1 / 43
序
1
しおりを挟む
睡竜国は四方を海に囲まれた島国である。
半世紀前まで鎖国状態にあったためか、いまだ閉鎖的で、外部の人間がこの国を訪れるには、通常、船で小一時間程度の距離にある大国、紅国からの日に一度の定期船を使うしかないが、この定期船はほぼ貿易に使われいるのみで、人が行き来することはほとんどない。
そんな睡竜国を水辺線上眺めながら、一刻ほど波に揺られて疲れたのか、翆は船べりに張り付いて、大きなあくびを一つこぼした。
彼のその肌は、太陽の光が不似合いなほど真っ白で、癖のない漆黒の髪は滝のように背中に流れている。
すっきりとした輪郭の顔には、切れ長の目と高い鼻梁、ゆがみのない薄い唇が、当代最高の彫刻師の手ですら生み出せないほどの神がかり的な絶妙なバランスでおさまっていた。
そして、何より、光の角度によって金の光彩を放つ翡翠色の瞳が魅力的だ。
しかし、見る人の鼓動さえ止めかねないほどの翆の美貌は今、眉間に深くしわを刻んだしかめっつらだ。
彼は、親の仇のように青い海を睨んで言った。
「なにが、船旅も楽しいものだよ、だ」
不機嫌極まりない声でぼやき、後ろに視線を流せば、幼馴染の葉姫が肩をすくめた。
葉姫と呼ばれているが、彼はれっきとした男である。
本名は葉里というのだが、幼いころから女の子のような顔立ちで、大人になっても華奢な体躯も手伝ってか、誰もが女と間違える。
そのうち本人も捨て鉢になって、翆がふざけて呼び出した葉姫という名前を否定しなくなったせいか、こちらの名前が定着してしまった次第だ。
葉姫はふわふわと波打つ栗色の髪が風に揺れるのを手で押さえ、気難しい幼馴染に言った。
「面白いじゃないか。見ろよ、夕日が映えてキレイだ。さっきだってイルカが寄ってきて、お前も楽しそうにしてたじゃないか」
「知らんな。行けども行けども同じ景色ばっかり。上下に揺られるこの感じにも嫌気がさしてきた。どうしてこの私が、こんな思いをしてまで、あの睡竜国とやらに行かねばならん」
最後の方はわざとらしく大きな声で嫌味たらしく言う。
葉姫はげっと顔をしかめて、ちらりと船長を見やった。
翠たちが乗っているのは定期船ではなく、特別に睡竜国が用意した船で、船長はくだんの睡竜国の男なのだ。
いかめしい顔つきの坊主の男は、ぴくりと濃い眉を動かしただけであったが、葉姫ははらはらしながら翆に耳打ちした。
「おい、少しは考えてものを言えよ。船長を怒らして海にドボンなんて嫌だからな俺は!」
翆はふんっと鼻を鳴らした。
「海にドボンか、やれるものならやってみろ。あちらから招待しておいて、到着する前に海に放り出すとは、礼儀知らずも甚だしい。きっちり報復してやる」
「その前にサメの餌だ馬鹿」
「なるほど、それはそれで愉快かもな。生きるのに飽きてきたころだ。このあたりで潔く死出の旅路に出るのも一興か」
「その時はお前一人で行ってくれ」
「馬鹿を言うな、死ぬときは当然一緒だ。一人で死んだらあの世で退屈するだろう。無理やりにでも連れて行くぞ」
「勘弁してくれ……」
葉姫は翆の隣でぐったりと船べりに張り付いた。
最初は豆粒ほどだった睡竜国の影が、徐々に大きくなっていく。
「もう少しでつきそうだから、我慢しろよー」
葉姫は翆の肩をぽんぽんと叩いて、一か月前のことを思い出した。
半世紀前まで鎖国状態にあったためか、いまだ閉鎖的で、外部の人間がこの国を訪れるには、通常、船で小一時間程度の距離にある大国、紅国からの日に一度の定期船を使うしかないが、この定期船はほぼ貿易に使われいるのみで、人が行き来することはほとんどない。
そんな睡竜国を水辺線上眺めながら、一刻ほど波に揺られて疲れたのか、翆は船べりに張り付いて、大きなあくびを一つこぼした。
彼のその肌は、太陽の光が不似合いなほど真っ白で、癖のない漆黒の髪は滝のように背中に流れている。
すっきりとした輪郭の顔には、切れ長の目と高い鼻梁、ゆがみのない薄い唇が、当代最高の彫刻師の手ですら生み出せないほどの神がかり的な絶妙なバランスでおさまっていた。
そして、何より、光の角度によって金の光彩を放つ翡翠色の瞳が魅力的だ。
しかし、見る人の鼓動さえ止めかねないほどの翆の美貌は今、眉間に深くしわを刻んだしかめっつらだ。
彼は、親の仇のように青い海を睨んで言った。
「なにが、船旅も楽しいものだよ、だ」
不機嫌極まりない声でぼやき、後ろに視線を流せば、幼馴染の葉姫が肩をすくめた。
葉姫と呼ばれているが、彼はれっきとした男である。
本名は葉里というのだが、幼いころから女の子のような顔立ちで、大人になっても華奢な体躯も手伝ってか、誰もが女と間違える。
そのうち本人も捨て鉢になって、翆がふざけて呼び出した葉姫という名前を否定しなくなったせいか、こちらの名前が定着してしまった次第だ。
葉姫はふわふわと波打つ栗色の髪が風に揺れるのを手で押さえ、気難しい幼馴染に言った。
「面白いじゃないか。見ろよ、夕日が映えてキレイだ。さっきだってイルカが寄ってきて、お前も楽しそうにしてたじゃないか」
「知らんな。行けども行けども同じ景色ばっかり。上下に揺られるこの感じにも嫌気がさしてきた。どうしてこの私が、こんな思いをしてまで、あの睡竜国とやらに行かねばならん」
最後の方はわざとらしく大きな声で嫌味たらしく言う。
葉姫はげっと顔をしかめて、ちらりと船長を見やった。
翠たちが乗っているのは定期船ではなく、特別に睡竜国が用意した船で、船長はくだんの睡竜国の男なのだ。
いかめしい顔つきの坊主の男は、ぴくりと濃い眉を動かしただけであったが、葉姫ははらはらしながら翆に耳打ちした。
「おい、少しは考えてものを言えよ。船長を怒らして海にドボンなんて嫌だからな俺は!」
翆はふんっと鼻を鳴らした。
「海にドボンか、やれるものならやってみろ。あちらから招待しておいて、到着する前に海に放り出すとは、礼儀知らずも甚だしい。きっちり報復してやる」
「その前にサメの餌だ馬鹿」
「なるほど、それはそれで愉快かもな。生きるのに飽きてきたころだ。このあたりで潔く死出の旅路に出るのも一興か」
「その時はお前一人で行ってくれ」
「馬鹿を言うな、死ぬときは当然一緒だ。一人で死んだらあの世で退屈するだろう。無理やりにでも連れて行くぞ」
「勘弁してくれ……」
葉姫は翆の隣でぐったりと船べりに張り付いた。
最初は豆粒ほどだった睡竜国の影が、徐々に大きくなっていく。
「もう少しでつきそうだから、我慢しろよー」
葉姫は翆の肩をぽんぽんと叩いて、一か月前のことを思い出した。
0
お気に入りに追加
62
あなたにおすすめの小説
『特別』を願った僕の転生先は放置された第7皇子!?
mio
ファンタジー
特別になることを望む『平凡』な大学生・弥登陽斗はある日突然亡くなる。
神様に『特別』になりたい願いを叶えてやると言われ、生まれ変わった先は異世界の第7皇子!? しかも母親はなんだかさびれた離宮に追いやられているし、騎士団に入っている兄はなかなか会うことができない。それでも穏やかな日々。
そんな生活も母の死を境に変わっていく。なぜか絡んでくる異母兄弟をあしらいつつ、兄の元で剣に魔法に、いろいろと学んでいくことに。兄と兄の部下との新たな日常に、以前とはまた違った幸せを感じていた。
日常を壊し、強制的に終わらせたとある不幸が起こるまでは。
神様、一つ言わせてください。僕が言っていた特別はこういうことではないと思うんですけど!?
他サイトでも投稿しております。
義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。
克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位
11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位
11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位
11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位
【完結】どうして殺されたのですか?貴方達の愛はもう要りません
たろ
恋愛
処刑されたエリーゼ。
何もしていないのに冤罪で……
死んだと思ったら6歳に戻った。
さっき処刑されたばかりなので、悔しさも怖さも痛さも残ったまま巻き戻った。
絶対に許さない!
今更わたしに優しくしても遅い!
恨みしかない、父親と殿下!
絶対に復讐してやる!
★設定はかなりゆるめです
★あまりシリアスではありません
★よくある話を書いてみたかったんです!!
三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈
夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~
狭山ひびき@バカふり160万部突破
恋愛
もう耐えられない!
隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。
わたし、もう王妃やめる!
政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。
離婚できないなら人間をやめるわ!
王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。
これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ!
フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。
よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。
「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」
やめてえ!そんなところ撫でないで~!
夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――
英雄になった夫が妻子と帰還するそうです
白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。
愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。
好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。
今、目の前にいる人は誰なのだろう?
ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。
珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥)
ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。
男爵令嬢が『無能』だなんて一体誰か言ったのか。 〜誰も無視できない小国を作りましょう。〜
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「たかが一男爵家の分際で、一々口を挟むなよ?」
そんな言葉を皮切りに、王太子殿下から色々と言われました。
曰く、「我が家は王族の温情で、辛うじて貴族をやれている」のだとか。
当然の事を言っただけだと思いますが、どうやら『でしゃばるな』という事らしいです。
そうですか。
ならばそのような温情、賜らなくとも結構ですよ?
私達、『領』から『国』になりますね?
これは、そんな感じで始まった異世界領地改革……ならぬ、建国&急成長物語。
※現在、3日に一回更新です。
夫に相手にされない侯爵夫人ですが、記憶を失ったので人生やり直します。
MIRICO
恋愛
第二章【記憶を失った侯爵夫人ですが、夫と人生やり直します。】完結です。
記憶を失った私は侯爵夫人だった。しかし、旦那様とは不仲でほとんど話すこともなく、パーティに連れて行かれたのは結婚して数回ほど。それを聞いても何も思い出せないので、とりあえず記憶を失ったことは旦那様に内緒にしておいた。
旦那様は美形で凛とした顔の見目の良い方。けれどお城に泊まってばかりで、お屋敷にいてもほとんど顔を合わせない。いいんですよ、その間私は自由にできますから。
屋敷の生活は楽しく旦那様がいなくても何の問題もなかったけれど、ある日突然パーティに同伴することに。
旦那様が「わたし」をどう思っているのか、記憶を失った私にはどうでもいい。けれど、旦那様のお相手たちがやけに私に噛み付いてくる。
記憶がないのだから、私は旦那様のことはどうでもいいのよ?
それなのに、旦那様までもが私にかまってくる。旦那様は一体何がしたいのかしら…?
小説家になろう様に掲載済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる