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第7章
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ひとかけらの雪の結晶を灯りの代わりに、ロイウェンは足を進める。術式を組まない単純な魔力による行灯では、足元もまともに照らしは出来ないが、それでも迷いなく螺旋階段を下りて行く。導は目的地の魔力の塊。
薄氷で創られた階段。ロイウェンの前後三段分が形を成して、通り過ぎれば儚い音を立てて散っていく。右も左も手すりなどは無く、少しでもバランスを崩せば底の見えぬ奈落に真っ逆さまだ。
一歩進むごとに、空気は冷たく重く圧し掛かる。
階段を降り始めてどれほど経つか。
ぼんやりとした灯りの先に現れた、純白の扉。『魔皇』の魔力で創られた、氷雪の扉である。
少しの間その扉を見上げていたが、ため息と共に足を踏み出した。ほぼ同時に扉は重い音を立てて勝手に開かれた。
「何が起こっている」
僅かに険しさを含むロイウェンの声が、広い室内に広がった。
高い天井、白い壁、地下の闇の中に存在する部屋とは思えぬ明るさ。見えぬ天井から垂れる幾重ものレース布を払い除け、ロイウェンは部屋の奥へと向かう。
『ちょっと、数百年振りの開口一番がそれって、いかがなものかと思いますよー?』
ゆったりとした青年の声が返って来た。
白い部屋の一番奥まった場所は、毛足の長い絨毯が敷かれ、大小さまざまなクッションが転がる。一番大きなクッションに横臥するのは、康泰の年齢とほぼ変わらぬ青年。
白い髪、白い肌、白い服に身を包み、その双眸だけが青が混じる黒をしている。
「長居する気は無いからな」
『ひっどいなー…ったく、ホッシーもこんな奴のどこが良いんだか…』
のそのそと体を起こしながら宣う青年を気にした様子も無く、ロイウェンは白い絨毯の上に黒衣を広げた。
「覗き見はしていたのだろう」
『監視って言って貰えますー?ま、そりゃーね、歴代『魔皇』から賜っている大事なお仕事ですからー。自由に出歩ける立場でもないですし?』
時間だけはある。悠久とも言える長い永い時間が。
「人魚族がヒト型の半身を得るのは、禁術もしくは秘術に類する術式によるものだろう」
『ご明察。誰でもが組めるものでは無いけれど、誰もが使えない代物ではない。只、『魔族』が使用する場合は、非常に大量の魔力を使う。かつ、使用する魔力は濃密でなければ、術者自身に術式が返る』
クッションの上に胡坐を掻き、その膝に頬杖をついた。白い髪がはらりと肩を滑り落ちる。
「此度の件、どう思う?『氷鏡の御子』殿」
青年の表情が歪む。
『それ、やめて貰えませんかねー?』
「貴殿の聖名は鎖されて久しく。容易に口にすれば、どのような報いが齎されるか分からんからな」
『だから、名の口上を許諾しているじゃないですかー!ほら、呼んでみましょ?『ミゼル・ノーリンティア・ラフィーニャ』って!』
「早急に見解を述べろ、『氷鏡の御子』殿。此処は我がツガイにも秘している場所故、私の気配を追えんようにしているのだ」
言外に、康泰に心配をさせたくないから早くしろと告げれば、青年はその表情を盛大に歪めて歯を剥いた。
『ホッシーが心配なんかするもんかい!まったく…とりあえず、僕の意見としては、今回の相手は冥幻魔界にとってはちょっと都合が悪いかと』
「ふむ…」
『ご存じの通り、ここ数百年ほどで他次元からの侵攻が増えています。これだけ生命力に溢れた世界は珍しいですからね。今までで一番侵攻して来ているのは、天界ですが…今回の人魚族が絡んでいる件は、どうも方向性が違うように思います』
青年の右手か眼前の宙を撫でれば、四つの映像が浮かび上がる。
ひとつはミオンと交戦する人魚族のリンザの姿。報告通り、ヒト型の下半身と左腕。その左腕は変幻自在のようで、下半身とはまた別の種族の部位が接合されているのだろうと察する。
ひとつは同じ戦闘区域の別位置の映像だろう。いくつかの人影が見えるが、その姿は不鮮明だ。
ひとつは康泰の姿が映っている。背景がロイウェンの見覚えがある執務室である為、今現在の姿を映しているようだ。
最後のひとつは城の外を移しているようだった。上空に走るノイズに、ロイウェンの表情が僅かに歪んだ。
「歪みが増しているな…」
『そのようで。あなたの魔力の強さのお陰で持っているようなものです。僕が手を出す訳にも行きませんし…』
「貴殿の存在は秘匿すべきだからな…」
ため息交じりの言葉に。青年は神妙な顔を作ってうんうんと頷いてみる。
青年の存在は、冥幻魔界にとっての最重要機密の一つと言っても過言では無い。そして、その身に宿す唯一無二の魔力は『魔皇』の魔力である『氷鏡』に匹敵する強大なものである。おいそれと表に出て、悪用されても困る。
『さっさとホッシーを娶るべきなんですよ』
呆れたように青年はぼやく。
『一番の懸念点だったメリディア・ファラスは捕えられた。まあ、きな臭い状況ではありますが、どう言った理由であれ『魔皇』に刃を向けた時点で反逆者です。『魔皇の祝福』も受けた』
皇に襲い掛かった事に関しては、理由如何によっては情状酌量の余地ありとして、保有魔力に対して何かしらの処置を施し、謹慎を言い渡されるだけで終わっただろう。
しかし、今回は『祝福』を贈られた。どのような理由があったとしても、今後、王妃として生きる事は不可能だ。処刑されるか、虜囚として幽閉されるかの二者択一。
しかし、青年の言葉はロイウェンの小さな笑みで一蹴され、話題にされる事無く立ち消える。
「侵攻者とメリディアを傀儡にしていた者を調べられるか?」
問いに返ったのは沈黙。それも長くは続かなく、青年の深いため息が終わりを告げる。
『時間は必要ですけど出来なくもないです。が、御存じの通り僕が出来る範囲はそこまで広くは無い。冥幻魔界での事ならある程度の痕跡は追えますが、あなたの結界外の事に関しては無理です』
「承知している」
『それであるなら結構。とりあえず、冥幻魔界の住民では無い事は確かですが、人魚族の接合部維は冥幻魔界のもの』
リンザの映像を流す映像に触れれば、他の映像は霧散し、代わりにふたつの補助画像が現れる。
ひとつ目はリンザの左腕を拡大し、もうひとつは下半身を拡大した画像を映す。
『腕は『水沫』を基にして『地祇』で形を整えているようです。ゆえに、変幻自在。最初は『暗影』を疑いましたが、アレは影法師一族にしか従いませんからね』
「複合魔力か…よく適応したな…」
『その辺はもう少し詳しく調べないといけないでしょうね。下半身も似たようなものかと。こちらは、本物の人間の体を基に『地祇』で補強しているようです』
しかし。
『接合に使用されている『絲』は、冥幻魔界のものでは無いみたいですね。人間界の気配を強く感じますが、僅かに『九泉』と『天恵』の気配もあります。いやしかし、これは世界を股に掛けた壮大な話になってきますねー』
面倒である事を隠しもしない声音であるものの、青年のその眼差しは真剣そのもので、両手は忙しなく動いて新しい映像を創り出しては指先で何かしらの操作をして消して行く。
「取り急ぎ、それだけ判れば重畳。すまんが、引き続き調べてくれ」
『了解です。何か進展があれば、夢渡りでもしてご連絡しますよ』
にやにやと笑う青年に対し、ロイウェンは僅かに肩を竦めて見せ音も無く立ち上がると扉に向かって足を踏み出した。
ロイウェンが部屋を出て行けば、確かに存在していたはずの扉は消え去り、白い壁だけがそこに在った。
『やれやれ…僕の庭で遊ぼうだなんて、無謀と言うか、果敢と言うか…じゃあ、まずは…』
パチン。
指が鳴らされた瞬間、部屋を埋め尽くさんばかりの映像が不規則に並んで姿を現した。
風天地区、樹陸地区、炎熱地区、水閣地区、そして凍土地区。全ての階層の至る場所の映像が写されている。
『鬼ごっこでも、してみようか』
―それとも、隠れ鬼かな?
『氷鏡の御子』ミゼル・ノーリンティア・ラフィーニャは美しく笑った。
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