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婚約していないのに婚約破棄された私
不名誉な噂と求婚 1
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ベルクール国は、大陸の南側にある小国である。
地図を見ればそら豆の豆のような丸っこい形をした国で、南を内海、北と東西を大国に囲まれており、外交面で言えば少々不利に見える国でもある。
だが、小国ながらその歴史は五百年と長く、歴史をたどれば、何度も周囲の国の小競り合いに巻き込まれながらも吸収されずに生き残って来た、そこそこ国力のある国だ。
というのも、この国には魔術師と呼ばれる魔法に長けた人間が多く、周辺諸国からは「魔術師の国」と一目置かれているのである。
何故、ベルクール国に魔術師が多く誕生するのか。
その理由は解明されていないが、この国が一人の大魔術師によって建国されたからではないのか、というのが有力な説である。
五百年前――
この大陸は、スタンピートという、魔物が大量発生する未曽有の大災害に襲われた。
その時に立ち上がったのが、ベルクール国の健国王である大魔術師サヴァラン陛下で、魔物の大量発生を引き起こした巨大な瘴気溜まりを聖女と共に浄化し、その上に国を作った。
それがベルクール国のはじまりだ。
ちなみに瘴気溜まりを浄化した聖女様は、サヴァラン陛下の妃となって、お二人の墓は、国が見渡せる小高い丘の上にある大聖堂の中にある。
そのお二人の力が、ベルクール国の国民たちに脈々と受け継がれ、ゆえに魔術の才がある人間が多いのではないか。現代の学者の多くはそう考えているようだ。
ともかく、そんな背景があるので、小国ながら一目置かれている我が国は、周辺諸国とも仲がいい。
そして国同士のつながりを強化するために、我が国から、そして各国から、有力な貴族を留学生として送り合っていた。
その国費留学生の一人が、先日帰国したばかりのフェヴァン・ルヴェシウス侯爵令息である。
十六歳から三年間、東の隣国ノディエラに留学していた彼は、現在十九歳。
わたしアドリーヌより一歳年上で、留学生に選ばれたことからわかるように非常に優秀。加えて背も高く顔立ちも整っている、神に愛された存在と言われても信じてしまうような完璧な男だ。
そんな彼が、わたしの目の前で肩を丸めて小さくなっていた。
フェヴァン様の隣には彼の父が、わたしの隣には彼の母が座っている。
ここは、ルヴェシウス侯爵家のサロンの一室である。
天井のシャンデリアは、魔道具の一種だ。
魔術師が多く存在するベルクール国では、魔道具の技術も最先端である。
周辺諸国では魔物が減り、なかなか魔石が手に入らなくなっている状況らしいが、どういうわけかベルクール国は魔物が多い。
騎士団が定期的に魔物討伐に向かっているし、冒険者ギルドという私営の団体が魔物に報奨金をかけているので、彼らも定期的に魔物を狩りに出ている。
ゆえに、魔石はいくらでも手に入り、それを使った魔道具を開発する機関を国が立ち上げているため、この国は大陸でも例を見ないほど魔道具が溢れているのである。
当然、我が国の特産品はその魔道具で、これが他国で高く売れる。外貨獲得にも何ら困らない。ベルクール国が小国ながらかなり裕福な国であるのはそのためだ。
そんなシャンデリアのきらきらとした光に照らされて、わたしは青ざめているフェヴァン様を見た。
彼は先ほどから一言も発していない。
隣の彼の父は頭が痛いとばかりにこめかみを押さえ、わたしの隣にいる彼の母は厳しい目をフェヴァン様に向けていた。
「フェヴァン、あなた、自分がいったい何をしたか理解しているの?」
しばらく沈黙が落ちていたサロンに、彼の母、ルヴェシウス侯爵夫人の冷ややかな声が響き渡った。
怒られていないわたしも、思わず「ひゃっ」と声を上げたくなるほど、その声には怒気がこもっている。
ファヴァン様は塩をかけたナメクジのように縮こまって、ちらりと顔を上げた。
「お、俺の勘違いのせいで、ご令嬢には、大変、申し訳ないことを……」
見ていて可哀想になるくらい蒼白な顔をしていたので、わたしはそっと息を吐き、まずは何故このような頓珍漢な現象が起こったのかを確認することにした。理由がわからなければ、わたしも同落とし前をつけていいのかもわからない。
「あの、先に理由をお聞かせ願い得ないでしょうか? わたしはこの通り……その、美人でも目立つわけでもありません。そんなわたしを、どうして婚約者様と間違えたのか……、というか、そもそも、婚約者と他人の顔を間違えることがあるのかどうかも謎なので、いきさつを教えてください」
わたしはオレンジ色に近い金髪に、暗い緑色の瞳をしている。
昔、幼馴染であり、今では姉の婚約者となったマリオットに「陰湿な魔女のような目」と言われてからは、ちょっとでも瞳が目立たないようにしようと分厚い度なし眼鏡をかけているし、自分でこういうのも何だが、とっても野暮ったい女だと思う。
壁際にいれば同化しそうなほど存在感がないわたしを、よくもまあ、あの大勢いる会場の中で見つけられたものだ。
すると、フェヴァン様は責めるような目を隣の父親に向けた後で、背筋を伸ばした。
「確かに、理由を秘密にしたままではよくないな。もちろん、今回の件については完全に俺に非があるが、弁解させてもらえれば、決して君に恥をかかせようとしてやったことではない」
まあそれはそうだろう。もしあんな頓珍漢な婚約破棄騒動が、わたしに恥をかかせたくてしでかしたことであるなら、わたしはこの男の頭を疑う。婚約破棄を宣言すると同時にとんでもないカミングアウトをして自分にブーメランとか、意味がわからない。何度も言うが、あり得ない。
「ええっとだな、元を正せんば、俺がノディエラ国に留学中に、勝手に婚約者を作られていたのが原因なんだが……」
「アドリエンヌ・カントルーブ伯爵令嬢、ですね」
「う、うん……」
アドリエンヌ・カントルーブ伯爵令嬢は、アドリーヌも何度か見かけたことがある。
アドリーヌと同じ年の十八歳で、カントルーブ伯爵家の長女である彼女は、薄茶色の髪にヘーゼル色の瞳をしたとても可愛らしい女性だ。
社交界を蝶のように飛び回り、虜にした男性の数は両手両足の指の数よりも多いと聞く。
そんな社交界の花と、社交界の壁の花を、よくもまあ取り違えたものだ。
「その、言い訳にしかならないが、俺はアドリエンヌ嬢の顔を知らない。だが、今日のパーティーに来ているらしい……というか、このパーティーで婚約を発表すると父に聞かされて……その」
「発表される前に慌てて婚約破棄を宣言しようとしたけど、顔がわからなくて、たまたまわたしの名前をどこかで耳にして、わたしと彼女を取り違えた、ですか?」
「その通りだ!」
それな、みたいに指を指されて、わたしはちょっとイラっとした。
……その通りだ、じゃないわよ! 何考えてんのよ!
それならせめて事前に顔を確認するなり何なりすればいいのに、慌てて婚約破棄をしようとしたあまりに他人と間違えるとか、どれだけ間抜けなのだ。
隣の侯爵は頭を抱えているし、侯爵夫人は額に青筋を浮かべている。
「いや、その……アドリーヌ・カンブリーヴ嬢には、非常に迷惑をかけたのは理解している。本当に申し訳ない……」
わたしの視線が痛かったのか、フェヴァン様はまた縮こまって頭を下げた。
「だ、だが、俺にも言い分はあるのであって……あ、もちろん、アドリーヌ嬢に対してではなく父に対してなので、君は完全なる被害者なのだが……」
「言い分とは?」
もうここまでくれば、全部教えてほしい。
おそらくだが、婚約者と間違えられて婚約破棄された挙句に男が好きだなんて聞いてもいないことをカミングアウトされた令嬢なんて、世界広しと言えどわたしくらいなものだろう。
それなら理由くらいは教えてくれてもいいと思う。
「う、うん」
フェヴァン様はコホンとひとつ咳ばらいをして、ちらりと父親を見てから口を開いた。
ルヴェシウス侯爵は息子を止めるつもりはないらしい。というかむしろ、彼の方がこのふざけた騒動の理由が知りたそうだ。
「まず、大前提だが、俺はアドリエンヌ嬢との婚約を承諾した覚えはない」
「……あちらは、お前とアドリエンヌ嬢が恋仲で結婚を約束しており、ついでに言えばお前が留学前に彼女に手を出したから責任を取れとまで言われたのだが?」
「誤解です! 第一、俺に女性経験はありません‼」
……まあ、男性が好きなら、女性に手を出したりしないわよね。うん。
わたしがうんうんと頷いていると、フェヴァン様はハッと顔を上げてぶんぶんと首を横に振った。
「そうだった! アドリーヌ嬢、誤解をされてはたまらないので今のうちに言っておくが、俺は男色家ではない! 女の子が好きだ!」
「はい⁉」
「えーっと、だから……順を追って話すとだな……」
それから、フェヴァン様は頭が痛くなるようなことを、とりとめもなくだらだらと説明してくれた。
要約すればこうである。
まず、フェヴァン様が留学中に親が勝手にアドリエンヌ・カントルーブ伯爵令嬢との婚約をまとめてしまった。
アドリエンヌ・カントルーブ伯爵令嬢の言い分では、フェヴァン様と恋仲で、すでにやることまでやっちゃった仲であり、だから責任をもってもらってもらわないと困る、というものだったという。
ルヴェシウス侯爵は最初、息子に確認してみないことには、と断りを述べたそうなのだが、カントルーブ伯爵から無責任ではないのかと責められ、そちらがその気なら出るところに出るぞと裁判をちらつかされて、騒ぎを大きくしたくなかった侯爵はひとまず婚約をまとめることにしたそうだ。
これが、半年前。
フェヴァン様に報せなかったのは、もしその話が本当ならば男として責任を取るのは当然のことであり、フェヴァン様に言い訳する資格はないと判断したからだと言うが……、わたしに言わせれば、それでも事実確認位すればいいのにと思わなくもない。まあ、親からすれば息子に「あの娘とやっちゃったの?」なんて聞きにくいだろうけど。
だが、侯爵としては、ひとまず婚約の書類は整えたものの、双方当事者を踏まえて話し合いの席を設けていないので、婚約発表はお互いを呼んで話をしてから、と考えていたそうだ。
ゆえに今日のパーティーに件の令嬢を招待し、この婚約に間違いはないかと改めて事実確認をする予定だったと言う。
けれども、フェヴァン様は今日のパーティーを「婚約発表の場」と盛大に勘違いをし、こうしてはおれないと対して計画も練る間もなく当たって砕けろ作戦で婚約破棄を宣言した、というわけだ。
ちなみにあのカミングアウトは、いくら相手が身に覚えのないことを言って知らない間に婚約を結んだ相手であっても、公然の場で令嬢ばっかりに非難が向くのは避けねばならないと考えたらしい。
その結果、責任は自分が負うべきだと、「男が好きだ」などという発言をしたのだとか。
……うん。あほか‼
いくら慌てていたとはいえ、もう少しましな計画は立てられなかったのだろうか。
フェヴァン様は頭が言いそうだが、もしかして、追い詰められると馬鹿になる典型的なタイプなのではないだろうか。そんな気がする。
まあ、いくら作戦が頓珍漢だろうとも、非難が自分に向くようにしよう、と考えたあたりは少し……ほんのすこーしだけ評価してあげなくもない。
滅茶苦茶であるのは間違いないが、身に覚えのない責任を追及されての婚約だったのに、相手のことを慮ることができたのは、彼が優しいからだろう。
全部が全部肯定的には判断できないけれど、一応理由は理解した。
巻き込まれたわたしは、たまったものじゃないけどね‼
「アドリーヌ・カンブリーヴ嬢には、愚息が本当に申し訳ないことをしたと思っている」
フェヴァンの説明を聞き終えて、ルヴェシウス侯爵が頭を抱えながらも謝罪を述べた。
わたしの隣に座っている奥方も「本当にごめんなさいね」と申し訳なさそうな顔をしている。
「今日のお詫びは必ず。だが、あの場をこのまま放置しておくわけにもいかないので、今日のところは我が家のものに邸まで送らせよう。話し合いは後日ということにしていただけないだろうか?」
まあ、侯爵としても、序盤から爆弾を落っことしたも同然のパーティー会場を、主催者としてこのまま放置するわけにはいかないだろう。
わたしもさすがにあの場に戻る勇気はないので、帰らせてもらえるならそれに越したことはない。
「じゃあ俺が送って――」
「お前は私と一緒に戻るんだ‼」
これ幸いと逃げようとしたフェヴァン様は侯爵に頭を抑えつけられてしょんぼりしている。
わたしは、ゆっくりと天井に向かってため息を吐いた。
……これ、明日からなんて噂されるか……頭が痛いわぁ。
暇を持て余している社交界の貴族たちは、面白おかしい噂話が大好きだ。
わたしは現実逃避したい気分になりながら、ルヴェシウス侯爵夫人に連れられて、侯爵家の玄関へ向かったのだった。
地図を見ればそら豆の豆のような丸っこい形をした国で、南を内海、北と東西を大国に囲まれており、外交面で言えば少々不利に見える国でもある。
だが、小国ながらその歴史は五百年と長く、歴史をたどれば、何度も周囲の国の小競り合いに巻き込まれながらも吸収されずに生き残って来た、そこそこ国力のある国だ。
というのも、この国には魔術師と呼ばれる魔法に長けた人間が多く、周辺諸国からは「魔術師の国」と一目置かれているのである。
何故、ベルクール国に魔術師が多く誕生するのか。
その理由は解明されていないが、この国が一人の大魔術師によって建国されたからではないのか、というのが有力な説である。
五百年前――
この大陸は、スタンピートという、魔物が大量発生する未曽有の大災害に襲われた。
その時に立ち上がったのが、ベルクール国の健国王である大魔術師サヴァラン陛下で、魔物の大量発生を引き起こした巨大な瘴気溜まりを聖女と共に浄化し、その上に国を作った。
それがベルクール国のはじまりだ。
ちなみに瘴気溜まりを浄化した聖女様は、サヴァラン陛下の妃となって、お二人の墓は、国が見渡せる小高い丘の上にある大聖堂の中にある。
そのお二人の力が、ベルクール国の国民たちに脈々と受け継がれ、ゆえに魔術の才がある人間が多いのではないか。現代の学者の多くはそう考えているようだ。
ともかく、そんな背景があるので、小国ながら一目置かれている我が国は、周辺諸国とも仲がいい。
そして国同士のつながりを強化するために、我が国から、そして各国から、有力な貴族を留学生として送り合っていた。
その国費留学生の一人が、先日帰国したばかりのフェヴァン・ルヴェシウス侯爵令息である。
十六歳から三年間、東の隣国ノディエラに留学していた彼は、現在十九歳。
わたしアドリーヌより一歳年上で、留学生に選ばれたことからわかるように非常に優秀。加えて背も高く顔立ちも整っている、神に愛された存在と言われても信じてしまうような完璧な男だ。
そんな彼が、わたしの目の前で肩を丸めて小さくなっていた。
フェヴァン様の隣には彼の父が、わたしの隣には彼の母が座っている。
ここは、ルヴェシウス侯爵家のサロンの一室である。
天井のシャンデリアは、魔道具の一種だ。
魔術師が多く存在するベルクール国では、魔道具の技術も最先端である。
周辺諸国では魔物が減り、なかなか魔石が手に入らなくなっている状況らしいが、どういうわけかベルクール国は魔物が多い。
騎士団が定期的に魔物討伐に向かっているし、冒険者ギルドという私営の団体が魔物に報奨金をかけているので、彼らも定期的に魔物を狩りに出ている。
ゆえに、魔石はいくらでも手に入り、それを使った魔道具を開発する機関を国が立ち上げているため、この国は大陸でも例を見ないほど魔道具が溢れているのである。
当然、我が国の特産品はその魔道具で、これが他国で高く売れる。外貨獲得にも何ら困らない。ベルクール国が小国ながらかなり裕福な国であるのはそのためだ。
そんなシャンデリアのきらきらとした光に照らされて、わたしは青ざめているフェヴァン様を見た。
彼は先ほどから一言も発していない。
隣の彼の父は頭が痛いとばかりにこめかみを押さえ、わたしの隣にいる彼の母は厳しい目をフェヴァン様に向けていた。
「フェヴァン、あなた、自分がいったい何をしたか理解しているの?」
しばらく沈黙が落ちていたサロンに、彼の母、ルヴェシウス侯爵夫人の冷ややかな声が響き渡った。
怒られていないわたしも、思わず「ひゃっ」と声を上げたくなるほど、その声には怒気がこもっている。
ファヴァン様は塩をかけたナメクジのように縮こまって、ちらりと顔を上げた。
「お、俺の勘違いのせいで、ご令嬢には、大変、申し訳ないことを……」
見ていて可哀想になるくらい蒼白な顔をしていたので、わたしはそっと息を吐き、まずは何故このような頓珍漢な現象が起こったのかを確認することにした。理由がわからなければ、わたしも同落とし前をつけていいのかもわからない。
「あの、先に理由をお聞かせ願い得ないでしょうか? わたしはこの通り……その、美人でも目立つわけでもありません。そんなわたしを、どうして婚約者様と間違えたのか……、というか、そもそも、婚約者と他人の顔を間違えることがあるのかどうかも謎なので、いきさつを教えてください」
わたしはオレンジ色に近い金髪に、暗い緑色の瞳をしている。
昔、幼馴染であり、今では姉の婚約者となったマリオットに「陰湿な魔女のような目」と言われてからは、ちょっとでも瞳が目立たないようにしようと分厚い度なし眼鏡をかけているし、自分でこういうのも何だが、とっても野暮ったい女だと思う。
壁際にいれば同化しそうなほど存在感がないわたしを、よくもまあ、あの大勢いる会場の中で見つけられたものだ。
すると、フェヴァン様は責めるような目を隣の父親に向けた後で、背筋を伸ばした。
「確かに、理由を秘密にしたままではよくないな。もちろん、今回の件については完全に俺に非があるが、弁解させてもらえれば、決して君に恥をかかせようとしてやったことではない」
まあそれはそうだろう。もしあんな頓珍漢な婚約破棄騒動が、わたしに恥をかかせたくてしでかしたことであるなら、わたしはこの男の頭を疑う。婚約破棄を宣言すると同時にとんでもないカミングアウトをして自分にブーメランとか、意味がわからない。何度も言うが、あり得ない。
「ええっとだな、元を正せんば、俺がノディエラ国に留学中に、勝手に婚約者を作られていたのが原因なんだが……」
「アドリエンヌ・カントルーブ伯爵令嬢、ですね」
「う、うん……」
アドリエンヌ・カントルーブ伯爵令嬢は、アドリーヌも何度か見かけたことがある。
アドリーヌと同じ年の十八歳で、カントルーブ伯爵家の長女である彼女は、薄茶色の髪にヘーゼル色の瞳をしたとても可愛らしい女性だ。
社交界を蝶のように飛び回り、虜にした男性の数は両手両足の指の数よりも多いと聞く。
そんな社交界の花と、社交界の壁の花を、よくもまあ取り違えたものだ。
「その、言い訳にしかならないが、俺はアドリエンヌ嬢の顔を知らない。だが、今日のパーティーに来ているらしい……というか、このパーティーで婚約を発表すると父に聞かされて……その」
「発表される前に慌てて婚約破棄を宣言しようとしたけど、顔がわからなくて、たまたまわたしの名前をどこかで耳にして、わたしと彼女を取り違えた、ですか?」
「その通りだ!」
それな、みたいに指を指されて、わたしはちょっとイラっとした。
……その通りだ、じゃないわよ! 何考えてんのよ!
それならせめて事前に顔を確認するなり何なりすればいいのに、慌てて婚約破棄をしようとしたあまりに他人と間違えるとか、どれだけ間抜けなのだ。
隣の侯爵は頭を抱えているし、侯爵夫人は額に青筋を浮かべている。
「いや、その……アドリーヌ・カンブリーヴ嬢には、非常に迷惑をかけたのは理解している。本当に申し訳ない……」
わたしの視線が痛かったのか、フェヴァン様はまた縮こまって頭を下げた。
「だ、だが、俺にも言い分はあるのであって……あ、もちろん、アドリーヌ嬢に対してではなく父に対してなので、君は完全なる被害者なのだが……」
「言い分とは?」
もうここまでくれば、全部教えてほしい。
おそらくだが、婚約者と間違えられて婚約破棄された挙句に男が好きだなんて聞いてもいないことをカミングアウトされた令嬢なんて、世界広しと言えどわたしくらいなものだろう。
それなら理由くらいは教えてくれてもいいと思う。
「う、うん」
フェヴァン様はコホンとひとつ咳ばらいをして、ちらりと父親を見てから口を開いた。
ルヴェシウス侯爵は息子を止めるつもりはないらしい。というかむしろ、彼の方がこのふざけた騒動の理由が知りたそうだ。
「まず、大前提だが、俺はアドリエンヌ嬢との婚約を承諾した覚えはない」
「……あちらは、お前とアドリエンヌ嬢が恋仲で結婚を約束しており、ついでに言えばお前が留学前に彼女に手を出したから責任を取れとまで言われたのだが?」
「誤解です! 第一、俺に女性経験はありません‼」
……まあ、男性が好きなら、女性に手を出したりしないわよね。うん。
わたしがうんうんと頷いていると、フェヴァン様はハッと顔を上げてぶんぶんと首を横に振った。
「そうだった! アドリーヌ嬢、誤解をされてはたまらないので今のうちに言っておくが、俺は男色家ではない! 女の子が好きだ!」
「はい⁉」
「えーっと、だから……順を追って話すとだな……」
それから、フェヴァン様は頭が痛くなるようなことを、とりとめもなくだらだらと説明してくれた。
要約すればこうである。
まず、フェヴァン様が留学中に親が勝手にアドリエンヌ・カントルーブ伯爵令嬢との婚約をまとめてしまった。
アドリエンヌ・カントルーブ伯爵令嬢の言い分では、フェヴァン様と恋仲で、すでにやることまでやっちゃった仲であり、だから責任をもってもらってもらわないと困る、というものだったという。
ルヴェシウス侯爵は最初、息子に確認してみないことには、と断りを述べたそうなのだが、カントルーブ伯爵から無責任ではないのかと責められ、そちらがその気なら出るところに出るぞと裁判をちらつかされて、騒ぎを大きくしたくなかった侯爵はひとまず婚約をまとめることにしたそうだ。
これが、半年前。
フェヴァン様に報せなかったのは、もしその話が本当ならば男として責任を取るのは当然のことであり、フェヴァン様に言い訳する資格はないと判断したからだと言うが……、わたしに言わせれば、それでも事実確認位すればいいのにと思わなくもない。まあ、親からすれば息子に「あの娘とやっちゃったの?」なんて聞きにくいだろうけど。
だが、侯爵としては、ひとまず婚約の書類は整えたものの、双方当事者を踏まえて話し合いの席を設けていないので、婚約発表はお互いを呼んで話をしてから、と考えていたそうだ。
ゆえに今日のパーティーに件の令嬢を招待し、この婚約に間違いはないかと改めて事実確認をする予定だったと言う。
けれども、フェヴァン様は今日のパーティーを「婚約発表の場」と盛大に勘違いをし、こうしてはおれないと対して計画も練る間もなく当たって砕けろ作戦で婚約破棄を宣言した、というわけだ。
ちなみにあのカミングアウトは、いくら相手が身に覚えのないことを言って知らない間に婚約を結んだ相手であっても、公然の場で令嬢ばっかりに非難が向くのは避けねばならないと考えたらしい。
その結果、責任は自分が負うべきだと、「男が好きだ」などという発言をしたのだとか。
……うん。あほか‼
いくら慌てていたとはいえ、もう少しましな計画は立てられなかったのだろうか。
フェヴァン様は頭が言いそうだが、もしかして、追い詰められると馬鹿になる典型的なタイプなのではないだろうか。そんな気がする。
まあ、いくら作戦が頓珍漢だろうとも、非難が自分に向くようにしよう、と考えたあたりは少し……ほんのすこーしだけ評価してあげなくもない。
滅茶苦茶であるのは間違いないが、身に覚えのない責任を追及されての婚約だったのに、相手のことを慮ることができたのは、彼が優しいからだろう。
全部が全部肯定的には判断できないけれど、一応理由は理解した。
巻き込まれたわたしは、たまったものじゃないけどね‼
「アドリーヌ・カンブリーヴ嬢には、愚息が本当に申し訳ないことをしたと思っている」
フェヴァンの説明を聞き終えて、ルヴェシウス侯爵が頭を抱えながらも謝罪を述べた。
わたしの隣に座っている奥方も「本当にごめんなさいね」と申し訳なさそうな顔をしている。
「今日のお詫びは必ず。だが、あの場をこのまま放置しておくわけにもいかないので、今日のところは我が家のものに邸まで送らせよう。話し合いは後日ということにしていただけないだろうか?」
まあ、侯爵としても、序盤から爆弾を落っことしたも同然のパーティー会場を、主催者としてこのまま放置するわけにはいかないだろう。
わたしもさすがにあの場に戻る勇気はないので、帰らせてもらえるならそれに越したことはない。
「じゃあ俺が送って――」
「お前は私と一緒に戻るんだ‼」
これ幸いと逃げようとしたフェヴァン様は侯爵に頭を抑えつけられてしょんぼりしている。
わたしは、ゆっくりと天井に向かってため息を吐いた。
……これ、明日からなんて噂されるか……頭が痛いわぁ。
暇を持て余している社交界の貴族たちは、面白おかしい噂話が大好きだ。
わたしは現実逃避したい気分になりながら、ルヴェシウス侯爵夫人に連れられて、侯爵家の玄関へ向かったのだった。
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