セカンドライフは魔皇の花嫁

仁蕾

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第8章

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 夜闇の双眸、艶めかしい黄金こがねの御髪。
 『美しい』と言う言葉はとてもありきたりで、とても陳腐で。
 漆黒の髪、深紅の双眸。
 『愛らしい』と言う言葉はとてもありきたりで、とても凡庸で。
 遠い遠い昔の邂逅。それでも、風化する事の無い記憶は、妾の宝物。

   ***

 ロイウェンの執務室を辞した康泰は、ミオンと別れ、黒獅子の姿を模したリィを供に王城の廊下を歩く。
 目的地はこの城で一番の高所。とりあえずの様相で屋上を目指していた。
 リィが導くままに上へ上へと向かう。階層を上がる毎に人の気配は無くなり、部屋の数も少なくなっていく。最後には、ガラス窓と廊下があるだけの場所に辿り着いた。
 柔らかな風が頬を撫で、長い廊下の奥に小さな光が見える。
 屋上へと続くと思われる階段の前には、鉄柵の扉が取り付けられており、魔皇直属の近衛隊隊員がそこを守護していた。
「お勤めご苦労さん、レイレン」
 瞼を閉じ、人形のように微動だにしなかった冷ややかな美貌が、瞼を押し上げて声の主を捉える。途端、ほろりと解けて美しい笑みを湛えた。
 シュノアが率いる近衛隊の副隊長、レイレン。真白い髪の毛先は取りの尾羽を模っており、背には一対の翼を持つ無性の怪鳥族ハルピュイアである。
 康泰を見つけた瞬間、白い睫毛が縁取る青色の双眸がきらきらと煌めき出した。
「こーた、さま」
 拙い言葉は、彼の特徴のひとつだ。『声』に魔力が宿る怪鳥族は、鳴き声と唄で意思疎通をはかり、敵を攻撃し、獲物を誘惑する。怪鳥族の舌と声帯の構造では、『言葉』を操る事が難しい。
 それでも『言葉』を発するのは、大切な存在たちと『会話』をしたいからである。レイレンにとって、康泰も大切な存在のひとりなのだ。
「ここ、通ってもいい?」
 問いに対して、レイレンの眦は困ったように垂れ下がる。
「とおす、ダメ。皇さま、許可、ないはだめ」
 皇の許可が無ければ通せないと首を横に振れば、羽髪がふわふわと踊った。
 困ったな…と康泰は苦笑を浮かべる。
 どうしても通らなければならないという訳では無いが、可能な限り高い場所に行く必要があった。
「どうしても?」
「だめ。この先、処刑場。悪い気、籠ってる」
 屋上は処刑場であるとレイレンは言う。
「処刑場?…それは想定外だな…」
 さすがに驚き、まばたきを繰り返した。
 凍土地区に生きる者や冥幻魔界ジュノ・ガルディスへの侵入者、『魔皇』と縁を繋いだ『王妃』を処刑する場所がこの城の最上階にある。血と怨恨に穢れ、自衛能力が無ければ『呪い』を受ける事もある場所だ。
 レイレンは康泰が呪いを受けるとは微塵も思っていない。だが、穢れに触れてしまう事は避けられない。
「なぜ?」
 困惑を滲ませるレイレンの問いに、康泰は人差し指を立てて口元に添えると口角を吊り上げた。
「ひみつ」
 弧を描いた双眸に、少しだけ背筋が寒くなる。
 近衛隊副隊長の任に就いて、数十年。幼い頃から戦場に足を踏み入れて、百余年。相対した者の力量を読む事は得意だ。ともすれば隊長であるシュノアよりも。だが、目の前の青年は、未知。表面的なものを感じ取れても、その奥に潜む『何か』が寒気を呼び起こす。ただ、シュノアよりも、宰相であるミオンよりも強い事だけはわかる。『魔皇』に類似する恐怖と畏れに、レイレンは震える息を吐き出した。
 登録されている魔力でしか解錠できない特殊な錠前を外し、格子の前から離れて跪く。
「全責任は、わたくしに…」
「まさか。自分の責任は、自分がとるさ」
 ―キィ…
 小さな悲鳴を上げて、格子が開かれた。途端、階段の上から重く湿り気を帯びた風が重い音を立てて吹き込んだ。同時に背後のレイレンの殺気が高まり、これは良くないものなのだと康泰は判断した。
「邪魔は許さん」
 ため息と共に断じた瞬間、バキンッと水晶石が床から突き出し、重い何かがぶつかる音が響いた。ドッ、ドンッと不規則に聞こえる鈍い音は、扉を強く叩いているかのような音。
 しかし、その音を鳴らす者は姿が見えない。
「しばらくはうるさいかもしれんが、害は無い。…いや、うるさいだけでも、十分な実害だな…」
 ぼやいた康泰の指先がすぐ傍の壁を叩いた。それだけで、響いていた音が止んだ。
「では、行って来る」
 何でも無いとばかりにひらりと手を振り、康泰は階段を上って行く。
 軽快な足取りで遠退いて行く背を見る事も出来ず、レイレンは跪いた状態で床を見つめながら深く息を吐き出した。その顔色は蒼く、薄っすらと脂汗を滲ませる。
「…こわいひと…」
 吹いた風は深い怨嗟の呪い風。見えぬ壁を叩いたのは悪霊悪鬼、穢れた魔力の残滓だ。
「…こわいひと…」
 昂った気持ちを落ち着ける為に、もう一度息を吐き出した。
 立ち上がり、康泰が創り出した水晶石に目を向ける。
「こおり、違う…」
 魔皇の魔力を使役したのなら、それは『氷鏡』に準ずるもの。しかし、そこに在るのは氷では無い。
 果たしてそれが『氷鏡』の別の側面なのか、康泰自身の秘したる魔力であるのか、レイレンには分からなかった。

   ***

 城内の一室。部屋の主であるミオンは、奇妙な緊張感にそっと息を吐き出した。
「そうですか…メリディア様が…」
 静かに零した執事服に身を包む男―バーズ・クァントは、丁寧な手つきでティーカップに紅茶を注いでミオンの前に置いた。
「…もっと、狼狽えると思っていました」
 主人が永劫消えぬ罪を負い、皇の手によって捕らえられたのだと伝えれば、予想に反してバーズは小さく微笑んだだけだった。優秀な執事と言えど、動揺しても仕方が無いだろうとミオンは思っていたのだが。
 ミオンの僅かな困惑を察したのか、バーズは笑みに苦いものを少しばかり混ぜ込んだ。
「掌中の珠に手を出してしまいましたからね。いずれはと思っておりました」
 ただ、予期していたよりも、少しだけ早かったけれども。
 微笑めども、深い寂しさを隠しきる事が出来ていない。白い手袋で包まれた右手が、自身の胸の中心に触れる。
「皆様に匿っていただいて幾夜過ぎた頃、私とメリディア様を繋ぐ『主従の絲』が完全に切れました。ただ、切れたと言うよりも、引き千切られたような感覚で、恐らくメリディア様の最後のご意思だったのでしょう。私を巻き込まぬように、と…」
 『主従の絲』が切れたのは、何か特別な事が起きた訳でもない普通の夜だった。疎ましくて見限ったのではないとだけは分かった、
「要らぬ子、と捨てられた訳で無い事は理解しているのですが…やはり、寂しいものですね…」
 ミオンには従僕魔はいない。ましてや、自身が従僕魔である筈も無いために、バーズの気持ちに共感する事は一生涯無いだろう。それでも、その寂寞を、孤独感を思い描く事は出来る。
 バーズの言う通り、少女の最後の意思だったのだろう。
 何者かによって少しずつ見えなくなって行く『己』の末路を悟り、『己』が完全に隠されてしまう直前に絲を裂いたのだと。
 魔の手が『我が子』に届かぬように。罪を『我が子』に負わせぬように。
主人からの愛情の証、なのでしょうね…)
 それにしても。
「あなたの方が彼女よりも『格』が上でしょうに、酔狂な方ですね」
 温かな紅茶をひと口飲み、ほうと息を吐き出した。
 ミオンの言葉に、バーズは一瞬だけ驚きの表情を浮かべたが、それはすぐに元の柔らかな笑みへと戻る。
 ついと視線を逸らされ、手作りのクッキーが飾り付けられた皿が置かれた。
「…酔狂だろうと、私にはあの方だけだったのです」
 メリディア・ファラス=ジュエラはバーズ・クァントの生涯を捧げるに値する相手だったのだ。ミオンにとってのロイウェンであるように。
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