セカンドライフは魔皇の花嫁

仁蕾

文字の大きさ
上 下
76 / 97
第7章

しおりを挟む

 モニスは自身の唇の内側に歯を立てる。加減が上手く出来ずに深く食い込み、血の味が広がった。しかし、その痛みが自我を引き留める。
「…今にも、噛み付いてきそうな表情かおじゃの。天使族が、紛い物の魔族に心を砕くか」
 緩く握る手を口元に添えてくふくふと笑う冰王の言葉は、挑発であり、事実である。自分は『天使族』で、天使族である自分が案じているのは『人間の魂を基にした魔族』だ。
「紛い物、ですか…。確かに、彼は生まれながらの魔族ではないけれど、人の身輪廻を捨て、人の魂転生を捨てて彼は冥幻魔界この世に生まれた紛う事の無き『魔族』だ。そして、私は彼に囚われた天使族です。彼が居なければ、魔皇の手により滅びるのみ。案じる事に何の不都合がおありか?」
 彼の我侭に付き合わされて、生き延びているのが今だ。彼が飽きたと手放さぬ限り、己の命は彼が握っている。彼が無事である限り、命が続く。誇張では無く、事実。
 モニス・マナ=ケルブの命は、魔皇とその伴侶が握っているのだ。
 真っ直ぐに見据えて来る天使族に、冰王はその胸中で穏やかに笑う。童のように純真で、童女のように無垢な『思い』は、幾年振りか。

 ―皇がおられるが故に、わたくしは息が出来る。生きて逝けるのです。

 頬を柔らかな桃色に染めて吐露した少女は、遠き記憶の果て。彼女は幾人目の『皇妃』であったか。氷雪の心が愛でた、ひとつの魂の欠片を呼び起こした。
 ほう…と冰王の唇から零れ落ちた吐息に、モニスはひとつまばたきをした。
「…に、『こころ』と言うのは厄介なものよの…智天使の君…」
 ほろりまろび出た言葉は、一抹の哀しみを抱き締めて地面に落ちて行く。
「ええ…厄介でいて、愛おしく、狂おしいものでございます」
 返せば、少しばかり色の違う笑みを返された。
「綺羅綺羅しい童は愛いものじゃ。良い良い。そのまま健やかたれ」
「童…ですか…」
 童と称されるには年月を重ねているし、ひねくれている自覚もある。本物の童とは対極の位置に存在すると自負するが、冰王の中でそこに落ち着いたのならば無駄に足掻くつもりもない。言いたい事は口を噤んで、飲み込んでおく事にした。
「意地の悪い事を申した、許せ」
「お気になさいますな。私も少々意地を張りました。お赦しを」
「良い、両成敗じゃ」
「恩情有難く」
 空気が和らぎ、室内も幾分温かくなったように感じた。
「しかし、『天眼』を無理に解除しても良い事は無い。先に申した通り、『天眼』は心の隙間に入り込む。対象の弱い箇所を曝け出すが故に、より深き傷となってしまうであろう。そうなってしまえば目覚めたとて…」
 そう言って嘆息する冰王の視線を追うように、康泰へと目を向けた。
 今回の事は自分の落ち度だ。言い訳のしようもない。
 康泰が『天眼』に囚われている事は魔皇も気が付いているはずだ。それでも、自分に何も起きていないのは、己が渡した『対価』のお陰だろうと胸中息を吐く。
「妾たちには何も出来ぬ。『玉』の強さを信じるのみよ…」
「…はい」

   ***

 気軽に友を売った青年は、懐かしい実家の縁側に腰を下ろしていた。隣には、小さな魔皇。そして、小さな魔皇の腕の中には、もっと小さな赤子。先ほどまでの大泣きが嘘のように気持ち良さそうに眠っている。
 少年皇の背を追って自宅へと足を踏み入れた後、少年皇は迷う事無く赤子のもとに辿り着き、その腕の中に泣き虫を閉じ込めた。
「して、ツガイ殿は何を思うてこのような場所へ?」
 柔らかな赤子の頬を堪能している指先が、ほんの一瞬だけ動きを止め、何もなかったかのように再び動き始めた。
「んー…まあ、『天眼』とか言うものの力で?」
 視線を赤子から動かす事無く、康泰は答える。
「…囚われるような性質たちでもあるまいに」
 ため息交じりに呟かれるが、口角をゆるりと持ち上げるだけで何か反論をする事も無い。
「メリディアの『誘惑』に屈さぬ者が『天眼』に囚われるものか」
 『誘惑』の魔力自体はそれほど希少でも無ければ、強力なものでも無い。だが、その性質は魔力の大きさや種族に左右され易い。魔力が豊富で行使者の種族が強ければ『誘惑』も恐ろしい武器となる。
 メリディアは魔族でも上位に位置する吸血鬼族であり、それに加えて一族を統べる女帝、『魔王』になるほどの強者だ。馮族の『天眼』よりは劣るものの、それに匹敵する『誘惑』を放つ。
 しかし、当時不安定な魔力であったにも関わらず、康泰は僅かも服従しなかった。その時よりも魔力が安定した今、『天眼』による影響は幾許かあれども囚われる事は無い。
 前屈みになって膝に頬杖をついた康泰は、庭先に揺れるツツジの群れを眺めながらそろりと息を吐き出した。
「んー…まあ、うん、ちょっと疲れたんだよ。多分、そこに入り込まれたと言うか、自己防衛の反応が遅れたと言うか…」
 特別な何かがあった訳では無く、少しばかりの気疲れ。
 人として死に、魔族として生まれ、駆け抜けて来た日々が悪かった訳ではない。寧ろ、楽しく愛すべき日々だ。ただ、少しだけ立ち止まりたかった。
 ここからは独り言、と弱弱しい声が零れ落ちる。
「俺はさ、多分って言うか…魔皇さんの次に強い。誇張とか見栄とかじゃなくて、事実として、強い…」
 手のひらを見つめて、握ったり開いたりと繰り返す。
「強いから、怖い。俺が魔力を制御出来ずに暴走させてしまった時、止められるのは魔皇さんだけだ。でもきっと、お互いに無傷で済むはずが無い」
 自分が傷付くのは構わない。けれども。
 瞼を伏せ、思い描くのは美しく誇り高い孤高の皇。
「彼の手を、俺の血で汚したくは無いんだ」
 きっと、後悔する。自分も、彼も。
 少年皇は、腕の中の赤子をあやしながら康泰の独り言を聞く。
「それを切っ掛けに世界が崩壊しようと、融解しようとどうでも良いんだ」
 薄情な話だけれど、それが本心だ。
「でも、ロイウェン皇の心を毀してしまうのは嫌なんだ…」
 全ての思いを飲み込んで、ひとりの伴侶の為に己を封じた器用だけれど不器用で、優しい、愛おしい男。
「『私』はとても愛されているのだな」
 楽し気に声が揺れる。つられるように、康泰の唇から小さな笑みが零れ落ちた。
「うん、そうだな…愛してるんだ…」
 過ぎ行く日常の中で忘れていた遠い記憶が蘇る。高校時代、授業中の短い睡夢。
 吹雪の中、佇む自分に手を伸ばして来た無表情の男。男が向けて来た柔らかな声、慈しみの眼差し。誰からも向けられた事の無い、深い感情を優しく滲ませた声が、双眸が、全てが自分に向けられているのだと知って、死んでしまうのではないかと思う程に胸が締め付けられて呼吸の仕方を忘れてしまった。
「あの人が『俺』では無くて、『伴侶』を見ているのだとしても構わないくらいには、愛しているんだと思う…」
 あれが初恋なのだと今なら言えるだろう。あの時ほどの息苦しさも、胸の痛みも人として生きている間に感じた事は無いのだから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

男嫌いのシングルマザーの俺VS絶対俺を番にしたい男

Q.➽
BL
3歳の娘を育てるシングルマザーの峯原は後天性Ωで超絶男嫌い。 それは娘を妊娠した時の、大きな心の傷が原因だった。 そんな峯原に惹かれ、どうにか自分の番にしたいと望むαが現れるが…。 男嫌いでゴリゴリ塩対応の峯原と、それにもめげないハイスペ包容歳下α千道との仁義なき攻防戦、始まります。 「男はノーサンキュー。」 「媚びない貴方に媚びられたい。」 峯原 咲太 29歳、Ω 千道 名城 27歳 α ※最初の2話が暗いです。ご注意。 ※女性が出ますが恋愛要素は0です。 ※一部センシティブ且つ残酷な描写があります。 ※なんかとにかく峯原が塩。

自称ヒロインに「あなたはモブよ!」と言われましたが、私はモブで構いません!!

ゆずこしょう
恋愛
ティアナ・ノヴァ(15)には1人の変わった友人がいる。 ニーナ・ルルー同じ年で小さい頃からわたしの後ろばかり追ってくる、少しめんどくさい赤毛の少女だ。 そしていつも去り際に一言。 「私はヒロインなの!あなたはモブよ!」 ティアナは思う。 別に物語じゃないのだし、モブでいいのではないだろうか… そんな一言を言われるのにも飽きてきたので私は学院生活の3年間ニーナから隠れ切ることに決めた。

【R-18】踊り狂えその身朽ちるまで

あっきコタロウ
恋愛
投稿小説&漫画「そしてふたりでワルツを(http://www.alphapolis.co.jp/content/cover/630048599/)」のR-18外伝集。 連作のつもりだけどエロだから好きな所だけおつまみしてってください。 ニッチなものが含まれるのでまえがきにてシチュ明記。苦手な回は避けてどうぞ。 IF(7話)は本編からの派生。

【完結】処刑後転生した悪女は、狼男と山奥でスローライフを満喫するようです。〜皇帝陛下、今更愛に気づいてももう遅い〜

二位関りをん
恋愛
ナターシャは皇太子の妃だったが、数々の悪逆な行為が皇帝と皇太子にバレて火あぶりの刑となった。 処刑後、農民の娘に転生した彼女は山の中をさまよっていると、狼男のリークと出会う。 口数は少ないが親切なリークとのほのぼのスローライフを満喫するナターシャだったが、ナターシャへかつての皇太子で今は皇帝に即位したキムの魔の手が迫り来る… ※表紙はaiartで生成したものを使用しています。

飛竜誤誕顛末記

タクマ タク
BL
田舎の中学校で用務員として働いていた俺は、何故か仕事中に突然異世界の森に迷い込んでしまった。 そして、そこで出会ったのは傷を負った異国の大男ヴァルグィ。 言葉は通じないし、顔が怖い異人さんだけど、森を脱出するには地元民の手を借りるのが一番だ! そんな訳で、森を出るまでの道案内をお願いする代わりに動けない彼を家まで運んでやることに。 竜や魔法が存在する世界で織りなす、堅物将軍様とお気楽青年の異世界トリップBL 年上攻め/体格差/年の差/執着愛/ハッピーエンド/ほのぼの/シリアス/無理矢理/異世界転移/異世界転生/ 体格が良くお髭のおじさんが攻めです。 一つでも気になるワードがありましたら、是非ご笑覧ください! 第1章までは、日本語「」、異世界語『』 第2章以降は、日本語『』、異世界語「」になります。 *自サイトとムーンライトノベルズ様にて同時連載しています。 *モブ姦要素がある場面があります。 *今後の章でcp攻以外との性行為場面あります。 *メインcp内での無理矢理表現あります。 苦手な方はご注意ください。

【R18】清掃員加藤望、社長の弱みを握りに来ました!

Bu-cha
恋愛
ずっと好きだった初恋の相手、社長の弱みを握る為に頑張ります!!にゃんっ♥ 財閥の分家の家に代々遣える“秘書”という立場の“家”に生まれた加藤望。 ”秘書“としての適正がない”ダメ秘書“の望が12月25日の朝、愛している人から連れてこられた場所は初恋の男の人の家だった。 財閥の本家の長男からの指示、”星野青(じょう)の弱みを握ってくる“という仕事。 財閥が青さんの会社を吸収する為に私を任命した・・・!! 青さんの弱みを握る為、“ダメ秘書”は今日から頑張ります!! 関連物語 『お嬢様は“いけないコト”がしたい』 『“純”の純愛ではない“愛”の鍵』連載中 『雪の上に犬と猿。たまに男と女。』 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高11位 『好き好き大好きの嘘』 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高36位 『約束したでしょ?忘れちゃった?』 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高30位 ※表紙イラスト Bu-cha作

隔離スーツ措置された!

ジャン・幸田
SF
 通称”アンドロメダ症候群”感染者と濃厚接触した、少女アズサは隔離された!  隔離された先は二十四時間監視されるロボットの中だった!

悪役令嬢に転生したようですが、自由に生きようと思います。

櫻霞 燐紅
恋愛
怪我をしたことをきっかけに前世?を思い出したレティーナ。 記憶によるとここは前世で妹が夢中でやっていたゲームの世界。 しかも、悪役令嬢なんて! ヒロインも攻略者も勝手にしてください! けど、死亡エンドは嫌かなぁ・・・ と、死亡エンドは回避しつつ、ヒロインたちとかかわらないように生きようとしてるのに何故か巻き込まれてしまう悪役令嬢のお話です。(多分・・・) 小説家になろうさんでも掲載しています。 ブクマ2000越え、ありがとうございます!! 別置きにしていた、後日談をこちらに移動させました。 今後もちまちま書けていけたらと思いますので、よろしくお願いいたします!!

処理中です...