納めると、妻の部屋を後にした。



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