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第5章
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康泰からすれば、ミオンには大きな恩がある。
視線を泳がせた先には、きらりと煌めくバングル。このバングルを作り上げる為に、彼は自分の魂である『核』を随一の装飾師に差し出した。そこに躊躇いは無かった。自分の我侭で康泰を魔族へと転じさせたのだからそうする事が当然だと言っていたミオンには、それがどれだけの恩であるか知らないだろう。知る必要も無いだろう。自分だけが知っていればいいと康泰は頬を緩めた。
小瓶を大事そうに握り込んだミオンは、少しばかりの逡巡の後、美味しそうにケーキを頬張る康泰へ視線を向ける。
「コータ様、予定よりも早くはありますが、わたくしはビビの城に戻ろうかと思います」
少しばかり忙しない動作でミオンが茶器に触れていくと、淡い光を纏って消えて行く。陶器たちの行く先は、城の厨房だ。
ミオンの辞去する言葉に、琥珀色がきょとりとまばたいた。
「え?さっき戻りは宵の口って…」
幼さの滲む物言いに、ミオンは苦笑を滲ませる。
「このように強力なものをおいそれと持ち歩く訳にも行きません。持ち歩いて万が一、と言う事もあり得ますから」
ミオンが言う事も一理ある。一種の爆弾を持っているようなものだと考えた末、今生の別れでもあるまいと康泰は頷いた。
「少しはミオンさんの気分転換になった?」
呼び出しの内容はあまり喜ばしいものでは無かったけれど。
ミオンはもちろんだと笑顔で頷いて見せる。
「久方振りに皇とコータ様にお会い出来て、嬉しゅうございました」
「俺もだよ。庭園から戻る?」
「いえ、失礼ではありますが、此処から戻ります」
右足の爪先で半円を描けば、魔力が線を作り出す。足を滑らせたのは、きっかけ。あとは魔力が自在に動いて転移陣を描いた。
「うーん…器用もここまで来ると天晴れだ…」
「ふふ、近い将来、コータ様も出来るようになられますよ」
康泰の感嘆交じりの呟きにミオンは笑った。
いつかの未来、魔力の扱いに慣れたとしても、これ程緻密に扱いきるかと言われたら無理だと即答出来る。
「それでは、御前を失礼いたします」
「うん、ビビさんに宜しく」
ひらひらと手を振る康泰の目の前、ミオンの足元の転移陣が強い光を放ち、その姿がしゅるりと消えて転移陣は光の余韻を残して霧散した。
訪れた静寂にそろりと息を吐き出し、康泰は乱雑にソファーへと身を預ける。
循環のまじないを強化していたミオンが居なくなったため、循環に回されていた魔皇の魔力がじわじわと室内を満たし始めるのを心地好く感じながら目を閉じた。
ロイウェンの魔力が満たされるこの部屋に長居をするのは良くないと分かってはいるが、だからと言ってすぐに出て行ってしまうのは何だか嫌だった。
ゆっくりと侵食されて行く。新雪のようにひやりとして、鉛のようにずしりと重い魔力。誰もが平伏せざるを得ない、逆らう事の出来ないその重さが連れて来たのは畏怖でも崇拝でもなく、ふわふわとした睡魔。
くあり。
慣れない浄化作業で魔力を使い過ぎたのか、気を張り過ぎていたのか。大きな欠伸が漏れ出て、これはいけないなと思いながら腰を上げた。これは、いけない。長居をする訳にはいけない。いけない、のだが。
「…まあ、いっか」
のそりと歩き出し、奥を隠す衝立を回り込んで向かった先には大きなベッド。膝で乗り上げても鳴き声ひとつ上げない上質なもの。四つん這いで進んで整えられたシーツの中に潜り込み、ごろりと横臥すれば程よいクッション性で以って康泰の体を受け止めた。
すんと鼻を鳴らす。ほのかな伽羅の香りに安堵の息を吐き出せば次第に体の力が抜け始め、瞼がゆっくりと閉じて行く。
「…とじこめて…」
吐息のように呟いた言葉は明確な音にはならず、深い呼吸に成り代わる。寝入り端の呼吸は健やかな寝息に代わり、康泰が深い眠りに就いた事を知らせた。
魔皇の私室に静寂が訪れて一時間程が経つ頃。濃密な魔力が室内を満たしたと同時に、扉が音も無く開かれた。
微かに感じる疲労に任せて深く息を吐き出し、肩から乱雑な動作で外套を剥ぎ取ってソファーに放ったのは、部屋の主であるロイウェンだ。
ふと、テーブルに残されたひとつのティーカップとフォークが置かれた一枚の皿を見て眉を跳ね上げる。ミオンがヴィヴィアンの城に戻ったのは感じ取っていた。忠義に満ちたあの腹心が、使用済みの茶器を片す事無く辞するとは思えない。
で、あるならば。
壁際のチェストの上にいくつか放ってある髪紐を手に取り、長い髪を適当に纏めて背に流す。
恐らく、まだこの部屋に居る筈のツガイは一体どこに。
チェストに体重を掛け、腕を組み少しばかり思考を巡らせる。念のためにと意図を持ってゆっくりとひとつまばたけば、凍土地区を循環している魔力に知覚が繋がった。案の定、目的の人物は城内にも居なければ、宛がわれている居館にも見当たらない。
しかし、何故だろう。この室内にもその存在が居なかった。
「さて、困ったな…」
言葉にするものの、大して困ったような素振りはなく。
その時、すふー…と空気の抜ける音が耳に届いた。
「…そこか…」
選りによって。片手で顔の半分を覆い、深いため息を吐き出すと、チェストから離れて目的の部屋に向かって歩き出す。
視線を泳がせた先には、きらりと煌めくバングル。このバングルを作り上げる為に、彼は自分の魂である『核』を随一の装飾師に差し出した。そこに躊躇いは無かった。自分の我侭で康泰を魔族へと転じさせたのだからそうする事が当然だと言っていたミオンには、それがどれだけの恩であるか知らないだろう。知る必要も無いだろう。自分だけが知っていればいいと康泰は頬を緩めた。
小瓶を大事そうに握り込んだミオンは、少しばかりの逡巡の後、美味しそうにケーキを頬張る康泰へ視線を向ける。
「コータ様、予定よりも早くはありますが、わたくしはビビの城に戻ろうかと思います」
少しばかり忙しない動作でミオンが茶器に触れていくと、淡い光を纏って消えて行く。陶器たちの行く先は、城の厨房だ。
ミオンの辞去する言葉に、琥珀色がきょとりとまばたいた。
「え?さっき戻りは宵の口って…」
幼さの滲む物言いに、ミオンは苦笑を滲ませる。
「このように強力なものをおいそれと持ち歩く訳にも行きません。持ち歩いて万が一、と言う事もあり得ますから」
ミオンが言う事も一理ある。一種の爆弾を持っているようなものだと考えた末、今生の別れでもあるまいと康泰は頷いた。
「少しはミオンさんの気分転換になった?」
呼び出しの内容はあまり喜ばしいものでは無かったけれど。
ミオンはもちろんだと笑顔で頷いて見せる。
「久方振りに皇とコータ様にお会い出来て、嬉しゅうございました」
「俺もだよ。庭園から戻る?」
「いえ、失礼ではありますが、此処から戻ります」
右足の爪先で半円を描けば、魔力が線を作り出す。足を滑らせたのは、きっかけ。あとは魔力が自在に動いて転移陣を描いた。
「うーん…器用もここまで来ると天晴れだ…」
「ふふ、近い将来、コータ様も出来るようになられますよ」
康泰の感嘆交じりの呟きにミオンは笑った。
いつかの未来、魔力の扱いに慣れたとしても、これ程緻密に扱いきるかと言われたら無理だと即答出来る。
「それでは、御前を失礼いたします」
「うん、ビビさんに宜しく」
ひらひらと手を振る康泰の目の前、ミオンの足元の転移陣が強い光を放ち、その姿がしゅるりと消えて転移陣は光の余韻を残して霧散した。
訪れた静寂にそろりと息を吐き出し、康泰は乱雑にソファーへと身を預ける。
循環のまじないを強化していたミオンが居なくなったため、循環に回されていた魔皇の魔力がじわじわと室内を満たし始めるのを心地好く感じながら目を閉じた。
ロイウェンの魔力が満たされるこの部屋に長居をするのは良くないと分かってはいるが、だからと言ってすぐに出て行ってしまうのは何だか嫌だった。
ゆっくりと侵食されて行く。新雪のようにひやりとして、鉛のようにずしりと重い魔力。誰もが平伏せざるを得ない、逆らう事の出来ないその重さが連れて来たのは畏怖でも崇拝でもなく、ふわふわとした睡魔。
くあり。
慣れない浄化作業で魔力を使い過ぎたのか、気を張り過ぎていたのか。大きな欠伸が漏れ出て、これはいけないなと思いながら腰を上げた。これは、いけない。長居をする訳にはいけない。いけない、のだが。
「…まあ、いっか」
のそりと歩き出し、奥を隠す衝立を回り込んで向かった先には大きなベッド。膝で乗り上げても鳴き声ひとつ上げない上質なもの。四つん這いで進んで整えられたシーツの中に潜り込み、ごろりと横臥すれば程よいクッション性で以って康泰の体を受け止めた。
すんと鼻を鳴らす。ほのかな伽羅の香りに安堵の息を吐き出せば次第に体の力が抜け始め、瞼がゆっくりと閉じて行く。
「…とじこめて…」
吐息のように呟いた言葉は明確な音にはならず、深い呼吸に成り代わる。寝入り端の呼吸は健やかな寝息に代わり、康泰が深い眠りに就いた事を知らせた。
魔皇の私室に静寂が訪れて一時間程が経つ頃。濃密な魔力が室内を満たしたと同時に、扉が音も無く開かれた。
微かに感じる疲労に任せて深く息を吐き出し、肩から乱雑な動作で外套を剥ぎ取ってソファーに放ったのは、部屋の主であるロイウェンだ。
ふと、テーブルに残されたひとつのティーカップとフォークが置かれた一枚の皿を見て眉を跳ね上げる。ミオンがヴィヴィアンの城に戻ったのは感じ取っていた。忠義に満ちたあの腹心が、使用済みの茶器を片す事無く辞するとは思えない。
で、あるならば。
壁際のチェストの上にいくつか放ってある髪紐を手に取り、長い髪を適当に纏めて背に流す。
恐らく、まだこの部屋に居る筈のツガイは一体どこに。
チェストに体重を掛け、腕を組み少しばかり思考を巡らせる。念のためにと意図を持ってゆっくりとひとつまばたけば、凍土地区を循環している魔力に知覚が繋がった。案の定、目的の人物は城内にも居なければ、宛がわれている居館にも見当たらない。
しかし、何故だろう。この室内にもその存在が居なかった。
「さて、困ったな…」
言葉にするものの、大して困ったような素振りはなく。
その時、すふー…と空気の抜ける音が耳に届いた。
「…そこか…」
選りによって。片手で顔の半分を覆い、深いため息を吐き出すと、チェストから離れて目的の部屋に向かって歩き出す。
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