17 / 97
第2章
2
しおりを挟む
康泰の言葉にシュノアは苦笑を滲ませながらも頷いた。
「あなたが皇妃である可能性はあるかもしれませんが、そうで無い可能性も捨てきれ無い。…しかし、私もヴィヴィアン様もあなたと対面して、その足下に傅く事を決めました」
魔族が傅くには様々な理由が存在する。己より強い者への服従、愉快を求むる享楽、弱者への憐憫など、数え上げれば切りが無い。
「私を含め、誰もが明確な理由を持たない。強いて言うなら…そうですね、本能がそうしろと我らを動かした…まあ、あなたからすれば、喜ばしい事ではないのでしょうけれど…」
口を噤んだシュノアはそのまま立ち上がり、忠誠の騎士のようにベッドの傍に片膝をついた。突然の行動に康泰は目を剥いたが、シュノアはそれを気に止める事も無く、康泰の手を掬い取り、手の甲に額を寄せ瞼を伏せた。
「貴き御身に触れる無礼をお許しください。我が名はシュノア・ベルティー。我が意志はあなたの盾となり、矛となって御身をお守り申し上げます」
シュノアが口上を述べ終えた瞬間、何かがぞろりと這い上がる。可視化された『何か』は、茨となって康泰の腕に絡みつき、皮膚に溶け込むようにしてその姿を消した。
「今のは…」
康泰の呟きにシュノアは口角をゆるりと上げただけで、その正体について言葉にする事無く「さて…」と立ち上がった。
「具合が悪くないようでしたら、広間へ赴きませんか?部屋で食事を取るのにも飽きてきたのでは?」
「まあ…確かに…?」
食事に関しては、時折、ミオンやシュノアが共にしてくれはするものの、基本的に二人は忙しいため康泰ひとりで食する事が多かった。そして、生前でもひとりである事が多かったため、端的に言って飽いていた。
「では、参りましょう」
促されるまま身支度を整え、案内されるまま廊下を歩く。
ふと気が付いた。眠る前まで微かに感じていたはずの寒さを感じない。首元に陣取るリィのお陰かとも思ったが、それは違うと感じ取る。
歩きながら、何となく自身の手のひらに視線を落とした。そこには、学生の頃と変わらない、微かに赤みを帯びた『生』を感じる手がある。
外見は何も変わらないのに、体の作りは確かに違う。
「まあ、承知の上だけど…」
体内に渦巻く力の奔流。それは確かに人ならざるものの力。
冥幻魔界に再び生まれ出でてより幾日経つか。今更な事なのかもしれないが、現実感は薄い。
―くあ…
十分な睡眠をとったにも関わらず、大きな欠伸が零れ落ちる。外を見つめ、口元を緩めた。
「ここが、俺の生きる世界、か…」
胸の奥。獰猛な自分が舌なめずりしたような気がした。
***
広間に辿り着き、中を覗き込む。
室内の一角に敷かれた絨毯の上に所狭しと並べられた多くの料理。ミオンが飲み物の準備など忙しなく動いているのを横目に、ソファーにはワイングラスを傾けるヴィヴィアンの姿。
先に気が付いたのはヴィヴィアンだった。
「ご機嫌麗しく、コータ様…あら、まあ…」
柔和な笑みは驚愕の瞬きへと変じる。
それに対して首を傾げた康泰が口を開こうとした瞬間、ミオンが顔を上げた。喜色の表情から一転、呆れたような表情でシュノアを見つめた。
「シュノア、あなた…」
「これは俺の意思だ。諦めてくれ」
ミオンの呟きに、シュノアは口角を吊り上げて言葉を紡ぐ。その双眸は笑う事無く、真摯な光を宿していた。
「…はあ、分かりました」
「すまんな」
ツガイの会話に康泰はきょとりと瞬いた。何に対してミオンは嘆息し、シュノアは謝罪を口にしたのか。
首を傾げ、ふと思い至る。
「もしかして、さっきのアレが関係してる感じです?」
「そうですね」
頷いたシュノアにどうぞと促され、ヴィヴィアンが起き上がったソファーを背凭れに絨毯の上へと腰を下ろした。
康泰の肩から駆け降りたリィが膝元に座り込めば、ミオンの手によりフルーツが盛られた小さな皿が置かれる。
「シュノアが結んだのならあたしもしたい所だけれど、残念ながらまだ結べないのよねー…」
つまらないとのたまいながら、ヴィヴィアンは康泰の隣に腰を滑り落とす。
ヴィヴィアンから差し出された空のグラスを受け取れば、微かにとろみを帯びた乳白色の液体が注がれる。冥幻魔界で目覚めてからずっと好んで飲んでいる白桃のような果物のジュースである。
「ありがとうございます…結局、何がどう言う事で…?」
ひと口飲めば、甘い香りが口内に広がり自然とため息がこぼれ落ちた。
「失礼ながら御身に触れたあの時、私の魔力を僅かに流し込み、主従の契約を結んだのです。ヴィヴィアン様は王妃の立場におられる方。対して、現在のコータ様はどの立場にも属されておられない…王を冠する者は下の者に傅く事は出来ないのです。だから『まだ結べない』と…」
「それでも、あたしはあなたへの服従を捧げましょう。…立場がそれを許さぬ時もあるのは確か…けれども、あなたを裏切らぬと、我らが皇に誓います」
その腕輪にも誓いましょう。
そう言ってヴィヴィアンは微笑んだ。
康泰が視線を落としたのは、手首に煌く付加装飾具。光を反射して鈍く輝くそれは、ヴィヴィアンの『心』が込められていると康泰は知っている。そして、それを使わなければならぬ事態だったとしても、そう安易に使うような享楽の人ではないと、短い付き合いであっても理解していた。
一種の隷属の証と受け取っても相違ないだろう。
「…まあ、お二人…と言うか、ミオンさんも何かしらされているでしょう?」
半ば確信的に問えば、にこりとわざとらしい笑みを浮かべたのが答えだろう。
「お三人のご期待に添えられるかは分かりませんけど、出来得る限りの努力はしたいと思います」
ため息混じりにいただきますと手を合わせ、果物に手を伸ばした。
「あなたが皇妃である可能性はあるかもしれませんが、そうで無い可能性も捨てきれ無い。…しかし、私もヴィヴィアン様もあなたと対面して、その足下に傅く事を決めました」
魔族が傅くには様々な理由が存在する。己より強い者への服従、愉快を求むる享楽、弱者への憐憫など、数え上げれば切りが無い。
「私を含め、誰もが明確な理由を持たない。強いて言うなら…そうですね、本能がそうしろと我らを動かした…まあ、あなたからすれば、喜ばしい事ではないのでしょうけれど…」
口を噤んだシュノアはそのまま立ち上がり、忠誠の騎士のようにベッドの傍に片膝をついた。突然の行動に康泰は目を剥いたが、シュノアはそれを気に止める事も無く、康泰の手を掬い取り、手の甲に額を寄せ瞼を伏せた。
「貴き御身に触れる無礼をお許しください。我が名はシュノア・ベルティー。我が意志はあなたの盾となり、矛となって御身をお守り申し上げます」
シュノアが口上を述べ終えた瞬間、何かがぞろりと這い上がる。可視化された『何か』は、茨となって康泰の腕に絡みつき、皮膚に溶け込むようにしてその姿を消した。
「今のは…」
康泰の呟きにシュノアは口角をゆるりと上げただけで、その正体について言葉にする事無く「さて…」と立ち上がった。
「具合が悪くないようでしたら、広間へ赴きませんか?部屋で食事を取るのにも飽きてきたのでは?」
「まあ…確かに…?」
食事に関しては、時折、ミオンやシュノアが共にしてくれはするものの、基本的に二人は忙しいため康泰ひとりで食する事が多かった。そして、生前でもひとりである事が多かったため、端的に言って飽いていた。
「では、参りましょう」
促されるまま身支度を整え、案内されるまま廊下を歩く。
ふと気が付いた。眠る前まで微かに感じていたはずの寒さを感じない。首元に陣取るリィのお陰かとも思ったが、それは違うと感じ取る。
歩きながら、何となく自身の手のひらに視線を落とした。そこには、学生の頃と変わらない、微かに赤みを帯びた『生』を感じる手がある。
外見は何も変わらないのに、体の作りは確かに違う。
「まあ、承知の上だけど…」
体内に渦巻く力の奔流。それは確かに人ならざるものの力。
冥幻魔界に再び生まれ出でてより幾日経つか。今更な事なのかもしれないが、現実感は薄い。
―くあ…
十分な睡眠をとったにも関わらず、大きな欠伸が零れ落ちる。外を見つめ、口元を緩めた。
「ここが、俺の生きる世界、か…」
胸の奥。獰猛な自分が舌なめずりしたような気がした。
***
広間に辿り着き、中を覗き込む。
室内の一角に敷かれた絨毯の上に所狭しと並べられた多くの料理。ミオンが飲み物の準備など忙しなく動いているのを横目に、ソファーにはワイングラスを傾けるヴィヴィアンの姿。
先に気が付いたのはヴィヴィアンだった。
「ご機嫌麗しく、コータ様…あら、まあ…」
柔和な笑みは驚愕の瞬きへと変じる。
それに対して首を傾げた康泰が口を開こうとした瞬間、ミオンが顔を上げた。喜色の表情から一転、呆れたような表情でシュノアを見つめた。
「シュノア、あなた…」
「これは俺の意思だ。諦めてくれ」
ミオンの呟きに、シュノアは口角を吊り上げて言葉を紡ぐ。その双眸は笑う事無く、真摯な光を宿していた。
「…はあ、分かりました」
「すまんな」
ツガイの会話に康泰はきょとりと瞬いた。何に対してミオンは嘆息し、シュノアは謝罪を口にしたのか。
首を傾げ、ふと思い至る。
「もしかして、さっきのアレが関係してる感じです?」
「そうですね」
頷いたシュノアにどうぞと促され、ヴィヴィアンが起き上がったソファーを背凭れに絨毯の上へと腰を下ろした。
康泰の肩から駆け降りたリィが膝元に座り込めば、ミオンの手によりフルーツが盛られた小さな皿が置かれる。
「シュノアが結んだのならあたしもしたい所だけれど、残念ながらまだ結べないのよねー…」
つまらないとのたまいながら、ヴィヴィアンは康泰の隣に腰を滑り落とす。
ヴィヴィアンから差し出された空のグラスを受け取れば、微かにとろみを帯びた乳白色の液体が注がれる。冥幻魔界で目覚めてからずっと好んで飲んでいる白桃のような果物のジュースである。
「ありがとうございます…結局、何がどう言う事で…?」
ひと口飲めば、甘い香りが口内に広がり自然とため息がこぼれ落ちた。
「失礼ながら御身に触れたあの時、私の魔力を僅かに流し込み、主従の契約を結んだのです。ヴィヴィアン様は王妃の立場におられる方。対して、現在のコータ様はどの立場にも属されておられない…王を冠する者は下の者に傅く事は出来ないのです。だから『まだ結べない』と…」
「それでも、あたしはあなたへの服従を捧げましょう。…立場がそれを許さぬ時もあるのは確か…けれども、あなたを裏切らぬと、我らが皇に誓います」
その腕輪にも誓いましょう。
そう言ってヴィヴィアンは微笑んだ。
康泰が視線を落としたのは、手首に煌く付加装飾具。光を反射して鈍く輝くそれは、ヴィヴィアンの『心』が込められていると康泰は知っている。そして、それを使わなければならぬ事態だったとしても、そう安易に使うような享楽の人ではないと、短い付き合いであっても理解していた。
一種の隷属の証と受け取っても相違ないだろう。
「…まあ、お二人…と言うか、ミオンさんも何かしらされているでしょう?」
半ば確信的に問えば、にこりとわざとらしい笑みを浮かべたのが答えだろう。
「お三人のご期待に添えられるかは分かりませんけど、出来得る限りの努力はしたいと思います」
ため息混じりにいただきますと手を合わせ、果物に手を伸ばした。
34
お気に入りに追加
2,538
あなたにおすすめの小説
転生先がハードモードで笑ってます。
夏里黒絵
BL
周りに劣等感を抱く春乃は事故に会いテンプレな転生を果たす。
目を開けると転生と言えばいかにも!な、剣と魔法の世界に飛ばされていた。とりあえず容姿を確認しようと鏡を見て絶句、丸々と肉ずいたその幼体。白豚と言われても否定できないほど醜い姿だった。それに横腹を始めとした全身が痛い、痣だらけなのだ。その痣を見て幼体の7年間の記憶が蘇ってきた。どうやら公爵家の横暴訳アリ白豚令息に転生したようだ。
人間として底辺なリンシャに強い精神的ショックを受け、春乃改めリンシャ アルマディカは引きこもりになってしまう。
しかしとあるきっかけで前世の思い出せていなかった記憶を思い出し、ここはBLゲームの世界で自分は主人公を虐める言わば悪役令息だと思い出し、ストーリーを終わらせれば望み薄だが元の世界に戻れる可能性を感じ動き出す。しかし動くのが遅かったようで…
色々と無自覚な主人公が、最悪な悪役令息として(いるつもりで)ストーリーのエンディングを目指すも、気づくのが遅く、手遅れだったので思うようにストーリーが進まないお話。
R15は保険です。不定期更新。小説なんて書くの初めてな作者の行き当たりばったりなご都合主義ストーリーになりそうです。
悪役令息に転生したけど…俺…嫌われすぎ?
「ARIA」
BL
階段から落ちた衝撃であっけなく死んでしまった主人公はとある乙女ゲームの悪役令息に転生したが...主人公は乙女ゲームの家族から甘やかされて育ったというのを無視して存在を抹消されていた。
王道じゃないですけど王道です(何言ってんだ?)どちらかと言うとファンタジー寄り
更新頻度=適当
【完】悪女と呼ばれた悪役令息〜身代わりの花嫁〜
咲
BL
公爵家の長女、アイリス
国で一番と言われる第一王子の妻で、周りからは“悪女”と呼ばれている
それが「私」……いや、
それが今の「僕」
僕は10年前の事故で行方不明になった姉の代わりに、愛する人の元へ嫁ぐ
前世にプレイしていた乙女ゲームの世界のバグになった僕は、僕の2回目の人生を狂わせた実父である公爵へと復讐を決意する
復讐を遂げるまではなんとか男である事を隠して生き延び、そして、僕の死刑の時には公爵を道連れにする
そう思った矢先に、夫の弟である第二王子に正体がバレてしまい……⁉︎
切なく甘い新感覚転生BL!
下記の内容を含みます
・差別表現
・嘔吐
・座薬
・R-18❇︎
130話少し前のエリーサイド小説も投稿しています。(百合)
《イラスト》黒咲留時(@black_illust)
※流血表現、死ネタを含みます
※誤字脱字は教えて頂けると嬉しいです
※感想なども頂けると跳んで喜びます!
※恋愛描写は少なめですが、終盤に詰め込む予定です
※若干の百合要素を含みます
ちっちゃくなった俺の異世界攻略
鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた!
精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!
烏木の使いと守護騎士の誓いを破るなんてとんでもない
時雨
BL
いつもの通勤中に猫を助ける為に車道に飛び出し車に轢かれて死んでしまったオレは、気が付けば見知らぬ異世界の道の真ん中に大の字で寝ていた。
通りがかりの騎士風のコスプレをしたお兄さんに偶然助けてもらうが、言葉は全く通じない様子。
黒い髪も瞳もこの世界では珍しいらしいが、なんとか目立たず安心して暮らせる場所を探しつつ、助けてくれた騎士へ恩返しもしたい。
騎士が失踪した大切な女性を捜している道中と知り、手伝いたい……けど、この”恩返し”という名の”人捜し”結構ハードモードじゃない?
◇ブロマンス寄りのふんわりBLです。メインCPは騎士×転移主人公です。
◇異世界転移・騎士・西洋風ファンタジーと好きな物を詰め込んでいます。
普通の学生だった僕に男しかいない世界は無理です。帰らせて。
かーにゅ
BL
「君は死にました」
「…はい?」
「死にました。テンプレのトラックばーんで死にました」
「…てんぷれ」
「てことで転生させます」
「どこも『てことで』じゃないと思います。…誰ですか」
BLは軽い…と思います。というかあんまりわかんないので年齢制限のどこまで攻めるか…。
虐げられ聖女(男)なので辺境に逃げたら溺愛系イケメン辺境伯が待ち構えていました【本編完結】(異世界恋愛オメガバース)
美咲アリス
BL
虐待を受けていたオメガ聖女のアレクシアは必死で辺境の地に逃げた。そこで出会ったのは逞しくてイケメンのアルファ辺境伯。「身バレしたら大変だ」と思ったアレクシアは芝居小屋で見た『悪役令息キャラ』の真似をしてみるが、どうやらそれが辺境伯の心を掴んでしまったようで、ものすごい溺愛がスタートしてしまう。けれども実は、辺境伯にはある考えがあるらしくて⋯⋯? オメガ聖女とアルファ辺境伯のキュンキュン異世界恋愛です、よろしくお願いします^_^ 本編完結しました、特別編を連載中です!
婚約破棄されて捨てられた精霊の愛し子は二度目の人生を謳歌する
135
BL
春波湯江には前世の記憶がある。といっても、日本とはまったく違う異世界の記憶。そこで湯江はその国の王子である婚約者を救世主の少女に奪われ捨てられた。
現代日本に転生した湯江は日々を謳歌して過ごしていた。しかし、ハロウィンの日、ゾンビの仮装をしていた湯江の足元に見覚えのある魔法陣が現れ、見覚えのある世界に召喚されてしまった。ゾンビの格好をした自分と、救世主の少女が隣に居て―…。
最後まで書き終わっているので、確認ができ次第更新していきます。7万字程の読み物です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる