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透明人間になったわたしと、わたしに興味がない(はずの)夫の奇妙な三か月間
見えない…… 4
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アビットソン子爵夫人マルジョリーへの、ルクレールの第一印象は、「なれなれしい女」だった。
アビットソン子爵とはそれなりに仲がいいが、夫人のマルジョリーとは、社交場で挨拶をしたことがあるきりで、正直あまりよく知らない。
昔恋人に裏切られたせいで女性不信に陥っていたルクレールは、はっきりいって女にまるっきり興味を抱けなくなっていたので、そこそこ美人で名の通っているらしいマルジョリーのこともまったく印象に残っていなかった。
(美人だと言うが、オレリアの方が美人だな)
マルジョリーは目鼻立ちも整っているし、二十一という年齢の割には、もう少し年嵩の女性が持っていそうな色香を持っている。
だが、甘ったるい香りも、わざとらしい流し目も、気やすいボディタッチも、ルクレールにとっては不快でしかない。
彼女はなるほど、男性にモテてきたのだと思う。
義父がベルジェール公爵でもあるので、社交界でちやほやされてきたのだろう。
それが彼女を大いに勘違いさせたのかもしれないが、男はみな、彼女に好印象を抱くとは思わない方がいい。
ついついオレリアと比較しながらマルジョリーを眺めていたルクレールは、彼女が思わせぶりなことを言いはじめた途端にぎゅっと眉を寄せた。
遠回しに帰れと言っているのに居座り続けるマルジョリーのなんと図々しいことかと思っていたが、ここにきて、噂を知っていると言いだしたのだ。
ルクレールはイラっとしたが、ここで下手に反応して墓穴を掘るわけにはいかない。
不快に思いつつも黙っていると、マルジョリーは調子に乗ってさらに続けた。
「奥様と、うまくいっていないのでしょう?」
ねっとりと、絡みつくような甘えた声でマルジョリーがそう言った途端、ルクレールの頭の中でブチッと音がした。
「俺と妻との夫婦関係には何ら問題ないが?」
もちろんこれは真っ赤な嘘で、この二年ろくに見ようともしなかったルクレールが偉そうなことは言えないとはわかっているが、言わずにはいられなかった。
昨日から「離縁だ」だの「別居だ」だのと言われ続けて、この手の話題に対しての我慢がすでに擦り切れそうだったのだ。
(夫婦間の問題に、外野が口を挟むな!)
そう怒鳴りつけることができればどんなにいいだろう。
さすがにベルジェール公爵家の嫁で、友人アビットソン子爵の妻であるマルジョリー相手に、そのような態度には出られない。
ルクレールは苛立ちを紛らわすために踵をコツコツと揺らしたが、マルジョリーは鈍感なのか、はたまたわざとなのか、にこにこと微笑んで続けた。
「あら、そうかしら? だってわたくし、聞いたもの」
「噂なら――」
「噂ではございませんわ。奥様本人からです」
「は?」
「奥様から、結婚生活がうまくいっていないと……離縁を考えていると、聞いたことがございますわ」
ルクレールは息を呑んだ。
☆
「そんなこと言っていないわ‼」
オレリアは叫んだ。
思わず立ち上がったけれど、ルクレールにもマルジョリーにもオレリアの姿は見えないので、彼らは当然のことながら何も反応しない。
オレリアは、今日ほど透明になったのを歯がゆく感じたことはなかった。
「どうしてそんな嘘を言うの⁉ わたしは外で家庭の話をしたことはないわ!」
お茶会に集まる年若い夫人たちは、夫のことや、子供がいれば子供のこと、舅や姑のことなどをよく話題に乗せる。
けれどもオレリアは、話ができるほどルクレールのことを知らなかった。
彼と同じ邸で過ごしていても、彼との時間は朝と夕の食事のときだけ。そのときですら会話もなく、お茶会で話せるような話題は何一つなかったからだ。
夫とどこかへ出かけた。
子供とこんなことをした。
この前の結婚記念日に花束をプレゼントされた。
お茶会でみんなが嬉しそうに話すのを、オレリアはただ微笑んで聞いていることしかできなかった。
そういう時は決まってとてもみじめな気持ちになったけれど、だからと言って、ルクレールの悪口なんて――離縁を考えているなんて、一度たりとも言ったことはない。
心の中では、確かに別れた方がいいのかもしれないと考えていた。
けれども絶対に、誓って誰かに、それこそ実家の家族にだってそんなことは言っていない。
マルジョリーはそのような嘘をついて、いったい何がしたいのだろうか。
オレリアが叫んでいることなど露とも知らないマルジョリーは、微笑みを浮かべたまま続けた。
「コデルリエ伯爵には、ずっと心に残っている方がいるのでしょう? 奥様とうまくいかないのは仕方がないわ。奥様ではあなたの心の傷を癒せないのよ。……でもわたくしなら、きっとあなたを癒して差し上げられるわ」
マルジョリーはゆっくりと立ち上がる。
ルクレールの側によって、彼の手にそっと自分の華奢な手を重ねた。
「触らないで!」
オレリアは叫んだ。
ルクレールはマルジョリーに触れられても動かない。
どうして――と悲鳴を上げそうになった。
ルクレールは、マルジョリーのついた嘘を信じてしまったのだろうか。
だから怒っているのだろうか。
やっと……やっと夫婦としてやり直せるかもしれないと思っていたのに、ルクレールはマルジョリーの話を聞いてオレリアに失望してしまったのだろうか。
「――っ」
オレリアの目から涙があふれる。
旅行にも、デートにも連れて行ってくれるとルクレールは言ったのに――、ついさっきまで、すごくすごく幸せだったのに、全部が崩れ去ってしまったのかもしれない。
どうしてルクレールは動かないのだろう。
マルジョリーに触れられて、なぜ黙っているのだろうか。
「どうしてわたしの姿は誰にも見えないの……‼」
透明なんてもう嫌だ。
オレリアは大声で泣き叫んだ。
アビットソン子爵とはそれなりに仲がいいが、夫人のマルジョリーとは、社交場で挨拶をしたことがあるきりで、正直あまりよく知らない。
昔恋人に裏切られたせいで女性不信に陥っていたルクレールは、はっきりいって女にまるっきり興味を抱けなくなっていたので、そこそこ美人で名の通っているらしいマルジョリーのこともまったく印象に残っていなかった。
(美人だと言うが、オレリアの方が美人だな)
マルジョリーは目鼻立ちも整っているし、二十一という年齢の割には、もう少し年嵩の女性が持っていそうな色香を持っている。
だが、甘ったるい香りも、わざとらしい流し目も、気やすいボディタッチも、ルクレールにとっては不快でしかない。
彼女はなるほど、男性にモテてきたのだと思う。
義父がベルジェール公爵でもあるので、社交界でちやほやされてきたのだろう。
それが彼女を大いに勘違いさせたのかもしれないが、男はみな、彼女に好印象を抱くとは思わない方がいい。
ついついオレリアと比較しながらマルジョリーを眺めていたルクレールは、彼女が思わせぶりなことを言いはじめた途端にぎゅっと眉を寄せた。
遠回しに帰れと言っているのに居座り続けるマルジョリーのなんと図々しいことかと思っていたが、ここにきて、噂を知っていると言いだしたのだ。
ルクレールはイラっとしたが、ここで下手に反応して墓穴を掘るわけにはいかない。
不快に思いつつも黙っていると、マルジョリーは調子に乗ってさらに続けた。
「奥様と、うまくいっていないのでしょう?」
ねっとりと、絡みつくような甘えた声でマルジョリーがそう言った途端、ルクレールの頭の中でブチッと音がした。
「俺と妻との夫婦関係には何ら問題ないが?」
もちろんこれは真っ赤な嘘で、この二年ろくに見ようともしなかったルクレールが偉そうなことは言えないとはわかっているが、言わずにはいられなかった。
昨日から「離縁だ」だの「別居だ」だのと言われ続けて、この手の話題に対しての我慢がすでに擦り切れそうだったのだ。
(夫婦間の問題に、外野が口を挟むな!)
そう怒鳴りつけることができればどんなにいいだろう。
さすがにベルジェール公爵家の嫁で、友人アビットソン子爵の妻であるマルジョリー相手に、そのような態度には出られない。
ルクレールは苛立ちを紛らわすために踵をコツコツと揺らしたが、マルジョリーは鈍感なのか、はたまたわざとなのか、にこにこと微笑んで続けた。
「あら、そうかしら? だってわたくし、聞いたもの」
「噂なら――」
「噂ではございませんわ。奥様本人からです」
「は?」
「奥様から、結婚生活がうまくいっていないと……離縁を考えていると、聞いたことがございますわ」
ルクレールは息を呑んだ。
☆
「そんなこと言っていないわ‼」
オレリアは叫んだ。
思わず立ち上がったけれど、ルクレールにもマルジョリーにもオレリアの姿は見えないので、彼らは当然のことながら何も反応しない。
オレリアは、今日ほど透明になったのを歯がゆく感じたことはなかった。
「どうしてそんな嘘を言うの⁉ わたしは外で家庭の話をしたことはないわ!」
お茶会に集まる年若い夫人たちは、夫のことや、子供がいれば子供のこと、舅や姑のことなどをよく話題に乗せる。
けれどもオレリアは、話ができるほどルクレールのことを知らなかった。
彼と同じ邸で過ごしていても、彼との時間は朝と夕の食事のときだけ。そのときですら会話もなく、お茶会で話せるような話題は何一つなかったからだ。
夫とどこかへ出かけた。
子供とこんなことをした。
この前の結婚記念日に花束をプレゼントされた。
お茶会でみんなが嬉しそうに話すのを、オレリアはただ微笑んで聞いていることしかできなかった。
そういう時は決まってとてもみじめな気持ちになったけれど、だからと言って、ルクレールの悪口なんて――離縁を考えているなんて、一度たりとも言ったことはない。
心の中では、確かに別れた方がいいのかもしれないと考えていた。
けれども絶対に、誓って誰かに、それこそ実家の家族にだってそんなことは言っていない。
マルジョリーはそのような嘘をついて、いったい何がしたいのだろうか。
オレリアが叫んでいることなど露とも知らないマルジョリーは、微笑みを浮かべたまま続けた。
「コデルリエ伯爵には、ずっと心に残っている方がいるのでしょう? 奥様とうまくいかないのは仕方がないわ。奥様ではあなたの心の傷を癒せないのよ。……でもわたくしなら、きっとあなたを癒して差し上げられるわ」
マルジョリーはゆっくりと立ち上がる。
ルクレールの側によって、彼の手にそっと自分の華奢な手を重ねた。
「触らないで!」
オレリアは叫んだ。
ルクレールはマルジョリーに触れられても動かない。
どうして――と悲鳴を上げそうになった。
ルクレールは、マルジョリーのついた嘘を信じてしまったのだろうか。
だから怒っているのだろうか。
やっと……やっと夫婦としてやり直せるかもしれないと思っていたのに、ルクレールはマルジョリーの話を聞いてオレリアに失望してしまったのだろうか。
「――っ」
オレリアの目から涙があふれる。
旅行にも、デートにも連れて行ってくれるとルクレールは言ったのに――、ついさっきまで、すごくすごく幸せだったのに、全部が崩れ去ってしまったのかもしれない。
どうしてルクレールは動かないのだろう。
マルジョリーに触れられて、なぜ黙っているのだろうか。
「どうしてわたしの姿は誰にも見えないの……‼」
透明なんてもう嫌だ。
オレリアは大声で泣き叫んだ。
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