セカンドライフは魔皇の花嫁

仁蕾

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第6章

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 ベッドの上。血に塗れたシーツ。横たわる体。傍に寄り添う影法師。蒼白の肌で眠る男を見つめる飴色は、僅かたりとも動く事は無い。
 お役御免とマリが部屋を出て行けば、部屋の中には康泰とロイウェン、微動だにしないユリエラと眠るバーズの四人だけとなる。
 康泰はベッドを挟んでユリエラの反対側に座り、ロイウェンはユリエラの後ろに立ってその頭に手を乗せた。
「お前が直情型で無い事に、これ程安堵する日が来ようとはな」
 穏やかな低い声に導かれるように、ユリエラの顔がのろのろと上がる。
 ロイウェンの言葉に、康泰も胸中で同意した。ユリエラが、一時の激情でメリディアの懐に飛び込むようなタイプでなくてよかった、と。
 しかし、ロイウェンを見上げるユリエラの双眸には、理性と激情が混じり合った色が浮かんでいた。噛み締めていたのか、唇に僅かな赤が滲んでいる。
 ユリエラは笑う。少しだけ歪な笑みは、常の彼には無い『感情』を表しているようだ。
「自分でも、驚いているよ…」
 弱くて、柔らかな声だった。今まで聞いた事の無い静かな喋り方に、今の彼は『昔』の彼なのだと察する。
 ゆっくりとまばたいたロイウェンの双眸に、自分に向ける情とはまた違う優しい慈しみの光が滲む。縁は切れども、やはり兄弟なのだと康泰は胸中でそろりと安堵の息を吐いた。
 ユリエラは苦笑を浮かべ、ロイウェンから視線を逸らすと眠るバーズへと視線を戻した。
「胸の内はお前の吹雪『魔力』のように荒れていて、言い表せない程の怒りに焼かれているのに…何故、わたしはこれほど静かでいられるのだろう…」
 そう呟いたユリエラの声は静かで、その表情も穏やかなものだった。行き過ぎた怒りに、身の内を焼かれていると言うのに。
「兄様」
「…うん」
「あなたが他を顧みずにこの地を去っていたなら、私はあなたの前に立たなければならなかった」
「うん…お前は『魔皇』だもの…」
 当たり前だとユリエラは笑った。
 ロイウェンは魔皇だ。冥幻魔界ジュノ・ガルディスの頂点だ。そして、各階層を治める魔王たちはロイウェン魔皇王妃側室である。『魔皇』の前に立つのが『魔王王妃』ならば、その『魔王王妃』を守るのは『魔皇』の役目だ。
 もし、ユリエラが我を忘れてメリディアを強襲していたなら、ロイウェンは『魔皇』としての義務を果たしただろう。
(色々と、綱渡りの騒動だったって事か…)
 殺伐とした穏やかさと言う相反する空気の中、康泰がそろりと安堵の息を吐き出せば、漆黒に浮かぶ飴色の双眸が康泰に向けられはたりとまばたいた。
 投げられた視線の強さに、康泰の肩が小さく跳ねる。
「皇妃閣下、此度はお見苦しい所をお見せいたしました」
「あ、いや…大丈夫ですか…?」
 問えば、苦笑が返された。
「ええ、とりあえずは…」
「…ユリエラさんが凄く憤慨されているのは分かるんですが…メリディア嬢の事、俺と魔皇さんに任せてくれませんか?」
 回りくどい事は面倒だ。単刀直入に伝えれば、ユリエラはその双眸を大きく見開いた。
 飴色が戸惑いにくらりと揺れたのを見る。けれども、それは一呼吸の間に消えてなくなった。
「…もとより、そのつもりです」
 諦念と渇望。その他、多くの感情が入り混じった眼差しが苦しい。しかし、その濁流には気付かないフリを決め込み、有難うとだけ返して康泰は席を立つ。
「事が収まるまでバーズさんは此処に匿いますから安心してください。それと、ユリエラさんも少し休みましょう?一度、俺の護衛から外れてください」
 掛けられた言葉にユリエラの喉がひゅぅと鳴る。康泰の護衛は、師と仰ぐミオンからの直々に言い渡された最優先任務だ。
 それは出来ないと双眸が訴えるが、護衛対象である康泰は駄目ですときっぱりと告げる。
「あなたも、あなたの影も、護衛として隠密するにはあまりにざわつきすぎている。上の空の護衛は命取りですよ。今日は居館ここから動きませんから、今日くらいは…ね?」
 護るべき存在に迷惑を掛け、あまつさえ気に掛けて貰うなどなんと畏れ多い事か。お叱りは後日師に賜るとして、今はその優しさが有難かった。
「重ね重ね…ありがとうございます…」
「いいえ!じゃ、俺は先に失礼しますね」
 はふりと噛み殺せなかった欠伸が零れ落ち、おやすみなさいと手を振って部屋から出て行く。
 ぱたん。
 閉ざした扉に背を預け、自身の爪先を見つめながら深く息を吐き出した。そうしなければ、自分の感情が揺らぎそうになる。
 今すぐ居館を飛び出してメリディアを詰りに行ってしまいたい。そんな荒んだ気持ちを深く呼吸をする事で宥め、扉から背を離して廊下を歩き出した。
 しばらく歩き、キ…と開いたのは広間への扉。明かりも無く、窓のカーテンも閉ざされた闇の中。廊下の光が差し込み室内を僅かに照らしたが、扉はすぐに閉ざされて再び闇が訪れた。
 とすとすと足音は質のいい絨毯に吸い込まれる。迷いなくソファーに辿り着き、どさりと乱雑に腰を下ろして背凭れに後頭部を預けた。
 そろりと零れ落ちた吐息。静寂に身を任せて眠りに就きそうな、ふわふわとした感覚に包まれ始めた頃、もそりと膝の上に重さを感じた。何事かと見下ろせば、闇よりも深い漆黒の塊。
 きゅう。
 聞き馴染んだ小さな鳴き声に、頬が緩む。
「ただいま…さっきはわがまま言ってごめんな…」
 小さな頭から背中を辿って細長い尾を撫でれば、くうくうと鼻を鳴らして胸に頭を擦りつけて甘えて来る。その様に、心配させてしまったなと反省した。
 かたりと扉の向こう側から小さな物音。そろりと開かれたそこから顔を覗かせたのは、モニスだった。
「このような暗い所で…」
 呆れた物言いをしながらも明かりを点さず、そっと隣に腰を下ろしたモニスに康泰はふふと吐息で笑う。
「何だかんだで、モニスさんは優しいよね」
「…天使族は、悩める者に庇護欲を駆られるものですから」
「ふふ、相手が魔族でも?」
 そんな訳が無いと問い掛けた康泰自身にも、茶化すように言葉にしたモニスにも分かっていた。
 魔族と天使族は相容れぬ存在。その心根が優しい天使族であろうと、敵対する存在に寄り添う程愚かではない。
 しかし、モニスはため息交じりに「…そうですね」と返した。康泰は小さな驚愕にぱちりとまばたく。モニスは見つめて来る琥珀色を、逸らす事無く真っ直ぐに受け止めた。
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