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第二部 すべてを奪われた少女は隣国にて返り咲く
さよならの行方 2
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(ちょうど南に向かう馬車が拾えたのは運がよかったわね)
王都から南に馬車で四日。
その後、徒歩でひたすら南を目指して、サーラは夕方に差し掛かった町で一泊することにした。
あらかじめ印をつけておいた地図によると、あと三日ほど南に進んだところにある少し大きな町を、今度は西に抜けることになる。
またどこかで運よく馬車が拾えればいいのだが、拾えなくとも、今は気候がいいので歩くのもそれほど苦ではなかった。
荷物も最低限のものだけを持って来たので、それほど重くない。
侍女の給金はまるまる貯金しておいたので、これだけあれば贅沢さえしなければ当面は困らないだろう。
国境を出て、のんびりとどこか落ち着く場所を決めて、働き口を見つけるまでは、充分に持つ金額だ。
安すぎず、でも高すぎない手ごろな宿の部屋を取って、サーラは部屋の窓を開ける。
四階の部屋なので見通しがよく、窓からは夕日に染まった新緑の豊かな山々が見渡せた。
初夏のやわらかな風がサーラの金髪をわずかに揺らして部屋の中に入り込む。
サーラの手が、自然と首元に向かう。
無意識のうちにネックレスに触れてしまうのは、きっと知らないうちに癖になってしまったから。
「……新しい名前、考えなきゃね」
サーラの心も、サラフィーネ・プランタットの心も、全部ウォレスのところに置いてきた。
ウォレスと離れ、ヴォワトール国から出てはじめる第三の人生は、どんな名前がいいだろうか。
サーラも、サラフィーネも、ほんのわずかな間に名乗っていたマリアという偽名も使いたくない。その名前で呼ばれると、どうしても思い出してしまうから。
国境を超えるまで、あと一か月以上かかるだろう。
国境の検問の混雑具合によってはそこで時間を取られる可能性もある。
これから先、恐らく一生使うことになる名前だ。時間はたっぷりあるのだからゆっくり考えよう。
王都や、シャミナード公爵とつながっていた貴族が治めていた領地は混乱しているのに、このあたりはのどかなものだ。
シャミナード公爵家とは関係のない貴族が治めている場所を選んで移動ルートにしたからだろう。貴族はバタバタしているが、そこに住まう人々の日常は、その地で騒動がない限り揺らがない。
けれどもひとたび国を巻き込んだ戦になれば、否が応でも巻き込まれていただろう。戦争に発展する前に未然に防げてよかったと心から思う。
「……レナエルは、どうしているのかしら」
ふと、思った。
レナエルが父であるシャミナード公爵や兄であるフィリベール・シャミナードの計画に無関係であるとは思えない。
しかし、会うこともなく、話すこともなく、すべてが終わってしまった今、ふと、彼女もまた、振り回された側の人間だったのではないかと思ってしまった。
だってそうだろう。
父親のくだらない計画のために嫁がされ、嫁いだ相手を裏切り、それを幸せだと思える女性がいるだろうか。
何も知らないふりをして、夫の隣で笑っていなければならない。
相応の覚悟がなければできないことではなかろうか。
ならばレナエルの覚悟とは、いったい何だったのだろう。
(考えたって仕方のないことだけど……)
幼い日の光景が蘇る。
猫のような目を細めて笑った幼い日のレナエルは、父親の言いなりになるただのお人形には見えなかったけれど、違ったのだろうか――
王都から南に馬車で四日。
その後、徒歩でひたすら南を目指して、サーラは夕方に差し掛かった町で一泊することにした。
あらかじめ印をつけておいた地図によると、あと三日ほど南に進んだところにある少し大きな町を、今度は西に抜けることになる。
またどこかで運よく馬車が拾えればいいのだが、拾えなくとも、今は気候がいいので歩くのもそれほど苦ではなかった。
荷物も最低限のものだけを持って来たので、それほど重くない。
侍女の給金はまるまる貯金しておいたので、これだけあれば贅沢さえしなければ当面は困らないだろう。
国境を出て、のんびりとどこか落ち着く場所を決めて、働き口を見つけるまでは、充分に持つ金額だ。
安すぎず、でも高すぎない手ごろな宿の部屋を取って、サーラは部屋の窓を開ける。
四階の部屋なので見通しがよく、窓からは夕日に染まった新緑の豊かな山々が見渡せた。
初夏のやわらかな風がサーラの金髪をわずかに揺らして部屋の中に入り込む。
サーラの手が、自然と首元に向かう。
無意識のうちにネックレスに触れてしまうのは、きっと知らないうちに癖になってしまったから。
「……新しい名前、考えなきゃね」
サーラの心も、サラフィーネ・プランタットの心も、全部ウォレスのところに置いてきた。
ウォレスと離れ、ヴォワトール国から出てはじめる第三の人生は、どんな名前がいいだろうか。
サーラも、サラフィーネも、ほんのわずかな間に名乗っていたマリアという偽名も使いたくない。その名前で呼ばれると、どうしても思い出してしまうから。
国境を超えるまで、あと一か月以上かかるだろう。
国境の検問の混雑具合によってはそこで時間を取られる可能性もある。
これから先、恐らく一生使うことになる名前だ。時間はたっぷりあるのだからゆっくり考えよう。
王都や、シャミナード公爵とつながっていた貴族が治めていた領地は混乱しているのに、このあたりはのどかなものだ。
シャミナード公爵家とは関係のない貴族が治めている場所を選んで移動ルートにしたからだろう。貴族はバタバタしているが、そこに住まう人々の日常は、その地で騒動がない限り揺らがない。
けれどもひとたび国を巻き込んだ戦になれば、否が応でも巻き込まれていただろう。戦争に発展する前に未然に防げてよかったと心から思う。
「……レナエルは、どうしているのかしら」
ふと、思った。
レナエルが父であるシャミナード公爵や兄であるフィリベール・シャミナードの計画に無関係であるとは思えない。
しかし、会うこともなく、話すこともなく、すべてが終わってしまった今、ふと、彼女もまた、振り回された側の人間だったのではないかと思ってしまった。
だってそうだろう。
父親のくだらない計画のために嫁がされ、嫁いだ相手を裏切り、それを幸せだと思える女性がいるだろうか。
何も知らないふりをして、夫の隣で笑っていなければならない。
相応の覚悟がなければできないことではなかろうか。
ならばレナエルの覚悟とは、いったい何だったのだろう。
(考えたって仕方のないことだけど……)
幼い日の光景が蘇る。
猫のような目を細めて笑った幼い日のレナエルは、父親の言いなりになるただのお人形には見えなかったけれど、違ったのだろうか――
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